作業療法で支援する作業って,例えば塗り絵とか編み物とか,何かを作ったりとか,そういうものをイメージしていることが多いんじゃない? それが間違ったイメージというわけではないんだけど,それだけが作業療法なのかな? ちょっと学校での授業の振り返りをしてみましょうか? 作業療法概論で聞いたことがあるかもしれないけど,世界で初めての作業療法士の協会を作った方々の一人が, 「作業は食べ物や飲み物のように生きていくために不可欠である」 という言葉を残しているんだよね. この方が言ってい
あなたにとって大切な作業は何ですか? それはどうして大切なんですか? その作業はどのように行っているのですか? 現在はここまで出来ているのですね. どうしましょう?これから一緒にリハビリをしていくんですが,ひとまずはこれが出来るようになることを目標にしてみましょうか? それでは,出来るようになるためにどんな練習をしましょうね?一緒に考えてみましょうか? 思えば,作業療法士として働く様々な場面でCLと言葉を交わし,CLの表情や視線や身体の些細な動作をじっくり観察し,自分自身の
ずっと頑張らなくて良い. たまに息抜きしてのんびりしているからこそ必要な時に頑張れるんだよ. 以前の職場の事務長がそんなことを言っていたなとふと思い出しました. 昨晩はそんな息抜きの場のような,お酒を飲みながらリラックスしてのんびりお話する新しい集まりの場の運営をお手伝いさせていただきました. 新しい企画が動き出すとわくわくしますね. 敢えて固くなりすぎない,居酒屋でお酒を飲みながらあーでもないこーでもないとフランクに話し合える場を目指したいというコンセプト通りに何が起き
せっかくの休みだから出かけたかったんだけど、思いの外雨が強いので様子見中。 様子を見ながら久しぶりにnoteを更新します。 もっとお休みが増えたら良いのに! もっと給与が増えたら良いのに! もっと遊べたら良いのに! もっと自由にできたら良いのに!! こういうことをしょっちゅう考えています。 自由を求める強い気持ちと沢山の方々の力によって世界は以前に比べて人間は様々な面で自由を手に入れていきました。 しかし本当に何でもかんでも自由になってしまったら、本当に人間は幸せなので
この諺好きなんですよね. 先日zoomを使って「自主性への向き合い方」についてディスカッションをしました. 主催していただいた赤坂さん,てつさん,参加者の皆さん,大変興味深いディスカッションをありがとうございました. 運営のはずだったのに殆ど何もしてなくてごめんなさい. 自主性,本人,外部,組織,他者,期待,要望,意欲, 本人の自主性はどこにあるのか? 本当の自由は可能なのか? 他者から促される自主性は自主性と呼べるのか? 自主性と意欲の違いはどこなのか? 答えが直ぐ
まさか,作業療法ってこんなに面倒くさい仕事だとは思わなかったでしょう? まさか、作業療法ってこんなに周りから理解されてない仕事だとは思ってなかったでしょう? まさか、作業療法ってこんなに分からない仕事だとは思ってなかったでしょう? 最終学年の実習生を担当させていただく時には意識的にお伝えしている。 意地悪で言っているわけではないよ。 この業界に落胆してほしくて言っているわけではないよ。 これから先に待ち受ける荒波を予期したうえで、然るべき備えをしておいて欲しいからど
さて、この間は一緒に面接評価場面を見てもらったね。 面接評価で仰っていたことが、そのまま目標になるとは限らないけど、どうだろう?この間の面接評価場面を見ていて、次にどんな評価をしたら良いと考えましたか? うんうん。確かに身体機能の評価も重要かも知れないね。 ところで、身体機能面の評価に注目しているのはどうしてなんだろう? 注目していると気が付かなかったの? もちろん、身体機能に注目することが悪いこととは一概には言えないんだけど、今までのやりとりの中でも君は身体機能面に注目
以前担当させていただいたご婦人が仰っていた. 読書は良いものですよ.いつでも好きなタイミングで好きなだけ読書の世界に浸れるから.映画やドラマや演劇は決まった時間しか浸れないでしょ? その言葉が忘れられていないのだから,僕の人生に大きな影響を与えているのかもしれないね. 言の葉の中に迷い込むことは森に行くようであり 言葉が溢れて海に沈むような感覚がある. 深い深い森の中を彷徨ったり,海底に宝物を探しに行ったり,読書とはそんな体験だと思う. 初めから樹海や深淵に行くべきでは
