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よるのがっこう①

【夜学のジャン・ヴァルジャン(1)】

遅咲きの桜が月明かりに照らされて映えている。

首都圏では、3月で見頃を終えてしまう桜も今年は特別寒かったためか、4月上旬の今日もまだ美しく咲き誇っている。

もうすっかり日も暮れて、巨大なベッドタウンであるこの街には、仕事や学校を終え、家路を急ぐ人々が忙しなく行き交う。

僕も、そんな普通の集団の1人になりたいと思っていた。

贅沢な願いじゃないはずだろう。

しかし、僕が今いるのは、誰もいないはずの夜の学校だ。

県からの予算はしれっと削られ、もう本来の役割を担うことができない古びた小さな食堂に、始業式のため十名程度の職員と百名に届かないほどの生徒が集合していた。

短い始業式の終了後、着任職員紹介のために、今年の4月から県立阿荷丸高等学校定時制の課程に異動となった、僕を含めて三名の職員が入場し、生徒の前に並んだ。

食堂の端から、マイクを持った背の低い痩せた中年がわざとらしく咳払いをする。乾忠敬。この学校の教頭である。

大きな銀縁の眼鏡も目を引くが、その頭部には見覚えがあった。鉢巻をしたような形に頭髪を残し、それ以外の頭頂部および側頭部から後頭部にかけて薄いこの髪型は、確かトンスラという名であったか。

教科書に載っている日本に初めてキリスト教を伝えた敬虔なカトリック教徒の肖像を思い出しながら、意図的ではなく自然にできたであろうこの神秘に、ただただ感慨に耽っていた。

そんな気持ちが伝わったのかどうかわからないが、乾教頭が妙に威圧的な甲高い声で紹介を始める。

「橋広孝平先生、1年1組担任、社会科、バスケットボール部」

事務連絡のような淡々とした紹介を受けた後、能面のように白い肌で周りより少し高い上背の、今時の若者が1歩前に出て生徒達の顔を見渡す。

その青年は、世間様の求める元気はつらつな若手教員らしからぬ無表情ではあるものの、その目の奥には不思議と力があるように見えた。

カオス。無秩序で、様々な要素が入り乱れ、一貫性が見いだせないごちゃごちゃした状態。今この場を指す言葉として、これ以上にふさわしい言葉はないだろう。

4割ほどの生徒がスマートフォンでゲームやSNSに夢中になり、中にはイヤホンをつけてご機嫌な音楽を聴いてるヤツらもいる。3割ほどの生徒は不安そうにこちらをみている。残りの3割は私を品定めするように、刺すような鋭い目つきで足元から頭の天辺まで睨みつけていた。

この学校の生徒たちの格好は自由。化粧も自由。髪の色も自由である。
色とりどりの生徒たちの髪色に、子供じみてはいるがマーブルチョコレートを連想する。よく言えば、いま流行のSDGsの国連ピンバッジみたいといえようか。特に赤・黄・緑の髪色の生徒が並んでいるのを見て、「信号か」と僕は思わず突っ込みたくなった。

全日制の課程、簡単に言えば普通の高校から来た僕を含め三名の教員は、この混沌とした雰囲気に正直、怖気付いた。
後ろの並んでいた2人の教員は、夢ならば醒めてくれと目を閉じる。

高等学校のいわゆる「教育困難校」を経験したことがない人がこの状況を聞いた時、スマートホンをしまうように指導しないのか? イヤホンを取らせないのか? 反抗的な態度の生徒を強く指導しないのか? などついつい教員の怠慢として攻撃したくなるだろう。

教育は誰にでも語れる。それはこの国のほとんどの人間が、義務教育や高等学校での生活を経験し、人によっては親として我が子を育てているからである。

ただ、生徒側を経験しただけの視点・親が行う子育てだけの視点で学校を語るのと、教員として国(文部科学省)や県(教育庁・教育委員会)などの行政からの無理難題に応えつつ、1人でクラス何十人の生徒を預かる役割を担い学校を語るのでは大きく異なる。「教育困難校」なら尚更だ。

まだこの学校が2校目で教員経験が3年目の未熟な私でも、世の中の学校教育論議がいかにズレているのかが理解できていた。

学校はドラマや漫画のような、勧善懲悪のご都合主義でなければ、無責任な綺麗事で世間に媚びている情報番組の薄口コメンテーターが語るような、打てば響く・叩けば鳴る・当たれば砕く子供と保護者と教員達からなるハッピーワールドでもない。

今回の件で言うならば、この学校の指導のラインはそこでは無いということだ。少なくとも「教育困難校」では、義務教育のような様々な能力の児童生徒がクラスに集まっていることによる生徒指導の難しさを解消するための、靴下の色から頭髪の長さまで管理するような、全員一斉教育は難しい。

