※終始、腹が立っています。命を軽んじるな!
人間は、さまざまなものに名前をつけるのが好きだ。名前をつけることによって、初めてそこに「概念」が誕生する。言葉があって、初めて成り立つのである。
命(いのち)というのも、1つの概念に過ぎない。
目にも見えないし、形にも表せるものではない。ただ、そこに確かに命が存在しているということだけは、誰にでもわかる普遍の事実である。そして、誰しもが「いのち」を大切にしなければならないと思っている。それが何者なのかもわからず、見たこともないのにだ。
言葉というのは、名前というのはとても不思議なものである。
さて、毎度noteを書くときは、取り止めもなくPCを立ち上げて、ニュースを読み漁り、自分の頭にパッと引っかかったものを題材に、何を結論にするのかも決めずに描き始めている。私の書くnoteを初期からずっと読んでくださっている方は、おそらく0に近いのではないかと思っているので、誰も思ってなどいないかもしれないが、誤字脱字も目立つし、結局何が言いたいのかわからないものが多い。
決めているのは、一番最後に「しらんけど。」という決め台詞を入れるということだけ。
だから、今回のnoteも結論は特に決めていないが、とにかく自分の心に何か刺さることがあったらからテーマを決めて書き進めていることだけは事実である。(コギトエルゴスムってやつに似てますね)
今回は、ゲノム編集を生業にしている企業を取り上げて、いのちについて考えてみる。
株式会社セツロテック
株式会社セツロテックは、ゲノム編集受託サービスを提供する会社である。詳しくはHPを見ていただければと思うが、ゲノム編集とは、いわゆる任意の遺伝子情報を書き換える技術のこと。
遺伝子組み換えとはニュアンスが違うようで、ゲノムは「遺伝子を書き換える技術」で、遺伝子組み換えは「元々なかった遺伝子を組み入れる技術」のことらしい。
これに関しては専門ではないので、ぜひご自分で調べていただければと思う。
同社は、ゲノム編集の技術を用いて、遺伝子が書き換わっているマウスやその他の動物を誕生させ、提供するという事業を展開している。
便利な技術だとはわかっているものの…
遺伝子組み換えやゲノム編集は、便利な技術やし、世の中を変える発明であることもわかっている。しかし、どうも遺伝子を組み換える、書き変えるということに違和感を覚えてしまう。
ピアスやタトゥーを体に施すのと同じ感覚なんだろうか。髪の色を染めるのと同じ感覚なのだろうか。(ちなみに私は、タトゥー以外は経験済みなので、自らの体に何かを施すという経験をしてしまっている。)
これらの行為を当たり前のように行えた自分が、なぜゲノム編集にこれほど抵抗を覚えているのかがあまり理解できない。そしてこの感覚は、多くの人が持ち合わせている感情なのではないだろうか。
命を壊しているように感じているのだろうか。神に逆らっているように感じるのだろうか(like バベルの塔)。この感覚がいまだに自分の中で整理できない。
ここまでざっと考えてみて思って出た結論でいくと、
・体にメスを入れることに抵抗を持っているわけではない
・神に逆らっている感覚を持っているわけではない
・ゲノム編集や遺伝子組み換えには大きな抵抗がある
ふむ、難しい。
「いのち」と言葉とまとめ
つまるところで言うと、私は遺伝子組み換えによって自らの体が壊されるとか、変えられるとかっていうことに対して抵抗を覚えているわけではないということだ。
ふと思いつくのは、未知なるものへの恐怖と、このHPに書いてある「動物簡単に作れるで〜」的な文言が嫌いなだけかもしれないということ。
つまり、私の中での「いのち」という概念は、体や遺伝子によって構成されてるわけではないということがわかった。あくまでもただの概念であり、物理的に外傷を受けることで、いのちを邪険に扱っている認識は生まれなかった。(これは少なくとも私の場合であり、ピアス等をしない人はわからない)
「言葉」というのは不思議である。
ただの音や文字から構成されているものでありながら、相手にさまざまなことを想起させることができる。
今回、私がゲノム編集に対して不快に思ったのは、私が思う「いのち」を、言葉によって軽率なものとして扱っているように見えたからなのではないだろうか。
「いのち」とは、他者から軽率に扱われてはいけないものなのではないだろうか。
しらんけど。
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