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「言葉にできないこと」も言葉に落とし込むのが物書きの習性だから

「ぎゅう」は水の中にもある。

「ぎゅう」というのは、私のお気に入りの漫画短編集に収録された作品に出てくる、概念のようなものだ。
下記はその短編集のAmazonリンク。

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「無色透明のとってもやわらかい」とされる「ぎゅう」は、作中で空間に詰まった不可視のかたまり、のように表現される。主人公にはそれが見えていて、「でっかいぎゅう」に乗って飛行機が飛ぶ高さまで登ってみたりするのだ。

水の中の「ぎゅう」

話を戻そう。
私が泳ぐときに感じる感覚と、この「ぎゅう」という概念は、とてもよく似ている。
プールに満たされた水は「一つのかたまり」ではなく、いくつかの「ぎゅう」の集まりだ。私は、その隙間に潜り込み、滑るようにして泳ぐ。

空気よりも重く密度の高い水の「ぎゅう」は、弾力に富んでいて、壊れにくい。無理矢理かたまりの中を突っ切ろうとすれば、すさまじく無駄な力が必要になる。

だが、「ぎゅう」の境目を滑っていれば力はいらないし、弾みをつければ「ぎゅう」が……水が、体を後押ししてくれる感覚すらある。

この「ぎゅう」を、感じ取れる日と感じ取れない日があって、昨日は後者だった。
単純に調子が悪い日だったのかもしれない。プールの水は一塊の流体で、境界を探しても見つけられず、蹴った水は私を後押しせずに逃げるだけだ。

「ぎゅう」に代わる言葉を探している

私は、物心ついたころから水泳を習っていて、もはや泳げなかった頃を思い出せない。泳げない、ということが理解できないと言ってもいい。
だからこそ、水と触れ合う楽しさや、水の力に逆らわず泳ぐ、弾むような心地を、誰にも伝わる言葉で表現したい、という気持ちがある。

この「感覚の言語化」は、いまだに「成功した」という手ごたえを得られたことがない。
しかし、「ぎゅう」は大きなヒントになった。

いずれ、私も「ぎゅう」のような……イメージを、感覚を、人に伝えられる言葉を見つけたい。

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