山岡鉄次物語 父母編8-2

《 守って2》廃業

☆珠恵は貧しくても、親子揃った平和な家庭を守って行こうとする。

昭和31年、この頃の珠恵は4人の子供を抱え、大変だった。
次男の信郎はまだ1歳、鉄次は3歳、幸恵は6歳、長女睦美は8歳、上の娘たちは手はかからないが、鉄次と信郎の世話は目が離せず、手もかかる。

特に信郎はヨチヨチ歩きを始めていたので、注意が必要だった。この後信郎はしっかり歩けるようになると、直ぐに元気に飛び回るようになった。
頼正の家は国道に面していたので、信郎は何回か道路に飛び出し、危ない思いをした。
珠恵が忙しい時には、信郎は飼い犬のように紐つきにされていたことがある。


さて、ある晩の事、珠恵は子供たちを寝かし付けた後に家を出た。

珠恵は頼正に酒を飲まないでほしい、とは思っていない。仕事を頑張ってくれているので、疲れを癒す楽しい酒なら大歓迎だと思っている。

現実から逃げる為の酒では未来がない。なんとかしたいと思った。

珠恵は一人ネオン瞬く街へ足を運び、頼正のいる店の前に来ていた。一人残っている職人に店の場所を聞いていたのだ。

珠恵は密かに店の中に頼正が居るのを確認してから、扉を開けて尋ねた。
 
『すみませ~ん、こちらに山岡頼正がお邪魔していませんか。』

軽薄そうな店の女が、珠恵の前に立ちふさがって笑いながら応えた。
 
『あら、来ていませんよ~。』

珠恵は女を押しのけて、店の中の頼正の所まで進んでから、不敵な笑みを浮かべて啖呵を切った。
 
『これが頼正ですよ~。』

普段は控え目な珠恵も家庭を守る為には、力強さを発揮するのだった。

この話は私、山岡鉄次が母から聞いた思い出話だ。

実際の店の場所も名前も不明だが、珠恵はかなり勇気を振り絞ったようだ。
一方頼正は、水で薄めた酒を出すようないい加減な店だと、怒っていたらしい。

珠恵に飲み屋まで乗り込まれた頼正は、だいぶ酔っていて珠恵が迎えに来てくれたものと思い、手を引かれて素直に帰ったそうだ。

珠恵の振り絞った勇気は何だったのだろう、何の問題もなく済んだ出来事だった。

こんな事があった日の後、珠恵に諭された頼正は、もう一度原点に帰って頑張ってみようと、何種類かの新作パンを作り出す。
頼正の新作パンは、珍しさもあり店では売れたが、窮状を改善するほどではなかった。
頼正は製パン業を始めた頃のように卸先確保に駆けずり回ったが、新しい取引先の開拓もままならなかった。

時間がどんどん過ぎていくなか、焦りと不安ばかりが先立った。

この頃、以前から勧誘されていた創華教会の事で、家主が頻繁に来るようになっていた。
「商売が上手くいかないのは信仰が無いからだ。」「信仰しないともっと酷い事が起こる。」と脅かされていた。

珠恵が子供たちを寝かし付けていた時に、家主がやって来た。
頼正の不在を伝えると、失礼な家主は4人並んで寝ている子供たちを、「1匹、2匹、3匹、4匹。」と数えて笑らいながら帰っていった。
珠恵は信心深いはずの人間のやる行いでは無いと思った。

ある時、頼正は家主に商売の現状を説明し、真剣に取り組まなければやって行けない事を話して、創華教会への入信は遠慮したい旨を伝えた。

しばらくすると、家主は珠恵の入信を条件に融資の保証人になってやると言って来たのだ。

頼正は藁にもすがりたい状況だったので、かなり迷いはしたが珠恵を入信させる事にした。

その後の珠恵は家族の細かい情報などを書いた書類を出して、創華教会の婦人部に連れて行かれた。珠恵は時間的には大変だったが、上手く周りに合わせていればよいと、我慢をした。

しばらくして頼正は事業を立て直す為に、家主に保証人の内諾をもらったので、運転資金の融資の話を進めた。
しかし土壇場になって家主は保証人を断って来た。
保証人を餌に珠恵を入信させた家主は、始めからその気が無かったのだ。

よく考えれば、簡単に他人の保証人になる人間がいるわけがない。

珠恵が創華教会との縁を切る事を決めると、家主は入信しないのなら、家を出ていけと言い出すようになった。


何もかも上手くいかない時はある「押しても駄目なら引いてみな。」と落胆している頼正に、珠恵は涙しながら廃業をすすめるのだ。
 
『おとうちゃん、何とかなるよ、頑張って行こう。』

頼正と珠恵は、家族の為に新しい生活を考えるのだった。
廃業は悔しい事だが、元々何もないところから始めた頼正と珠恵、気持ちの整理をつけていった。

頼正は廃業による借金を抱えながら、珠恵と4人の子供を連れて再び引越をする。


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