私がおるよ(”なんか体調悪い”はズルじゃなかった・17)

改めて。

当時、凄く不安やったんやろうなって思います。

☆ ☆ ☆

マンモス校と言われる中学校ならではの生徒の多さ。

賑やかなクラスメイトに馴染めない自分。

苦痛すぎる大きな声や物音。

苦手な物、嫌いな物がどんどん増える息苦しさ。

「志望する高校に受からなきゃ意味がない」

とでも言われたかのように追い立てられる圧迫感。

小学校とは違って、

テスト後に学内順位を突き付けられる怖さ。

頼りたいけど忙しくて相手にして貰えそうもない両親。

学校行きたくないと伝えても分かって貰えない辛さ。

出口の見えない閉塞感。

☆ ☆ ☆

そんな暗い状況の中でも、

なんとか日常を普通に回そうとしていた息子でしたが、

体が最初に限界を教えてくれました。

食べられず、寝られず、顔色は勿論悪く、生気がない表情ばかり。

自分の子供と言えど他人だと思っている私ですが、

「自分だったらどうだろう」と想像したら、

「逃げ道なさすぎで鬱になるわ」と辛くなりました。

今の私だからこそ言えるのですが、

「長い目で見ればたかが3年の中学校生活。

 十代の子供がここまで追い詰められなきゃいけないのか」

と、彼の気持ちを思うと自然に泣きそうになりました。

☆ ☆ ☆

他の記事でも書いてあると思いますが(多分)、

専門家に相談したうえで

① 無理な登校を止めて、

② 食事は少な目を回数を多くとるようにして、

③ 無理のない範囲での自宅学習、

④ 無理のない範囲での散歩や買い物の荷物持ち、

⑤ 昼夜逆転生活にならないように注意して、

⑥ ゲーム依存、ネット依存にならないように管理して、

⑦ 専門家のカウンセリングを受け続け、

⑧ 体も心も少しずつ健康に戻していこう

という方針を取りました。


それとは別に私が考えて実行していたのは、

☆ 優しく、でも優しすぎず。できることは自分でやらせる

☆ 「生きているだけで嬉しい」と伝え続ける

☆ 「家族がおるから大丈夫」と伝え続ける

☆ 良いところは瞬時に褒める(すぐ忘れるのを防ぐ為)

☆ 専門家のアドバイスを素直に聞いて楽になろうと伝え続ける

☆ 「不登校でもやっていけるから心配せんでいい」と伝え続ける

☆ 「いろんな人がおるから、噂話は気にするな」と伝え続ける

☆ noteを通じて、ASDの子&家族の1例をシェアする

 (誰かの参考になったら嬉しいから) 等でした。

 ※息子や娘の様子を書くことは本人に説明&了承を得ています。

☆ ☆ ☆

不登校になった当初、

不登校への罪悪感で心が安定しない息子に

「お母さんがおるから大丈夫や」

と一日に何度も繰り返して伝えました。


ASDに関する知識がまだ少なく、

知ったかぶり情報を伝える事が嫌だった私は

とにかく一人じゃないから安心していいと伝えていました。

仕事を辞めて物理的にも傍に居ることで

口だけじゃなく「本当に一人じゃないんだ」と理解して貰いました。

少し落ち着いてきてから

ASDに関するカウンセリングを受け、

低いハードルを息子と一緒に一つずつ超えることで

小さな自信とASDのノウハウを少しずつ積み重ねてきました。


今、息子はまだ不登校なままで学校復帰する可能性はゼロです。

それでも―――。

以前に比べて心は少しずつ安定し、

たいして体重は増えないけれど背は伸び、

健康的な顔色になりました。

学校に通っているお子さんと同じようにはいきませんが、

勉強も彼なりに自宅で続けています。


そうして少しずつ明るい要素が増えてきたからこそ、

あの時にまず心のケアを最優先だと考えて、

「一人じゃない。私がおるよ」

と言い続けてきてよかったと言えます。


大事な心が安定したからこそ、カウンセリングをもとに

ASDであるという事実を共有し、

ASDは、短所だけではなく長所でもあるという見解を認め、

ASDでも自分なりの工夫と周りの力を借りて乗り越えることができるという明るい未来図を見せることができたと思います。


まずは心を安定させて、少しずつ健康を取り戻すこと。

成長はその後でいい。

不安定なベースの上に大事な物や大きな物は乗せられませんよね(*^_^*)

それでよかったんだなと改めて感じました。


今回の話はASDではないお子さんに当てはまるかどうかは分かりませんが

小さな体験談が回りまわってどなたかの糧になるといいな。

最後まで読んで下さってありがとうございました☆


優しいお気持はありがたく、ちゃっかり頂く方針にしました💖