高校は入試によりある程度似通った、いわゆる「常識」を持つ生徒が集まるため、その学校・生徒の状況にあった生徒指導のラインがある。

義務教育では多くの場合、過半数を超える生徒が「常識」をもっているからこそ成り立つ、「常識」に裏打ちされた指導が、高等学校の「教育困難校」では成り立たない。

もちろん、義務教育のやり方を否定しているのではない。義務教育を担う教員の大変さと努力は計り知れない。だからこそ理解してもらえるはずだ。義務教育で指導が難しい生徒層が大半をしめる「教育困難校」での生徒指導のラインの難しさを。

つまり、この学校では集会でスマホを使用している、イヤホンをつけている、話を聞く気が全くない。ということをいちいち細かく指導していたのでは、キリが無いのだ。

そんなことよりも、もっと学校の秩序を著しく乱すような行為をさせないよう、後方に教員たちが目を光らせている。

考えてみて欲しい、警察が当たり前のように歩道を走っている自転車を全て取りしまって、道路交通法17・18条違反により3ヶ月以上の懲役または5万円以下の罰金を課すことができるのか?

答えはNOだ。その取締る労力に対して、違反の数が多すぎるし、それが悪い行為だという認識がなさすぎることによるトラブルが絶えないだろう。

もし、あまりにも強く指導し、全員の意識を変えようと教員達が息巻いたなら、ただでさえ卒業するのが入学者の半分を切ることも珍しくない定時制の過程で残る生徒がどれだけいるのか・・・・・。
それはそれで、世間様が許さないだろう。

一応座ってるだけましということか。とんでもない所に来たな・・・。
と心の声が漏れそうになる。その声をぐっと飲み込み

「よろしくお願いします!」

と一言、大きな声で挨拶し、頭を下げた。

新しく着任した教員を全員紹介し終わると、乾教頭はそれまでとは打って変わって満面の笑みで、尻尾を振りながら校長に話を振った。

「校長さん、お話しをよろしくお願いいたしますっ」 

マイクこそ口元から離していたものの、もちまえの甲高い鳴き声は食堂に響き渡った。 

「はい、はい、はいっと」

気の抜けた低い声が微かに聞こえた。綿貫国輝。恰幅がよく、季節外れのサンタクロースのような腹をした好好爺である。

グレーの高級そうなスーツを上手に着こなし、綺麗な白髪を七三に分けている。丸く艶々した顔をくしゃくしゃにした含みのある笑顔を維持しながらお腹をポンと鳴らし、話し始めた。

「皆さんこんばんは。まず初めにね、君たちにまた会うことができてね、校長先生はね、非常に嬉しいんですね……」

まるで小学生に語っているのかと錯覚するほどゆっくりとオーバーに、美辞麗句を並べ立てて乾いた笑顔は絶対に崩れず、政治家の様なその振る舞いには隙がない。

もちろん、生徒はこれまで以上に話を聞いていない。          

あろうことか、イヤホンをした生徒が全身で激しいビートを刻んでいた。  

私の教員人生は短いものの、校長さんのありがたいお話しに、全身でビートを刻む生徒を見ることになるとは夢にも思わなかった。

食堂に虚しく響く熟年の大きな独り言は20分にも及んだ。

生徒がクラスに帰り、教職員も食堂を出ると、ひときわ大きな桜の木が、見慣れぬビビットカラーの頭髪にチカチカした目を癒すように優しい色で僕を包んでくれた。 

「どんな場所だっていい。もう一度、ゼロからやってやるんだ」

月明かりに照らされて、一層白くなった青年の顔は相変わらずの無表情であったが、小さな声で、確かにそう言った。

「橋広先生!」

鋭く大きな低い声で、夢見心地の僕を急に現実に引き戻した大男は、この学校の英語教員である鮫島涼だ。

29歳、初任でこの県きっての進学校を5年経験し、定時制に異動した。この県の教員の最大派閥である超有名国立大学出身である。        

おそらく彼は、超進学校→教育困難校→普通校→県の行政職員→管理職(教頭・校長)の黄金ルートを辿るであろう、エリート教員だ。 

「橋広先生、正規教員3年目ですよね? 初任校から2年で異動ってあり得るんですか?」

痛い質問だ。冷や汗が出る。基本的に、初任者の移動は、県にもよるが、高等学校の場合4.5年である。2年で異動することはまずありえない。

「なんでですかねー?」

と、もう作ることのできなくなった笑顔に似た、不器用な顔で受け流し、足早に職員室に戻った。

その途中、思い出したくもない、けれど、一生忘れられない前任校2年間の地獄のような日々が頭の中を駆け巡ったんだ。

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