しらたま

なんくるないさ。

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最近の記事

真夜中ぎっこんばったんシャンソンショー。

一人暮らしをしていた。 5階建ての5階に住んでいた。 駅からも近く、生活には不自由しなかった。 県外への異動が決まるまで、その部屋には5年ほど住んでいた。 555。マッハゴーゴーゴーの数字。 ヤバいよね〜きちゃってるね〜! 信じるか信じないかはあなた次第! つっちゃってね〜〜〜!はい都市伝説! 夏ボーナスでお姫様ベッドを購入した。 白のアンティークなベッドフレームが愛らしい。 カーペットもピンク、マイメロディのクッションなんかも置いちゃって女の子部屋をつくることがマイブ

    • ミューズは溺れない

      2022.12.13 加筆 淺雄 望監督の映画「ミューズは溺れない」を鑑賞した。「絶対に映画館で観たい」とこころに決めていた作品だ。 感想を箇条書きしていく。 ───以下、少々ネタバレを含みます─── 映像も美しいのだけれど、特に音に惹かれた。 画用紙にえんぴつを何度も走らせる「画」と「音」に見入って、見られていることに朔が気づいた瞬間の「音」と「間」にすっかりこころは持っていかれてしまった。 「これは間違いなく面白い映画だ」と確信を得るには十分だった。 先生が

      • 白球の行方をだれもしらない。

         中学校三年生の頃だった。  夏休みに入っていたが、三年生のみ受験を見据えた夏期講習のために数日通学しなければならない日があった。夏休みだからと少しだけ髪の色が明るくなっている子を茶化したり、高校生のセンパイと付き合ってるらしいと噂の女の子に質問攻めしたりしながら、各々が校門へと歩いていく。  校門の前には体育教師の権田原がいた。  絵に描いたような熱血教師で、今では問題になるかもしれないが竹刀でアイノムチをすることもしばしば。恐怖の象徴だった。    そんな権田原が

        • そのひとらしく生きるということ

           この仕事をしていると、最期をお看取りさせていただくことがある。  穏やかな最期を迎える方ばかりではなく、痛みに苦しみながら最期を迎える方もいるし、前触れなく突然亡くなる方もいる。泣きながら心臓マッサージをしたこともある。救急車の中で必死に名前を叫びながら冷たくなっていく手をひたすら温めたこともある。  死は突然やってくる。  わたしたちは生まれた時から死へ向かって生きている、とはよく聞く言葉だ。 「もっとできることがあったのかもしれない」  お看取りに際して、この

        真夜中ぎっこんばったんシャンソンショー。

          にじいろカナブンは海をいく。

           地上から1メートルほどの高さをもって、地球はすべて海となった。以前に陸があったところの地面をコンクリートで高さを出すようにして家などの建物を建てていた。  わたしたちはこの数年で日常を海水に浸かりながら過ごすようになった。夜は家に戻り、海水に浸かってふやけたその身体を休めた。  それでも人体とはふしぎなもので、今となっては海水の中での動きも陸上と大差なくすごすことができるようになった。これもオリンピックの影響だ、と吉川は言っていた。意味はよくわからなかった。  吉川は右

          にじいろカナブンは海をいく。

          こころのシャッターチャンス。

          写真を撮るのがすきだ。 一眼レフを持ってるわけでもないし、画の構図がどうこう言われても分からない。だけれど、写真を撮るのがすきだ。一万円といくらかのLUMIXやらIXYだとかを買って、リストストラップを手首にかけて携えて歩くのがすきだった。 二十代前半の頃、夜勤明けで海水浴に行くような体力があった頃は精力的に出かけては写真を撮っていた。花灯路、寺院の夜間ライトアップ、花見、万博公園、植物園、海。 何度かツイートもしたと思われる、お気に入りの写真たち。 たまに見返すと当

          こころのシャッターチャンス。

          2021年、やるやん?

          この一年、いろいろありました。 双子の長男と次女が無事に一歳を迎えることができました。 双子の母をしていると、いろんなことを言われます。多くの方は励ましてくださったり労ってくださったりと、コロナ禍でひととひととの触れ合う機会は減りつつもあたたかい世の中だと感じていますが、中には無神経な言葉をかける方もいます。 「男女の双子かぁ。うまいこと作ったね」 「双子はいっぺんに子育て終わるし、今はしんどくても後々楽やな」 「うわー、双子なんて大変でしょ。わたし双子はしんどいか

          2021年、やるやん?

          アルコールでイッちゃって。

          二十歳を過ぎると、あちらこちらから飲み会へのお誘いが始まった。気の置けない友人とジュースのようなカクテルを少しだけ飲みながら話すのは楽しかったが、職場の飲み会は最初はなにが楽しいのか分からなかった。 最初はアルコールのなにがいいのか分からずに「とりあえず、生!」の掛け声に手を挙げ、周りの話に適当に相槌を打ちながら生ビールを胃に流し込むだけの時間でしかなかった。飲み会の席で紫煙を燻らす先輩から如何にして離れるかばかり考えていたが、徐々に生ビールの美味しさに気づき、場の楽しさに

          アルコールでイッちゃって。