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京都から島津発祥の地都城を思う

都城文化誌『霧』84号(2009年3月発行)より

 5月、とある会合で京都に行った。高校の修学旅行以来27年ぶりのことだ。前回は行けなかった金閣寺と町屋めぐりを観光に入れた。
 読んでみたい三島由紀夫の『金閣寺』、まずは実物を先に見ておこうかと思ったのである。

 開門の朝9時ごろに到着したが、すでにたくさんの観光客でごった返していた。写真を撮るのに人が写り込まないようにするのが難しいくらい。多くが修学旅行生と外国人。中国語や韓国語があちらこちらから聞こえる。
 金色に輝く舎利殿(しゃりでん)と庭の静かなたたずまいを拝めると想像していたのは間違いだったようだ。

2008年5月11日 筆者撮影

 そんな中、同じ服装の年配の男性たちが、修学旅行生のグループに各々ついて、金閣寺を説明している。ボランティアの人たちだろうか。 私は、あるグループの後ろについて移動し、案内人の解説を高校生気分でぬすみ聞きすることにした。

「金閣寺は1994年(平成6年)世界遺産に登録されました。しかし実際は昭和30年に再建されたものなのです。昭和25年に学僧が放火して炎上、消失してしまったのです。」
うんうんと後ろでうなずく私。 
「昭和62年には金箔の全面張り替えをしたので、このように輝いてきれいな姿なのですよ。費用は7億円ほどかかりました。みなさん高いと思うでしょう。でも、その7億のお金、翌年の拝観料でまかなえたのですよ。」 
 拝観料が年間7億円! たしかに朝からこの人出の多さ、きっと日本一稼ぐお寺に違いない。

 翌日の月曜日は、町屋めぐりをした。昔からのお菓子屋、味噌屋、お茶屋とどこも風情のある建物を大切に使って営業を続けている。三丘園(さんきゅうえん)という町屋で坪庭をながめながら食べたわらび餅と煎茶が美味であった。

 呉服屋が所有し、入観料500円をとって公開している紫織庵(しおりあん)という町屋も見た。京都の家は道路からながめると間口が狭いので、小さい家かと思うが、中に入ると奥に向かってけっこう広いのである。昔、間口の広さで税金が決まっていたためだそうだ。
 紫織庵は1枚も割れていないという大正時代の〝波打ちガラス〟が自慢で、広縁からガラス戸をとおしてながめる中庭も素敵だった。節句ということで、鎧兜(よろいかぶと)やかしわ餅の飾りもあったが、夏は御簾(みす)が下げられるなど、涼しげなしつらいに変わるそうだ。蔵や広間には復刻の着物なども展示してあり、奥はオフィスとして使っているそうだ。

 案内の若い女性の話では、ときに心ない人からトイレに落書きされたり、故意ではなくても襖(ふすま)や障子(しょうじ)が破れたり壁が壊れたりする事もあるとのこと。
 文化財指定をもらっているので、その補助金や入観料を修理や管理費に充てているとのことだった。文化財を大切に守っていく事の責任はたいへんなものだと思う。

2008年5月12日 筆者撮影

 都城市では、島津邸宅と庭、貴重な史料を展示収蔵するための史料館建設など整備が始まろうとしている。多くの見学者に来てもらいたいものだが、それは床や畳のすり減りや壁、襖などの傷みもまねくということだ。
 また、台風で瓦が落ちたり、植木に被害が出たりする事もありうる。そうでなくても、時間経過による老朽化の問題があろう。
 なるべく長期に元の姿を維持できるよう、修理や管理をしていくには、やはりそれなりのお金が必要になる。そこで、多くの来訪者にお金を落としていってもらえる仕掛けづくりがポイントになってくるだろう。

 金閣寺では、拝観料以外にもお金を使った。まず病気がちの友人にお守りを買ったし、敷地内のみやげ物屋では、母に和柄の携帯ケースや記念に自分用ハンカチも買った。
 ここでしか売っていないというまんじゅうも食べてみたかったが、にぎやかな茶処(ちゃどころ)では恥ずかしくて、遠慮してしまった。お気楽な一人旅もこんな時は連れが欲しいと、まんじゅうを食べなかった事が今も悔やまれる。

 金閣寺ほどの収入を・・・とは言わないが、せめて維持費だけでも文化財自身が稼げるようであってほしい。
 過去の何かの議事録で 
「文化で飯は食えない。文化にお金をつぎ込むよりほかの事に・・・。」 
というような発言があった。都城市民会館の存廃問題で、いろいろとインターネットで調べていて発見したのであるが、 
「文化で飯を食おうじゃないか。工夫次第で食える!」 
と私は叫びたい。 

 昨年あたりから島津に関する講演会やまちづくりのシンポジウムが開催されるようになり、今年のNHK大河ドラマ〝篤姫(あつひめ)〟では、島津の名の発祥が都城であることが全国に流れた。
 観光案内ボランティアの養成講座も始まり、この秋に〝島津発祥まつり〟が大々的に開催されるなど、市とともに観光協会・史談会・商工会議所・・・など多くの民間の協力もある。全国区へと打って出る今後の都城が楽しみである。

 都城がもともと持っている個性、都城ならではの文化や歴史をうまく発信していく事で、文化的にも経済的にも、潤いが都城にもたらされるに違いない・・・と京都を旅して思うのであった。           

■付記・・・2022年5月記
◇都城島津邸は国宝・重要文化財を適切に保存展示できる施設として文化庁長官が認定する「公開承認施設」である。「公開承認施設」は宮崎・鹿児島でも2ヶ所のみ。 
◇都城島津家伝来史料が2022年、一括して宮崎県の有形文化財に指定された。 
◇都城島津邸の本宅は、国の登録有形文化財・市の指定文化財に指定されている。

大木の右奥が島津伝承館 2022年11月22日筆者撮影
島津邸入り口
島津邸宅(表題写真の右側に続く部分)


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