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山岡鉄次物語 父母編9-4

《 成長4》幸恵

☆山岡家の次女幸恵が社会人となる頃には、その明朗さから自由な娘時代を送るようになるのだが、幸恵が思春期を迎えたばかりの中学生だった頃の話だ。

わんぱくだった3兄弟は歳の近い姉幸恵には弱かった。

鉄次は幸恵によく叩かれていた。
原因はもちろん鉄次たちにあるのだが、幸恵は手が早かった。
弟たちが何か問題を起こした時には、姉として注意するよりも先に手が動いていたのだ。

理由は定かでは無いが、ある日、鉄次はいつものように姉の鉄拳を受けた。
叩かれてばかりの鉄次は何を思ったのか、包丁を持って姉を追いかけ回すという反撃に出た。
幼かった姉弟が家出をした時、毛布を取りに家に忍び込んだ幸恵はすばしこかった。簡単に逃げて行くのだった。
鉄次は結果的には、姉の素早さに救われる事になった。

またある時、鉄次は幸恵に薬局まで買い物を頼まれた。
鉄次にとって姉の頼みと言えば逆らえない命令だったのかもしれない。

鉄次は素直に家を出かけた。買ってくる物は姉からメモで渡されていた。
メモにはこう書いてあった。「生理帯。」

この時、女性の思春期など理解出来ない鉄次はまだ小学4年生、幸恵は恥ずかしい盛りの中学1年生だったのだ。

この当時は家族みんなが一緒に生きていた。生活は苦しかったけれど、頼正の7人家族が寄り添って生きていた頃が懐かしい、言い換えれば、みんなが一緒に居た時間が幸せだったのかもしれない。

その後の幸恵は、働く社会人となって大人への道を歩んでいく。どのような娘時代を送ったのかは、当人しか解らないが、恋愛もしたでしょう、失恋も経験したでしょう、当時の鉄次は幸恵にどこかスカッとしたような気分を感じていた。

鉄次の記憶をたどれば、幸恵が父親から説教されていた姿が浮かぶ、それがどのような理由だったのかは解らない。親に手を上げさせるほどの心配をかけていたのかもしれない。

父頼正の6人いる妹たちで、年若い秋江やひとみは綺麗な叔母だった。やはり血縁、幸恵も女っぷりが良かった。

叔母のひとみは美容院を営んでいた。幸恵はひとみの所で美容師の見習い仕事をしたことがあった。その後どのような経過を辿ったのか、鉄次の記憶には無い。
それから幸恵はいくつかの職を経験していった。

鉄次には幸恵について印象に残る思い出がある。
ある時、幸恵の2人の友人が各々ギターを抱えて、家に来たことがあった。
2人は家族の前でギターの合奏を聴かせてくれた。曲名は忘れてしまったが、たぶん古賀メロディーを奏でていたと思われる。
2人の若者は弦を巧みにかき鳴らして、鉄次にはとても心地よく思えて感動的だった。
この後の鉄次はギターの事ばかり考えるようになった。

その後の幸恵は、年下の夫、長谷部と結婚し2人の娘をもうけるが、2人目の娘を妊娠中に離婚をする。離婚は目に見える事情の他に、真実の理由は本人にしか解らない。
鉄次には、義兄長谷部との思い出がある。
長谷部から弦が12本あるギターをもらった事がある。いい響きのするギターだった。
鉄次の学生時代の頃、幸恵の家族が千葉県に住んでいた事があった。長谷部が仕事で都内に通勤していた頃、鉄次の部屋に泊まった事がある。長谷部は頼りなげな感じだったが、心優しい人間だと思った。

鉄次は離婚を知った時、3兄弟で姉夫婦の問題に関わってしまった事を悔やんだ。
人にはそれぞれの物語があり、短い文章で簡単に纏められるものではない。本人にしか解らない人生の軌跡は、それぞれの人生という物語の中で生きているからだ。

幸恵は女手ひとつで子供たちを育てた。物凄いパワーが必要だった事だろう。
成人した娘と力を合わせて、自宅を購入することも出来た。

幸恵には、小学校低学年の頃のあばら屋時代は、貧乏がゆえに学校では虐めに合い、今でも辛い思い出として残っているようだ。
父頼正が製パンの仕事を廃業してからの貧乏生活は辛かった。家族みんな大変だったと思うが、幼い弟たちより、物事のわかるようになっていた睦美や幸恵はたくさんの辛い思いをしていたに違いない。

幸恵は今、2人の娘と孫たちに囲まれて静かな生活を送っている。

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