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ひとつの生産機械

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です

宮沢賢治『春と修羅』

人間を1つの生産機械だとみたときに、インプット・スループット・アウトプットに分解することができる。人はよく目標を立てるが、このとき設計できるのはアウトプットのみだ。目標を立てたのち、打ち手・実行計画もあわせて設計することで、この3つを一旦考慮することができ、目標の達成確度もあがるものの、片手落ちな気がする。

人間には性格や感情、癖がある。確かに、組織や国家という、マクロな主体を考える際には、そんな個々人の特性全てをすくいあげてたら、何もできなくなる。いっぽう、僕を含めた多くの人は、そんなマクロな主体として、思考したり、実行する義務はない。自分を善く運営できればよいのだ。自分の特性を無視してアウトプットを最大化する義務もない。

とはいってもやはり。人間は、よりよい何かを求めて、目標を立てる。それに向かって何かをする。そういった営みをすることもある。目標未達であったり、そもそも目標を忘れたことにしてやり過ごすのは、自分との約束を反故することになる。自分自身への与信が下がる。それはそれでいただけない。では、どのように日々を善く暮らせば良いのか。

一つには、マクロな主体と同じように、プロジェクトマネジメントを行い、何かを達成していくことだろう。目標-打ち手-計画を立て、WBSを引き、タスクをDoする。遅延があれば、PlanBを立てる。そういう進め方もある。

ただ、冒頭に書いたように、この進め方は自分の感情をおざなりにしている。マシーンとして、思考停止して、達成目標に向かって推進しているだけだ。潜水して、どこまで泳いでいけるか競っているように。

なので、もう一つの暮らし方として、そもそも達成目標=アウトプットを立てないというのもあるだろう。その代わり、インプットやスループットを対象に、自分との約束を立てる。インプットを対象に、好きな本を読む、他人からのおすすめを実行してみる。スループットを対象に、自分は何を・どのようにしているときが気持ちいいか、何を・どのようにしているときが一番非生産的か。そもそも、どう生きたいか。生きた先に何になりたいのか。そういったことを自分と会話してみる。期限を決めてもよいし、決めなくてもよいだろう。なぜなら、この案には目標がないから。今を善く生きるための方法だから。

僕らは息継ぎをしていいし、歩いてもいい。自分自身の人生においては、潜水で何m泳げるかより、水の中でどう楽しむべきか考えてもよい。その結果、肺活量や潜水記録が伸びることもある。

達成目標=アウトプット起点で、逆算してインプット・スループットを制御しても良いが、インプットやスループットを起点に考えてもいい。自分の人生だ。インプットを好むのならば、スループットの構造を理解したければ、それをすれば良い。その果てに、爆発的にアウトプットが拡大することもある。

副業で何をするかと、いろんな事業計画を考えていたときに、粗利いくらをいつまでに、そのうち手はあれとこれで、スケジュールは、、として思考を進めていた。これはこれでこの計画通りに実行を続けているのだが、ここから出てくる打ち手は正直そこまで滾っていない。一方で、自由時間のなかで行っていた読書や運動などなどから、突然閃いた計画もあった。もちろん独りよがりビジネスは何にもならないので、「顧客が欲しがる商品を、顧客が自ら進んで支払う価格で供給する」必要があるし、後者の方が粗利があった、とまではまだ言えていないのだが、こうして事業を思いついていくのが、健やかかもな、と思った。


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