ChatGPTを試す : AIと文芸作品の創作・読解に関わる若干の考察 【エッセイ】
文章生成AIであるChatGPTが文芸創作に関与すると何がもたらされるのか。AIは作品のレベルアップに資するのだろうか。
この課題を解くため、自分の作品を対象にちょっとした実験をしてみたところ、ChatGPTの傾向をいくぶんか垣間見ることができたような気がしたので、報告してみたい。
対象としたのは私が以前にnoteに投稿した小話集である。Twitterの文字数制限(140文字)を意識してつくられているので、話の一篇一篇は非常に短い。同時に、一応は完結したストーリーらしきものを有しているので、この種の実験には適していると思われた。
この記事の中から「壺」と「旅先にて」の二篇を対象とし、ChatGPTに対しては「このお話を改善して」という指示のみを出した。
結果は次のとおり。
「壺」
(オリジナル)
変なものができた。妙な具合に曲がりくねっていて、どこに通じているのかわからない空洞ができている。耳を澄ますと、空洞の奥から楽隊の演奏が聞こえる。 私は趣味で壺をつくっているが、何か手違いがあったらしい。
(ChatGPTによる改良版)
私の作った壺に、不思議な変化が起きた。曲がりくねった空洞ができて、どこに続いているのか分からない。しかも、壺の中から音楽が聞こえてくるのだ。私は壺作りが趣味で、いろいろな形やデザインの壺を作っているが、こんなことは初めてだった。 不思議な空洞に漏れ出る音楽は、どこか神秘的な響きを持っていた。そして、それは私の中に、新たな創作意欲を呼び起こすことになるのだった。
(評価)
文字数制限を課していないこともあるが、改良後の文章では、語り手である「私」に寄り添った記述が丁寧に行われており、展開がわかりやすくなっているように思える。
一方で、違和感を感じたのは結末部分である。「それは私の中に、新たな創作意欲を呼び起こすことになるのだった。」というエンディングには、もっともらしく(予定調和的に)物語をまとめあげようとするChatGPTの志向が垣間見える。しかし、オリジナルの作者である私には、この作品を、奇妙な出来事を淡々と描くことで不思議な感覚が残るものにしたいという考えがある。その観点からは、ChatGPTによって付け加えられたエンディングは余計であり、作品の風味を壊してしまっている。
二篇目は次のとおり。
「旅先にて」
(オリジナル)
ビジネスホテルで一泊。騒音と揺れで目が覚めた。窓を開け様子をうかがうと、目の前の道を上杉謙信の騎馬隊が、土けむりを上げて走り抜けていく。 私は仕事がら各地を旅するが、歴史ある街では似たようなことがよくある。
(ChatGPTによる改良版)
ビジネスホテルで一夜を過ごしていたある日、騒音と揺れで目を覚ますと、窓を開けると目の前の道を上杉謙信の騎馬隊が土けむりを上げて駆け抜けていく光景に遭遇しました。私は仕事で各地を旅することが多くありますが、歴史ある街ならではの不思議な体験に興奮しました。その壮大な光景を通じて、歴史の魅力や過去と現在が交差する瞬間の神秘さを再認識しました。この体験をきっかけに、今後も歴史ある街を訪れて新たな発見を求める旅を続けることを決意しました。
(評価)
この作品の場合も、改良版では作中の「私」に寄り添った記述が行われ、一見、わかりやすくなっているようにも思える。しかし、作者の違和感はさらに増幅した。
オリジナルでは、「私」は旅先で出会った不思議な出来事を「よくある」こととして、淡々と受け止めている。しかし、改良版では「私」は「興奮」しているようだ。「その壮大な光景を通じて、歴史の魅力や過去と現在が交差する瞬間の神秘さを再認識しました。」とか「今後も歴史ある街を訪れて新たな発見を求める旅を続けることを決意しました。」といった「私」の心のドラマは、唐突であり、空疎であり、滑稽ですらある(と作者の私は思った)。
この作品のリアリティは、作中で起きていることがいかに奇妙な出来事であっても、作中の「私」がそれを淡々と受け止めるていることで担保できている(と作者は思っている。)。歴史ある街には地霊(その土地に沁みついた記憶)が棲んでおり、鋭敏な「私」は旅をするたびに超常的にそれを感じ取っているといったニュアンスを感じてほしい(と作者は勝手に思っている)。だから、作中の「私」が「興奮」したり、「再認識」したり、「決意」したりすることで、作品の世界観が台無しになってしまった(と作者はかなり不満に思った)。
ChatGPTはちょっと奇妙で謎めいた物語の風味をそのままにはしておけず、作品の世界観を壊してでもわかりやすい人間ドラマを仕立てあげたいらしい。
まとめ
AIに対してむきになっても仕方がないだろう。私はChatGPTを否定しようとしているのではない。しかし、それでも引っかかる。ChatGPTに垣間見える傾向は、ChatGPTが学習していると思われるネット上の膨大な情報から生じているものと考えられる。いわば人類の集合知である。従って、人類の大部分はここに取り上げた作品に関して、ChatGPTによる改良版の方を好むかもしれないのである。
このちょっとした実験を通して私は、AIがさらに発展し、より高度かつ巧妙な方法で「作品」や「物語」を人類の多数が好ましいと感じる方向に導いていくようになっていったとしたらどうなるのだろうか、などと考えざるをえなくなったのである。
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