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【映画】Aftersun/アフターサン(2022)

思春期真っただ中、11歳のソフィ(フランキー・コリオ)は、離れて暮らす若き父・カラム(ポール・メスカル)とトルコのひなびたリゾート地にやってきた。輝く太陽の下、絡むが入手したビデオカメラを互いに向け合い、親密な時間をともにする。20年後、カラムと同じ年齢になったソフィ(セリア・ロールソン・ホール)は、ローファイな映像のなかに大好きだった父の、当時は知らなかった一面を見出してゆく……。

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不安を抱えたままの私を置いてけぼりにして、エンドロールが流れる。

これは、30から31になる父と11の娘の一夏についての記録。何が起こるかと思えば、何も起こらない。ただ、父娘が互いを映すビデオが、時折差しはさまれる。父が娘を映し、娘は父を映し、自分も映す。そして大きくなった娘がそれを観る。その表情は、31の父とどこか似ている。

瑞々しい夏だ。プール、ビリヤード、ゲームセンター、海、トルコ、刺繍、ペーパーバック、ダンス。けれどもその瑞々しさの中に不穏さが見え隠れする。

何かが起きそうだ。いつ?どこで?どのように?それはわからない。でも何かが起きそう。自殺だろうか?病気だろうか?事故だろうか?実際、そうした想像を視聴者に「させる」ような描写が幾度もなされる。だが、何も起こらない。何かが起こりそうで起こらなかったカットを振り返ってみれば、まあそう、何も特別なことをしているわけではなくて、ひとつ、故に私は、私が自分の日常生活において如何に死のにおいに無自覚であるかをも知る。ふたつ、恐らくそうした危うさは、父と娘がそれぞれに見せる不安定さ、脆弱さに起因する。

ローティーン特有の世界の窮屈さは、私にも覚えはある。小さい子ほど奔放にもなれず、ハイティーンほど自由にもなれない。性的戯れへの興味は萌芽するも、これをどのように受けとめてよいか分からない。所在のなさ、居心地の悪さ。

父の側が感じる窮屈さは、私自身には些か遠く感じられる。大抵の出来事は経験したように感じ、自分のことを何となく分かってきたように思い、恥じらいと躊躇いを一丁前に身につけたような気がする年。浮き足立つことも、腰を据えることもできない。所在なさ、居心地の悪さ。

父と娘はとても仲がいい。二人の間にぎこちなさはない。11と31、それぞれの危うさがシンクロするところに、観る側の経験をも共に掘り起こすような地層に、この映画の不穏さはある。31のソフィアには、ギシギシときしむ父の心の声が、聞こえる。11のときには聞こえなかった父の声が、はっきりと聞こえる。

記録と記憶と幻想が入り混じった101分は、夏のあと、日に焼けた肌が剥けきらない時期に、決定的な何かがあったのであろうことを示唆する。

Happy Birthday, Sophie.

<生>を祝われるたび、彼女は父との最後の夏を思い出す。

Happy Birthday, dad.

随所に滲む<死>の文字が、二人の一夏をより際立って美しいものとしてきらめかせていた。

監督・脚本:シャーロット・ウェルズ
原題:Aftersun/2022年/イギリス・アメリカ/G/101分
劇場公開日:2023年5月26日
受賞歴:アカデミー賞主演男優賞ノミネート、英国アカデミー賞受賞、カンヌ国際映画祭批評家週間フレンチタッチ賞受賞など

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2024.2.17

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