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歌舞伎とは如何なる演劇か 序章

風当たりの激しさにも負けない古典芸能の強さ

 今、様々なことで梨園に対する風当たりが強くなっています。

 風当たりが強いと言うことは、それだけ注目される存在だからですし、様々な思いで意見を出し合うのは決して悪いことだとは思いません。
 しかし、梨園を「特権階級」と断定し、「反権力」が正義だとばかりに否定し、反発だけが先行しているように見えるのは、如何なものでしょうか。はじめから歌舞伎を落としめる意図があるとしか思えない、そんな風潮さえ感じられるのは、悲しいことだと思います。

 いつの時代のことを念頭においているかわからないような、既得権益に対する反発心だけで凝り固まってしまった、社会主義や共産主義の思想的流れの名残なのでしょうか。
 伝統あるものに対して、その重さに思いを致すことは、伝統ある我が国にとって、とても大切なことだと私は思っています。
 そして、気をつけたいのは、因習と、守るべき伝統の区別。それは、簡単なことではないと言うことです。

 私も、若かりし頃、歌舞伎を長年ご覧になっている方々の意見に反発し、今、さかんに問題にされているような考えのいくつかを、持っていた時期もありました。しかし多くの場合、長年歌舞伎を観、人生経験を積み、様々な角度から物事を考えられるようになると、守られてきたことには、守られるだけ意味があることもよくわかってきます。

 歌舞伎は今なお、日本において舞台芸術のトップランナーとして走り続ける実力を有していることは、間違いありません。
 明治以後、西洋の近代演劇の影響を受け、演劇改良運動の中で生まれ出た「新派」や、さらに西洋演劇の影響の元発展した「新劇」は、時代的役割を終えつつあります。一方で、新派や新劇に対し、旧劇と言われていた歌舞伎は常に進化を続け、現在も存在感を保ち続けています。

歌舞伎は役者の「芸」に支えられている

 そんな中で、歌舞伎が常に自問自答してきたのが、「歌舞伎とは如何なる演劇か」ということだと思います。
 そして、この問いに対して、「歌舞伎役者がやれば、それが歌舞伎だ」というのが、今にいたるまで、演者側の、もっぱらの答えであったかと思います。
 この答え以外に、それでは、歌舞伎を観る側、研究する側に何らかの答えがあったかというと、それもなかった、というのが正しいのではないかと思います。

 歌舞伎の強さは、この役者の「芸」に支えられたプロの芝居である、ということに間違いありません。

 歌舞伎を観る上で、この役者の「芸」に注目しない視点はない、とも言えます。

 歌舞伎の世界では、四十五十は洟垂れ小僧。「芸」だけで、魅せることが出来るようになるのは、早くても五十代半ば、立ち役となると、円熟期に入るのは六十代になってからと言えるのではないでしょうか。
 ことに、古典として目標とすべき演目や役どころは、先人の一番脂ののった時期の芸を観てきている客層を相手にするとなると、ハードルはさらに上がります。

 十代、二十代、三十代‥‥ それぞれの年代には、それぞれの年代の時分の花とも言える魅力があります。
 ただ、歌舞伎座の大舞台で、毎月興行をうっていけるだけの観客を集めることは大変なことです。
 コロナ禍を経験した今、それは、舞台関係者にとって死活問題であることが、改めて実感されていることだと思います。

 そして今、歌舞伎界では「芸」で魅せることが出来る大立者が中心となって興行を続けていくことが出来ない、そんな状況になりつつあります。
 今の歌舞伎役者さんたちの布陣では、心許ない‥
 などと思っていたら‥

 どうして、どうして、役者の皆さんのお一人お一人の奮闘に、観る側も勇気づけられます。

危機が叫ばれるからこそ、考え直したい

 昭和五十年代後半、私が歌舞伎を見始めた頃、「歌舞伎の危機」ということが、さかんに叫ばれていました。
 歌舞伎座の3階の最前列さえすべて埋まらず、その後ろは、幕見席に近い席に一列いるかいないか‥ そんな時代がありました。
 ただ、お客様の入りは薄くとも、舞台は充実していたと思います。

 集客という点で潮目が変わったのが、昭和六十年の十二代目市川團十郎襲名披露興行からです。
 当時の十二代目團十郎丈は、今の尾上松也さんくらいの年齢で、まだ若く、もともと無器用な方であったからだと思います。素人目にも丈の芸や魅力だけで観客を集められた舞台ではなかった、とは言える思います。が、歌舞伎界の大立者達が周りを固め、緊張感のある、華やかで見応えのある舞台が、大入り満員のなかで三ヶ月続いたことが、きっかけでした。

 「歌舞伎の危機」ということは、歌舞伎が誕生して以来、四百年以上言われ続けてきたことだと思います。

 そして、「歌舞伎の危機」に立ち向かってきたのは、単に芝居好きの舞台人や観客がいたから‥だとか、時の権力に取り入り、たまたま活路を見いだして来たから‥だとか、そうしたことではない、と断言できます。
 それは、歌舞伎に限らず、能狂言も同じことです。

 「歌舞伎と如何なる演劇か」
 何故、伝統は守れてきたのか。
 その答えを、観る側として、今後の歌舞伎の行く末を考えていく上の一助になれたらという思いで、考察して生きたいと思います。
                         2023.8.8
 

 

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