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白線を辿る

僕は白線を辿ることにした。
白線は行き先を導いてはくれない。でも、まぁ、先に続いていたりする。足をのっけて歩くには都合が良い。

(吐く息、白い。空、曇り、白濁が流れる。白線日和。)

白線は意外と面白い。白線も積まれた歴史があるらしい。増えたり減ったり、合流したり、別れたり、擦り切れたり、剥がされたり。でも考えて見たら、大体のものがそんなもんか。大げさに考えただけだった。

(なんでもないもの、なんでもあるもの、なんでもないわけではないけど、なんでもではないもの。)

歩く足は、軽いような重いような。景色が徐々に移動する。とはいえ目まぐるしくはない。でも自転車で移動するには線が細すぎる。自動車などもってのほか。キックボードはもっていない。生まれた時から生えてた二本の足を使うしかない。

(足も車輪のようにくるくる回ってくれれば楽な気がする。あ、坂道だと怖いか。ブレーキがほしい。)

白い息が空中に白線をつくる。思いの外、体の芯は熱い。

(ふわふわ、すっと登って、消えて、しゅわしゅわ。シャボン玉?近いかもしれない。)

前から男の子が走ってきた。サッカーボールのドリブル。たったった、黒と白の歪な球形。とーんと、落ちずに跳ねて、向かってきた。白線上のパス。サッカーなんて苦手なのに。
不慣れに胸でボールを受けた。うっ、と息が漏れてボールは気まずそうに白線から外れてとことこしている。

「お兄さんごめん!」

「いいよ、別に。練習?」

「そうだよ!白い線の上でドリブルまっすぐできたらコントロールがうまくなるんだってさ。」

「ふーん。なんかすごいね。」

「すごくないよ。だって強く蹴っちゃってボール浮いちゃったもん。」

「たしかに。じゃあすごくないね。」

「えー?それはそれで嫌。」

「わがままなんだ!」

「そうかな?」

「そうだよ。」
「でも、すごくなれるといいね。」

「うん、ありがと!」

男の子は白線を飛び出したボールを追いかけた。とってこかけて、風を巻き込んでいる。元気だね。
僕の白線はまだ続いている。てくてくは続く。そういや、どこまで行こうか全く決めていなかった。どうしたものか。
考えながらあるくと、連想ゲームが始まったりする。

(どこまで、わからない、わからないもの、UMA?つちのこ、へび、にょろにょろ、こいのぼり、子供の日、あ、さっきの男の子、怪我してないといいけど。)

白線の向こうからくたびれたコートのおじさんが歩いてきた。くわえタバコをしてとぼとぼ。ゆらゆら煙が昇る。

(僕のよりずっしりとした煙、重たく震えて落ちそうなのに登ってゆくから不思議だ。)

「いやどうも。」

しゃがれた声が溢れた。

「どうも。」

「うん、君ここらへん詳しい?」

「どうしたんですか?」

「いやね、なんか道迷っちゃってさ。何処でもいいんだけど、駅に行きたいのよ。」

「あー。ここらへん、白い線だらけですからね。」

「そうそう、タバコなんて吸っちゃうと、混じっちゃって、道がしっちゃかめっちゃか。」

「確かに。」

「まいっちゃうね。」
「で、君どう?知ってる?道。」

「どうでしょう。知ってる気がします。」
「でも、知らない気がします。UMAかな?」

「うーん、それは解明されない謎だ。愉快だね。」

なんだか煙が言葉に、言葉が煙に入れ替わるような浮遊感だ。ぷあぷあしている。気の抜けた音に、言葉に、形に、ゆらりに。

「おじさん、あっちだよ、そこの道、まっすぐ。」

「あ、そっか。そっちか。うーん、さっき行ってみようと思ってやめたとこだ。」

「煙に巻かれましたね。」

「言い得て妙だねって、褒めとくよ。」
「そうだ、これあげるよ。お礼に。」

「なんです?」
「あゝ、これ。」

「うん、最近よくCMでやってるコーヒ。買ったは良いものの、あんましコーヒー好きじゃないこと、思い出したんだよね。どうかな、お礼になる?」

「微妙、といえば?」

「ふーむ、微糖だから丁度いいね。」

ついでに僕は缶コーヒーをもらった。人肌のぬくもり。冷めたのか、温まったのか。あとで、飲めばいいや。
ポケットが缶コーヒーの重さで膨らんでる。体幹が、わずかにずれた感覚がする。腰が少しだけ落ちて、片側が持ち上がる違和感。合わせるために、体をわずかに動かして均等をはかる。体にかける力のアンバランスにぐらぐら白線の上で踊りそうだ。

(あらら、ぐらつく。缶コーヒー一本、でも揺れる。なんだか、綱渡りだ。白線渡り。落ちたらどうしよう。死んじゃうかな?)