何かを学んでいると、まるで海に沈んでいくような感覚になることがある 浅瀬で足をちゃぷちゃぷ 水がキラキラ もう少し行ってみたらもっと綺麗なものが見れるのだろうか? 色とりどりのサンゴ礁とか、変な形の魚とか、海中に差し込む淡い光とか、 もうほんの少しだけ進んだら自分も大きなものの一部になれたような感覚を味わえるのだろうか? 身体がどんどん拡大されていって大きなものの一部になれるのだろうか? きっと楽しいな きっとワクワクするな きっと美しいな そんなことを考えなが
はじめに 今回は学会等での事例報告の抄録作成について私が注意していることをまとめました. 対象は, 学会での事例報告などに挑戦しようと考えているけど抄録作成に慣れていない初学者の方, 抄録の書き方について学んだことがない方, 抄録の書き方について学ぶ機会に恵まれなかった方です. 私自身は作業療法士ですので,作業療法関連での学会発表しか経験がありません. それ以外の職種の方には一部参考にならない箇所もあるかも知れませんのでご了承ください. また,私は抄録作成のエキスパー
少し前まで精神科病棟の手伝いに行っていた. 任されたのは個別の作業療法. 精神科病棟での仕事はほんとうに久しぶり. その日は閉鎖病棟で車椅子に乗った高齢の認知症の女性の個別介入を行うことになっていた. 現在取り組んでいるリハビリ内容をカルテで確認し,はじめましてと挨拶. あなたとのリハビリは今日が初めてなので色々と教えていただけますか?と切り出しご本人が現状をどのように認識されているのか確認した. 「家に帰るために歩く練習をしなくちゃいけないの」 認知症を患っているとは
ひとは成功した方法で失敗する. 確か哲学者の西條剛央さんの言葉だったかな? 時々考える. まわりと比べて気がつくのが遅すぎたのではないだろうか? まわりと比べて出発がおそすぎたのではないだろうか? 今更になってようやく気がついたのか? もっと早く気がついていれば! もっと早くスタートできていれば! 半分は後悔で半分は成長 というか,誰でも挫折したところからが本当のスタートなのかも知れない 自分ごとに置き換えて考えてみよう. 壮大なテーマを考えることは身の回りのことに置き
とりあえずやってみよう. まずはじめてみよう. どうなるか分からないけど,まずはやってみよう. ステキな言葉ですよね. ぜんぜん悪くない. むしろ素晴らしいことです. わたし自身も面白そうなことを見つければとりあえず取り組んでみる派です. とりあえず首を突っ込んでみる人間です. そのおかげで面白い人とつながったり面白い体験ができたり自分には不釣り合いと思えるような素晴らしい舞台に立たせていただくこともありました. だから,とりあえずはじめるっていうことには基本的に賛成で
養成校の頃からずっと分からなかった. 受験前からずっと分からなかった. 働きだしてからも長い間分からなかった. 専門性ってなんだろう? 作業療法らしさってなんだろう? 作業を療法として用いるってなんだろう? そもそも作業ってなんだろう? ずっと悩んでいた. 雲を掴むような悩みを漠然と抱えながら悶々と仕事をしていた. そんななかで出会ったのが、齋藤さんのブログ,上江洲さんのブログ,藤本さんのブログ,友利さんのブログ,澤田さんのブログ 全部は理解できなかった. だけど作
事例報告 する意味あるんですか? どうしてそんなことするんですか? 時間があるんですね。 意識高いですね。 事例報告のための介入だったんですか? まず、深呼吸 言った人からすれば何気ない一言 言われた人は「ははは。そーですか。」なんて平気そうにヘラヘラ笑って返すけど、こういうのは後からきいてくる 腹の底で喉を鳴らして 暗闇からふたつの鈍い光がこちらを睨む そういうときこそ まず、深呼吸 感情的になるのは簡単 だけど感情的になると良い結果が得られにくくなることが多いん
頭の中に 浮かんだ思考に 湧き上がるイメージに 言葉を与えていく ぼんやりとしたものが明確になっていく 言葉を与えていく 肉体を与えていく 解像度がどんどん高まっていく 日本人として日本語を操ってきたから日本人としての肉体を与えていく 肉体を与えているのが僕なので その肉体には語彙という限界が定められているのかもしれない 肉体を得ていく 肉体に詰められるだけ思考を詰めて 言語化出来なかった思考はその肉体の上でモヤモヤと煙を巻く 肉体から滲み出るケムリ このケム