「正しい政治」って無いのかもしれない

 表題のように思ったきっかけの一つは、最近政治に対する意見をSNSでかなり多く目にすることだろう。
 私は基本的に演劇人、広くは表現者が政治について物申すのは作品をもってしてやるのが最善だと思っているので、これはどの政治が良いとか悪いとか支持するとかしないという話ではない。

 けれど、正しい政治というものは実在しないのではないかとかなり前から思っている。

 というのも、発端は漫画『ベルサイユのばら』を読んだことだ。子供の頃である。
 説明するまでもないが、主人公オスカルがフランス革命に燃える姿とフランス王室の衰退を見事に描いた名作中の名作である。読者にとってオスカル様は最高に格好良い、ヒーローそのものだった。オスカル様が傾倒する“革命”というものはとにかく最先端でお洒落で一番信頼出来る「正しい」ものだと信じて読んでいた。
 ところがどっこい、最後まで読むとその「正しい」フランス革命を引っ張っていた努力家のロベスピエールや花のサン・ジュストくんまでもやがては民衆の手によってギロチンの露と消えた、と書いてあるではないか。嘘でしょ。貴方達が一番正しいんじゃなかったの?読者愕然。彼らが殺されたのは処刑をし過ぎたからだとか(処刑のし過ぎってことでまた処刑するのか)諸説あるが、オスカル様が信じていた革命派も、その対立先だったマリー・アントワネットはじめ王室や貴族の人々も、結局どっちが正義ということはなかったのだ。

 自分の信じているものが目の前で崩壊する、初めての体験だった『ベルばら』。信仰を失うような感覚だった。読者にとってオスカル様は神様だったのだ。

 今正しいと謳われている政治も、果たして百年後、二百年後、三百年後にも正しいものだろうか?
 私ははっきりイエスとは言えない。

 現代においてこき下ろされているファシズムや差別も、やっていて楽しい人が存在したのは事実である。百人中百人が納得する政治は果たしてあるのだろうか。

 政治どころか、正義とは何なのか。もはや哲学の域である。

 私は役者だが、悪役を演ずる時は特に「その人にとっての正義」を大切にしている。主人公側から目線を変えれば、悪役だって自分の理想とする世界があり、己の信念のために動いている。
悪役にも悪役なりの「正義」があるのだ。ばいきんまんはドキンちゃんへの愛のために頑張っているのだ。それなのにいつも殴られたり蹴られたりして、顔をすげ替えてはまた殴ってくる怪物・アンパンマンにボコボコにされてしまう。ばいきんまんから見たらアンパンマンの方がよっぽど悪い奴だ。

 このように、視点を変えると悪と正義は入れ替わってしまう。
 オスカル様の正義である革命派は、オスカル様亡き後の主人公マリー・アントワネットの敵として立ちはだかってくる。この“視点のすり替わり”が自然に描かれているのが『ベルばら』の最も凄いところだと思う。ただオスカル様が格好良いだけの漫画じゃないんだぞ。

 何が言いたいのかよくわからなくなってきたが、正義はうつろいやすい。

 こういうわけで、正しい政治は無いのではないか、などと時々思うのである。おしまい。

(※無料記事は基本的に思いつきで書いています。なんだかこの事で文章書けそうだな、と思いついたらその場で書いています。じっくり考慮し練りに練ったものは有料記事にしています。あたいも商人ね。)

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