しまいには、両手を広げてバランスを取り出す。気分はサーカスだ。目には涙の化粧、口には笑顔、ルンタッタ、ルンタッタ。片足でけんけん、でもパーと開かず白線の上。下は大波、剣ノ山(ツルギノヤマ)、落ちたらたちまち命の藻屑。

(音楽があればリズム、言葉があれば強弱、リズムと強弱でトッテンタッテン。もう缶コーヒー、関係ないじゃん。)

歩いていると、不思議と体のズレは気にならなくなってくる。最初からそれが当たり前だったかのように。適応能力の妙なるかな。

(たとえあっても、慣れてしまえば、肌を撫ぜるそよ風、落ちこぼれた空気がふんわり、限りなく透明に近いホワイトの影だ。)

白線の上を歩き慣れても、掠れて消えては、しまわない。余韻に消える感傷も、白線の上では克明だ。歩く点が積む粒上の時間、関係性が生み出す確定と不確定の楼閣。てこてこ、前も後ろもない、てんてけてん。

(結局、歩いてなにかなるわけでもない、といえばない。あるといえばある。自分で作り出す、有る、無いの失望と希望、なんて考える、希薄な気圏で息をするだけで、にやけてしまう、安上がりな自分だったりする。)

上を向いて、ポカリと考えて、下を向いて、ずんぐりと思考をめぐらしていたら、真っ青なキャンパスが落ちていた。神秘的だ。冷たくてドロドロしている。視線を振り子に左右を見れば、ジャカジャカギターを掻き鳴らすように筆を走らせる絵描きがいた。

「お絵描きさん、お絵描きさん、路上ライブ?」

「どうも、お歩きさん。まぁ、そんなもんだね。小銭でもくれる?」

とろりと油絵の瞳が僕を見た。良い色味だ。

「もうちょっと聴かせてくれなきゃだめだよ。君の時間をもうちょっとのぞかせてよ。」

「そりゃそうだよなぁ。まぁ見ていきな。」

絵描きは口元にそっとこしょこしょ話用の手を持ってきて、本当は言いたくないだろうことを言った。

「実を言うと、そんなに面白くないんだ。」

僕もこしょこしょで返した。

「実を言うと、小銭持ってないんだ。」

絵描きは安心したようにリサイタルを再開した。僕は視聴する。音をみて、絵を聴いた。縦に横にあっちらこっちら青が走る。流れて、とぶんと沈んで、さぁっと晴れ渡った。なるほど、ふむふむ、青だ。

(青が青の青で青々。いろんな青があるもんだなぁ。黄色ぽかったり、赤ぽかったり、緑ぽかったり、青っぽかったり。惚れ惚れするや。)

ため息が出た。ほうっ、と感情が流れた気がする。言葉も漏れ出ていた。

「お絵描きさん、良い青だね。」

「そうかな?そうかもしれない。良い青でしょ。」

「うん、いいよ。なんだか、ロックだね。」

「ロック?どうだろう、僕はバラードだと思ったんだけど。」

「うーん、音楽性の違いだね。もしかしたら、オーケストラに聴こえる人もいるかもね?」

「なんだそれ、じゃあ僕たちは音楽性の違いで解散するバンドマンかな?」

「ははっ、いいねそれ。もうやってられるか!君とは音楽性を共有できない!それぞれ好きなようにやろうじゃないか!お互いのためにね!」

僕はポケットの中に入れていたコーヒーを絵描きに投げた。体が軽くなった気がする。やったぜ。

「うわ、小銭ないのにコーヒはあるのか。」

「うん、それさっきもらったやつ。」

「なんだそれ、巡ってるなぁ。」

「巡るめくコーヒーの旅だよ。コーヒーの明日はどこへ、って感じ。」

絵描きはなんの感慨もなくカシュリと開けて、くっと飲んだ。

「結構行ける。ぬるいけど。」

「なんだ、あげなければよかった。」

「もう、僕のものだよ。」

「とらないよ。」

「それもそっか。」

「あ。」

「どうしたの?」

「白、くれないかな、ありったけ。」

「いいよ。」

絵描きはバケツ一杯の白をくれた。多分200色以上ある白を、ありったけバケツに打ち込んでくれた、虹色の白だ。僕はそれを白線の上に陣取っているキャンバスの上にぶちまけた。空に線がひかれた。

