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愚痴を言う側(当事者)(n=1)の話

人付き合いの本やコラム、配信で、『愚痴を言い続けている人はエネルギーを取られてしまうので、最低限の関わりに留めましょう』というものを目にしたり、耳にしたりすることは多いのではないだろうか。私はその度に『ギクッ』とする。何を隠そう私は愚痴が多いタイプなのだ。

例えば、仕事でひたすらマウントをとってくる人と半日一緒に仕事をしたりする。そうすると、何個か話のネタになるようなプチ事件が発生するのだ。イライラと話のネタができたという気持ちで同僚に愚痴をこぼしてしまう。しかも1.5倍盛るくらいの気持ちで話す。この1.5倍というのは、大学時代に全然話したことがないが、クラスで目立つ同級生が残した名言『話は1.5倍に盛らないと面白くない』から来ている。実際、1.5倍には盛らない。(今回の話とは全く関連しないが。)

同僚は優しい人が多く、同情と共感を示してくれて、私は心地がよくなる。悪意のある話はシンプルに面白い話を作り出すより何倍も簡単で、人の興味や共感を引き出せる。そして、親身に聞いてくれた最後には『そんなこと気にするな』といってくれるのだ。今回のことは気にする必要がないことなんだ、と他人から認めてもらえ、多少はスッキリする。
一通り愚痴が終わると、次に愚痴聞いてくれた人への罪悪感と、愚痴で自分の価値を下げてしまった行為に胸が“チクリ”と痛む。

『これからは愚痴は言わず、自分の心で対処しよう。』
『人生にとって、ちっぽけなことに過ぎないのに、自分は文句をぐちぐち言って何をやっているのだろう。』
『聞く相手もさぞかし不愉快だっただろう。』
と反省しながらトボトボ帰宅する。

まぁ、そんな反省して改善していたら、今これを書いていないのだ。
愚痴の習慣は中々直らないし、自分の心の器も一向に広くならず、相手に攻撃を受けてはイライラを繰り返している。
ただ、昔付き合ってた人に『文句ばっかり言って、話が全然面白くない』と言われてからは、以前よりは自覚するようになったし、多少は我慢しようと心がけるようになっている。

もし、これを読んでいる人で”愚痴ばっかり聞かされる“人がいたら、対応方法としては『本当に興味のない相槌をする』『最悪、話がフェードアウトしたかのように退出する』方法をお勧めする。相手は共感してほしいだけで、相手は誰でもいいのである。話を聞いてくれない人には次からは話さない。実際そうされた同僚には話さないようにしている。ただ、話を聞いてくれないから嫌いになる人は多くないだろう。実際、その同僚との関係とも良好である。愚痴を言わないだけだ。だから、心配しなくて良いのだ(だって、愚痴を言う側も有益な話じゃないって分かっているから)。

”愚痴を沢山言う人“の中で、克服したいと思っている人がこれを読んでいたならば、一緒に改善しよう。どうすればいいかは分からないが。ぐちぐち言って、後から嫌悪感に苛まれる人はあなただけではないし、言ったからといって誰も陥れているわけではない。ただの愚痴なのだから。

これを書くきっかけとなった出来事も、自分の職種を揶揄され、モヤモヤしたからだ。人生フラットに毎日の幸せを噛み締めながら生きていくのは無理である。どこかで山があり、どこかで谷がある。モヤモヤ言われることで谷になってしまうし、愚痴を言って、慰めてもらうとフラットに戻ったりする。

こう書くと愚痴も悪いもんじゃないなと思った(あれ?)。大事なのは言う程度の問題だ。ネチネチ言わないように、『こんなこと言われても相手が傷つけることのできない居場所やライフワークが自分にあるのだ』自信を持って言えるようになると少しは良くなるのかな。

文句言われた瞬間は何とも思わないくせに、言葉の意味を噛み締めて徐々にイライラする鈍臭い私なのであった。そう、今日も例外なく愚痴を言っている。

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