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【恋愛アニメ映画レビュー】『金の国 水の国』を恐る恐る観に行った話

私の名は、ツユモ。
自称・恋愛アニメ映画マイスターである。

今回は久々にマイスターらしく、「このマンガがすごい!オンナ編1位」の受賞歴もある、岩本ナオ氏の漫画が原作となった恋愛アニメ映画『金の国 水の国』の感想を綴っていきたい。

神をも恐れぬキャッチコピー

まず、内容に触れる前に少しだけ本作のキャッチコピーについて語らせてほしい。

公式サイトに記された、本作のキャッチコピーはこちらだ。


この文言を見て、「へ〜泣ける映画なんだ、観にいきたい!!」と思った人間は、きっとインターネットに精神が汚染されず、真っ直ぐに成長してきた方である。貴方はもっと自分の生き方を誇るべきだ。


さて、反対に私のような、人生の大半をPCの画面と向き合って過ごしてきた根暗ウンチ人間が最初に抱いた感想といえば、

なんなんだ、このキャッチコピーは!? 命知らずか!!???

である。

率直に言って、数年前にネットを騒がせた「ドラ泣き」のクソコピーを彷彿とさせる「感動の押し売り感」というか、地雷臭が半端ない。
原作未読でどんな作品かも全くわからない状態だったこともあり、このキャッチコピーのせいで観に行くべきか一瞬躊躇してしまったレベルである。

※参考:

だって、

「最高純度のやさしさ溢れる"結末"に、あなたはきっと涙する──。」

だぞ!!

「結末」にダブルコーテーションつけてるのもやかましいし、「やさしさ」が漢字じゃなくて平仮名なのも、「涙する──。」で文末に余韻残そうとしてるのも絶妙にダルくて、もうなんかとにかく「泣けるかどうかはこっちが決めるんじゃい!!」と思わず画面をぶん殴りそうになってしまった迷キャッチコピーである。

てか、このキャッチコピーをつけた人間は、「史上最高に美味い"クソクソうまうま定食"──。」と書いてあるメニューを注文したくなるのか!?

…と、まあこのキャッチコピーに対する罵詈雑言は尽きないのだが、今作のプロモーションを担当された方は、こういう「感動の押し売り」が一定層から嫌われるのを理解した上で意図的につけたのか、本当に純真無垢な想いで良かれと思ってつけたのかは割と気になるところである。

ちなみに結論から申し上げると、先述の「地雷臭」は完全なる杞憂で、作品自体は普通にほっこりする良い映画であった。

ただ、なんか感動っぽい雰囲気のシーンになるたびにこのキャッチコピーが脳裏にちらついてしまって、これが「最高純度の優しさか〜(笑)」と茶化しの方向にもっていこうとするもう一人の人格が湧いてきて、素直に感動しきれなかったところがあるのもまた事実。

これって、"私"が悪いと思いますか──?(私が悪い)


物語について

作品の成否とは全く関係ない蛇足を終えたところで、ようやく内容について述べていくが、一言でいうと今作はすごく「ちょうど良い」映画だと思った。

もともと漫画原作のものを映画尺に落とし込んではいるものの、物語全体のテンポ感も違和感なく、ギャグとシリアスのバランスや、出てくる登場人物たちの数もちょうどストレスなく見れる良い塩梅で素晴らしかった。

あと特に「良い」と思ったのが、リアリティーラインの下げ方である。
この映画の冒頭では世界観説明として、舞台となる金の国・アルハミト、水の国・バイカリの対立の歴史がダイジェスト風に語られるのだが、その理由がかなりしょうもない。
例をあげると、「国境付近の犬のフンの処理や猫のおしっこの処理で、度々この二国は対立と休戦を繰り返してきた」などなどだ。
ただ、こんな内容を真面目なトーンのナレーションで聞かされることによって、観に来た人たちは「あ、この作品って本格的な戦記物とかじゃなくて、童話とか絵本とかそういう系の心構えで見るべき世界観なのね」と一瞬で理解できる構造になっている。