「じゃあもう行くね。」

「うん。またきなよ。」

「会えればね。」

歩き出した。空にひかれた白線を踏んだ。粘着質の白線に、えぐり取るように足跡を落としつけて、白を引きずりながら絵描きをバックミュージックに進む。

(雲は白線か、白か、空か、空気か、水か。音もかき消すような、ダイナミックな宙が嘯く(ウソブク)風の海だ。ちょっとしょっぱいな。)

白線はまだ途切れることを知らなかった。もしかしたら途切れることなんてないのかもしれない。少しだけ不安になる。この白線が終わらないとしたら、いったい自分はどこへゆくのだろうか。

(陳腐な空書き(ソラガキ)、どこからどこへ、どこへまでもゆくように、流れるままに動いてすぎる。)

あるきながら瞬きをする。目を瞑る。開ける。閉じる。歩く。平衡を失う。でも自分が白線の上にいることは何故だか確信できた。

(視界が真っ黒になっても、方向を見失っても、一本の白線で爪弾く、白線上のアリア。観客は自分だけ、閑古鳥が鳴いている。)

暗闇の中を音と風とを感じながら、諧謔(カイギャク)を弄(ロウ)する道化師のような面持ちで進む。前後左右を失って久しく、瞼の裏から見る白線の如く明滅する残照。体は何時の間にか、上下すらも欠いて、無重力の中に浮いていた。空を切るように内在する聖域に向かう身振りで、白線を追い、宇宙へ舞う。

(白線を辿るだけで、こんなところに来てしまった。いや、これは大いなる意思が僕をここへ連れてきたのかも、と思うとなんだか特別になれた感じがして、気分が良いな。これこそ、ワカン・タンカの意志が作り出す、神秘の一端。いいね、なんだか悦だ。)

瞼を瞑って久しく、しかし眼は開いていた。心の目と言おうか、時を刻む自らの鼓動の鳴り響く安寧的空間を見ていた。
きらびやかな花が咲いていた、けれども確かに一欠片の花弁も、影もなく、咲いてはいなかった。
荘厳な命の音楽が空気を揺らしていた。けれども確かに、何一つとして揺らぐものはなかった。

(何もかもがあって、何もかもがないのは当たり前。心象、幻影、現の儚い夢の波。何時だって、理想が目の前にないもどかしさ。)

超常的白線が、広大な空間に希釈され、蠕動(ゼンドウ)する生物となって僕を飲み込むかのような存在感を出している。

(それでも、形も重さも、全部手の内にある。つまりそうか、これが、そう、そうなんだな。)

驟雨(シュウウ)のように浴びる絢爛な生命の息吹が、ただの一顆に収まる全能感が僕を中心に渦巻いてる。
無限へと貫かんとする螺旋構造、留まることを認めない爆熱の衝撃、けれども、ふと我に返るように、白線の先を見る。伽藍堂(ガランドウ)。景色は一掃され、吹き溜まりに積もる、埃の白線。

(あ、消えた。全部、恋い焦がれたものも、風に散って、塵芥。)

荒涼とした砂混じりの、粗い風が体を鑢(ヤスリ)り抜けていった。途端に、ちっぽけになった。気体に浮かび、流れる回転草のような彷徨(ホウコウ)だ。呼吸で踏みつけ進む、綿羽(ワタバネ)の白線、軽い、軽い。

(空が運ぶ泡沫(ホウマツ)の弾けたしずくの一飛沫(ヒトシブキ)。溜息に混じる、熱っぽい諦観。どれもが矮小で、情けなくて、取るに足らないモノ。)

あゝ!とつぶやいて、投げ捨てたくなるような感情に向き合うと、どうやらその白線は、なんのことはない、ずっと、ずぅっと歩いてきた白線に違いなかった。
僕は歩いてきた、この白線を。なんでもなく、使命のように、気まぐれに。白線は、ジュクザクと、歩いてきた、僕の、道だ。

「改めることすら恥ずかしいな。視線すら合わせたくない。目が離せないくらい強烈で、のぼせ上がるくらい魅力的。」

僕は、足を止めた。
重力はここにある。
前後左右、僕はそれを取り戻した。
瞼を開けて、瞳と世界が相対する。
扉があった。
札がかけてる。

『あなたへ』

白線は扉へと続いている。
僕は、ついさっき始まったのか、悠久に時が空費されたのかさえ忘れて、ただ懐かしく思った。

僕は、白線を辿ることにしたんだ。

扉を開けた。
錆びついているのか、重く、固く、焦らすように開いた。

「どうも、よろしく。」

僕は、君を辿るよ。


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