見出し画像

人間の攻撃性に対抗するには?

前回、人の攻撃性に関するnoteを書きました。

すると読んでくれたお友達から「人はやはり利己的なのか……」というコメントを頂きました。人が利己的というよりも、「種が反映するための仕組みを備えた生物がたまたま生き残ってきた」が正しいと思うので、利己的という言葉は僕的には当てはまらないのでは?と思います。

ただ、人の攻撃性によって一定の不利益が生じているのも事実。アウシュビッツ強制収容所みたいなものなんて、金輪際生まれないほうがいいですよね。

人間の攻撃性を止めるための研究を調べてみた

というわけで、前回noteを書いてからいくつか調べてみました。反応的攻撃性に関する研究のほうが多そうではあるものの、積極的攻撃性に関する研究も増えてそうです。

僕のリサーチ能力と論文を読み漁るスピードの遅さから、決して網羅的とは言えません。それでも、いくつか読んでみて考えたことを残してみます。

認知行動療法系は有効そう

2018年に発表されたメタアナリシスでは、心理療法の王道「認知行動療法」は怒りの感情をコントロールする上で有効」という結論が出されています。

また認知行動療法から派生した「ACT(Acceptance and CommitmentTherapy)」も怒りの感情を抑える上で効果があると考えられています。

どちらも、少なくとも「反応的攻撃性」には一定の効果がありそうですよね。なんとなくそうだろうな〜とは思っていたものの、他人をいじめるときに「いかんいかん!自動思考を特定せねば!」となるのは難しいかもです。

日頃から自分でできるワークとかで認知行動療法みたいなものに触れておきたいな〜と感じました。

「感謝」や「許し」と攻撃性

もっと積極的攻撃性に関する論文を読みたいよ〜とさまよっていたら、感謝や許しの度合いが高い人は積極的攻撃性が低いかもしれん、という研究も見つけました。

許しは「いじめの被害者が復讐をしなくなる&周囲にきちんと助けを求めるようになる」という文脈で語られることが多いです。だからと言って、被害者に「許せ!!」と言うのも違う気がします。

それよりも、論文内でも触れられていた「道徳的アイデンティティ」が重要そうです。

道徳的アイデンティティの確立がカギ?

道徳的アイデンティティとは「道徳的な人であることが個人のアイデンティティにとってどれだけ重要かという認識」のこと。

道徳性の定義は人によって異なります。重要なのは「こういう人でありたいと考えている度合い」が強いことと、その願望が一般的に道徳的であると考えられている要素をどれぐらい含んでいるか、です。

思春期の子たちを対象に、道徳的アイデンティティと攻撃性の関連を調べてくれた研究があります。

その研究において、道徳的アイデンティティのスコアが高い生徒は、その後の反応性攻撃と積極性攻撃の両方のレベルが比較的低かったと報告しました。

さらに積極性攻撃に関しては、道徳的アイデンティティは思春期の若者が高い「道徳不活性」を報告する場合にのみ負の関連があることが報告されています。

道徳不活性……良くないことをしちゃっても、罪の意識も感じず、平然と自己意識を保ててしまう現象。他人を殴っても「その人は悪人だから殴って当然だ」「殴ることで誰かを助けることができる」と考える感じ。

そのような道徳不活性の状態が強い人の場合、道徳的アイデンティティを確立することで積極的攻撃性が抑えられそうだと示唆されている。

じゃあ道徳的アイデンティティを高めればいいのか!ということだけど、そのへんは本当に因果関係があるかはまだ不明です。

道徳の授業が本当に生徒に効いているかは怪しいと思っているので、どのように道徳的アイデンティティを高めるかも気になります。個人的には冒頭で軽く触れたACTのワークが近そうだなと感じています。

結論……

  • 積極的攻撃性に関する研究はこれからもっと出てきそう

  • 現時点では「こうありたい」という道徳的な理想像を持っているか大事そう

  • ほかにもいろいろありそう

という感じです。

傷ついている相手に共感しろ、ってどうだろう

積極的攻撃性は、ネットの世界ではもはや常態化していますよね。自身の攻撃を強引に正当化し、平気で毒を投げつける輩が多いこと多いこと。

そのときによく「相手がどう感じているか考えたことあるのか!」という意見をよく見る。でも、その意見がどれだけ効果的なのかは僕自身ちょっと懐疑的。

というのも、共感力を高めることの効果は、どうやらちょっと複雑らしいのです。

そもそも、攻撃する側には(客観的妥当性があるかを無理やり脇においてみると)それっぽい攻撃理由があることも多いです。本人にとってはなぜかロジックがスッキリ通っていて、そのせいで道徳不活性が高まってしまうんじゃないの?と思います。

さらには先程ご紹介した論文において、攻撃性の高さは個人特性よりも環境によって左右されるかもしれないことが報告されています。

共感しろ!という人たちは、攻撃してしまう人のロジックに果たして共感できているのでしょうか。攻撃してしまう人の対人関係や環境について考えているのでしょうか。

相手の人間性を否定してしまっている時点で、それは共感的態度なのだろうか。

ただ、ネットでの攻撃を肯定するつもりは一切ありません。むしろ徹底的に平和な世界を目指したいから、表層的な言い争いをしても仕方ないのでは?と考えています。

次は共感に関する文献を読んでみたいですね〜。

全然関係ないけど、最近はお絵描きAI熱が再発しています
去年パソコン買い替えてよかった〜英断だぞ当時の僕〜〜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?