そのひとらしく生きるということ

 この仕事をしていると、最期をお看取りさせていただくことがある。


 穏やかな最期を迎える方ばかりではなく、痛みに苦しみながら最期を迎える方もいるし、前触れなく突然亡くなる方もいる。泣きながら心臓マッサージをしたこともある。救急車の中で必死に名前を叫びながら冷たくなっていく手をひたすら温めたこともある。



 死は突然やってくる。


 わたしたちは生まれた時から死へ向かって生きている、とはよく聞く言葉だ。

「もっとできることがあったのかもしれない」

 お看取りに際して、このような気持ちになることがある。特に新人の時期はそうだった。

 ある方のお看取りに寄り添わせていただいた時のことを思い返す。



その方は嚥下機能(食べ物や水分を飲み込む力)が低下しており、水分にはとろみをつけないと飲めないほどだった。ご自身でお看取りの時期が近いことも理解されており、日々を丁寧に重ねておられた。


 ある日、その方が「ジュースを飲みたい」とおっしゃられた。

 まあオレンジジュースとかならとろみつければいいかぁ、と車椅子を押して自動販売機までご一緒させていただく。


「これが飲みたい」と指を差されたのは炭酸飲料だった。

 炭酸飲料はとろみをつけたとしても嚥下しづらく、誤嚥するリスクが高い。現在のご状態で誤嚥して肺炎を起こせば、命取りになる可能性が高い。わたしは慌てて「このジュースは飲めないです、他のにしましょう」と否定して他のジュースを買うように促した。



「じきに死ぬのに、飲みたいものも飲めないのですか」


 そう言われて、はっとした。


 頭ごなしにリスクを取って否定してしまったことを謝罪し、誤嚥してしまう可能性があることを説明させていただく。

 その上で、どうさせていただきましょう?とお聞きした時に「どうせもうすぐ死ぬなら、好きなものを飲みたいです」と笑顔で話されたのが今でも忘れられない。わたしの思慮不足でこの笑顔をみすみす失ってしまうところだったと、己の浅はかさをふとした時に思い出して省みている。


 その方は、そこから担当のケアマネージャーやご家族様、主治医と相談の上、炭酸飲料を飲むことが許可された。看護師と共に最初のひとくちを飲まれるのを見守った時の緊張感、そしてむせずに飲めた時の感激も今でも思い出す。

「よかった、飲めた」と最高の笑顔でおっしゃられて感無量だった。もしかしたら不顕性誤嚥(むせずに誤嚥すること)を起こしているかもしれないが、ご本人様もご家族様も承知の上で「後悔のないようにすごせたら」というご意向であった。


 ひとの想いに寄り添えているつもりであったが、その一件からは人生観や介護観が大きく変わったように思う。


 なんでもかんでもは叶えるのは難しいが、その方のお気持ちはどこにあるのか?できない理由を並べる前にできるようにするためにどうするか?を考えるようになった。


 できない理由を並べるのは簡単だ。しかしどうやったらできるようになるのか?わたしひとりの知恵では足りないので、各専門職と話し合い多角的に物事をみつめ、その時の最適解をみつけていく。

 いろんなひとの意見を聞くことはとても大切だ。なるほど!そういう意見があるのか!と気付かされることが多々ある。ひとの考え方や価値観に触れることで、良い刺激をもらえる。

 その時期からチームで仕事をすることの大切さも学んだ。この仕事は日々、勉強だ。




 今日もわたしはこの時の想いを胸に仕事をする。

 その方が迎える最期が穏やかなものでありますように。少しでも楽しかった思い出の一場面になれるよう、日々笑顔になれるような言葉がけを意識して。いつくるか分からない最期の時にその方に後悔がないように。

 そのひとらしく、生きられるように。



 川辺で揺れるオレンジの花を見ながら、わたしは空を仰いだ。


 どうかお元気で。

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