それほどネタバレにもならなさそうなので言ってしまうと、最終的に本作は主人公二人の活躍によって、対立していた二つの国の交流が始まるというわかりやすいハッピーエンドで終わる。
普通の映画だったら「100年以上続いた国同士の対立が、こんなあっさり解消するわけねえだろ!」という批判が飛んできそうな展開ではあるが、このいい意味でテキトーな冒頭のナレーションがあることによって、「確かに今までもしょうもない理由で対立してきたわけだし、大したことない理由で和解もするよね」と妙に納得させられる部分があった。

ただ一点だけ、主人公の名前が「ナランバヤル」って、ちょっと覚えづらすぎないか…? というのは無駄に気になってしまった。
6文字もあるし、全然聞きなれない語感だし… 
これだけは「ちょうど良くない」と思ってしまったが、これは単に私の頭がトリ頭なせいかもしれない。


キャラデザと恋愛描写について

さて本作の特徴を一つあげるなら、やはりキャラデザの独特さであろう。

上の画像中央に立っているのが本作のメインキャラであるナランバヤルとサーラである。こういっちゃなんだが、本来こういう恋愛アニメ映画の主人公にあるべき「華」というか、オーラが一切感じられない。
「この二人は、主人公の父親と母親です」と言われた方が100倍納得できてしまう。

近年流行りのポリコレ配慮作品なのか…? と観る前は疑ってしまったが、他のアニメ作品と同じような容姿レベルのデザインのキャラクターも普通にいて、その筆頭が作中でも「イケメン俳優」という設定で出てくるサラディーンである。

▲サラディーン

また、先ほど華がないと批判したばかりのナランバヤルにしても、冒頭で登場した際の姿は割と「普通の主人公っぽいデザイン」をしている。
にも関わらず、作中では「身なりを整える」という理由ですぐに髪を切られ、ギャグのような付け髭をつけた状態がデフォルトになってしまい、あえて容姿レベルを落とすような意図すら感じられる。

▲ナランバヤルの作中冒頭の姿

ここまで考えると、やはりご時世とかポリコレ配慮というよりは、メイン二人の庶民っぽさ、等身大感、素朴さを出し、「容姿で惹かれ合ったわけではない真実の愛を見せる」的な狙いであえてこういう感じのデザインにしているんだろうなと思う。

…が、そのキャラデザが本作にとって良い方向に作用していたかは、正直微妙だと感じた。

そもそも「恋愛アニメ」「恋愛漫画」の良い点は、実写では絶対にどこかで意識せざるを得ない人間同士の容姿の格差をほぼ感じさせず、物語そのものに集中できることだと私は思う。

逆に、(もちろん好みの差はあれど)登場人物の容姿が理想的に良いのが前提の二次元世界において、あえて容姿のよろしくないキャラクターを登場させると、それ自体に意味が生まれてただのノイズになってしまうのである。

とはいえ、もちろんその容姿についてちゃんと物語上で掘り下げたり、ドラマ性を持たせればエンタメとして十分成り立つし、実際そういう方向性の作品も数多くある。

例えば、2021年の恋愛アニメ映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』では、出っ歯がコンプレックスで常にマスクをしていたヒロイン・スマイルが、俳句が趣味の主人公・チェリーの「山桜(=「出っ歯」の古典的表現)」という言葉を通して、惹かれ合っていくさまが描かれた。

漫画で言うと、まの瀬氏の『顔がこの世に向いてない。』なども、容姿コンプレックスと恋愛を上手く組み合わせた作品の良い代表例だろう。

一方で、繰り返しになるが、今作がそういった作品群の領域まで届いていたかと言うと個人的にはYESとは言い難い。

今作の中で容姿にフィーチャーされた場面を挙げると、中盤でサーラが「国一番の美女」の代わりとして大勢の前に姿を現すことに葛藤する描写などはあったものの、そのためにここまで太ましくキャラを描かずとも、普通のキャラデザで十分説得力をもって成立した場面だろう。

一応、「自分が美しいと思ったことなんて、今まで一度もないのだから」という辛い心情を吐露する場面や、周囲の子が楽しそうに遊んでいるのを孤独に見つめているような過去回想も一瞬あり、おそらくサーラという人物の内面を紐解いていくと、容姿へのコンプレックス(とそれに伴う自信の無さ)というのは比較的大きい割合を占めているのかも…とは思うが、いかんせんそこら辺の掘り下げが弱い。

そして、このサーラという人物のお相手となるナランバヤルという男がさらに厄介で、作中冒頭で敵国のアルハミトから自分の元に女性が嫁ぎに来ることを知った際、さらっと「俺、ストライクゾーンは広いからどんな見た目の女が来ても別に大丈夫」的なことを言っていたのが、個人的にかなり「うーん…」となった点である。

普通のキャラデザの作品だったらただのギャグシーンとして流せるのだが、ヒロインのサーラが明らかに太い(美しくはない)女性として描かれている本作の場合だと、結局「真実の愛」とかじゃなくて、たまたまナランバヤルのストライクゾーンが広かったからサーラも恋愛対象になれただけだよね… とどこか冷めた目で見てしまう自分がいる。
むしろナランバヤルがかなりの女好きで、「絶世の美女でもなければ嫁には取りたくない!」というスタンスの人間であれば、きちんとサーラの「内面」に惹かれて二人は結ばれたんだなというのがわかるので、効果的なキャラデザだったと思うのだが…

あとここからはさらに好みの話になるが、ときどき作中で出てくるナランバヤルの赤面描写も引っかかった。まずかなり序盤のサーラとの出会いの場面から、サーラの「家族発言」に赤面する描写があったが、

お前、サーラのこと意識し始めるの早すぎでは…?
もっと好きになるまでの過程をじっくり掘り下げてくれー!!

と、叫びたくなってしまった。
てか、「偽装結婚もの(=彼氏彼女の関係だと偽る系の作品含む)」って最初は全然好きじゃなかった二人が、偽りの関係性を演じていくうちに徐々に惹かれ合っていくのを観るのが1番の醍醐味みたいなところってあると思うんですよね(早口オタク)

ちなみにこの出会いの場面のほかにも、サーラにハートを撃ち抜かれるナランバヤルの赤面描写がギャグ的に出てくる場面があるが、頭脳明晰で口達者という設定のナランバヤルの描写としてはあまりふさわしくないように感じてしまった。あとイケメンとか美少女ならともかく、おっさんの赤面って見てて嬉しいものじゃないよな… 

もちろん尺の問題などもあるだろうが、こういうキャラデザにあえてしている作品だからこそ、「一目惚れ」に近い形ではなく、戦争を起こさないためにあれやこれや奮闘する互いの姿を見て、徐々に内面に惹かれ合っていくという見せ方にしてほしかったと感じる。

と、まあキャッチコピーから内容まで、いろいろ批判的なことを長々と書いてきてしまったが、一つ弁解しておきたいのが、「全体として良かった」と思うからこその感想だということである。(というかここで挙げたモヤつきも私の性格とか好みとかにかなり起因した問題である…)

終盤の大量の兵士との攻防や逃亡劇はディズニー作品的なわかりやすい面白さがあったし、主人公たちは特に戦闘はしないものの、ラスボスの説得という頭脳面(精神面)で活躍していたのは一貫性があって良かったし、ラストの金の国を見渡せる場所で抱きしめ合う二人の絵面の美しさは大画面で見るのにふさわしい。あと、ライララさんがめっちゃ良いキャラだった。

今更フォローが間に合うのかわからないが、もしこの記事を見て行くのをやめようとしている方がいれば、観に行くべき価値のある作品であることは間違いないので、今すぐこんな愚かなインターネットはやめて、映画館に足を運んで欲しい。

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