頼まれてもいないのに人の課題に踏み込まない
自分のことよりも、周りの人のことの方が見えやすかったりする。
特に家族や同僚など身近な人に対してよく見ているが故に
「もっとこうすればいいのに」と思うこともあるかもしれない。
そこで手助けをしたりアドバイスを良かれと思ってするのだけど、
相手が変わらなくてイライラしてしまうなんてことを経験したことがある人は少なくないと思う。これは誰も喜ばない結果を招いている。
人は自分の課題を果たすことに精一杯なハズ
そもそも人は変えられない。それに本来は自分自身の課題を果たすことに精一杯なハズだ。アドラーは人間には仕事、交友関係、愛(家族関係)という3つの大きな課題があるという。それぞれのテーマで自分が望んでいる結果を出すこと、成長すること、それを通じて貢献することがやるべきことで、それは人によって違うから正解なんてないものだ。
自分だって他人から色々言われたら良い気はしないハズ。余計なお世話だ、放っておいてくれと。人の課題に首を突っ込むと待っているのは反発されるか依存されるかだ。なので相手が自分の力で乗り越えられると信じて見守ることが周りができることだと”一般的”には思う。
本人が自分の課題を分かっていない、悩んでいることもある
そういう時は相談した方がいい。
ちょっと喩えが違うかもしれないけど、困った時は自分から尋ねる相手を選んで聞くのが無難だという自論がある。例えば海外旅行で変な人に騙されたという話を聞くことがある。詳しく聞くと、声をかけられてついて行ったら、とか、その通りにしたら騙されたと。
こちらが頼んでもいないのにおいしい話を持ちかけてくること自体私は怪しいと思ってしまうのだが、これもまさに自分が望んでいない時に踏み込まれて変な目にあったというパターンではないかと思う。自分が望んでいない時に他人に何か言われてもロクなことがない。
一方で自分が困った時は躊躇なく人を頼っていいと思う。自分も頼られたら力になりたいと思うし、困っている人を助けるのが嫌だという人は少数だと思う。中には断る人もいるけど、それは何か事情があってだろうと私は理解するようにしている。実際はほとんどの人が助けてくれる。
私はそれを経験で知っているから躊躇なく「助けて」が言えるのだけど、中には「人を頼ってはいけない」とか頼ることが人に迷惑をかけることだという思い込みをもっている人もいる。そのような人には勇気のいることかもしれないけど、尋ねる人を間違わなければ、問題が解決できたり、楽になれたり、可能性が広がったりと良い未来が待っているので是非声をあげてみてほしい。
尋ねる人を間違わなければと言ったのは、間違えると変なアドバイスや見当違いな答えが返ってくる可能性があるからだ。
お節介なアドバイスをくれる人ではなく、プロに相談するのが確かだ。なぜなら悩んでいる人は自分が本当は何に悩んでいるのかを分かっていなかったり、本質ではないことに対して困っていると思い込んでいることが多々あるからだ。相談を受けた側が相談者の言葉通りをそのまま捉えるのではなく、本質を見つけられるスキルを持った人に相談しないといつまでも解決はしない。
まとめると
周りの人に対して「こうしたらいいのに」と思うことがあって口出ししてもイライラするだけ。他人は他人、自分は自分で自分の課題を果たすことに努めよう。踏み込まないし踏み込ませない。
困ったら自分一人で解決しようとせず「助けて」と声をあげよう。ただ相談する人は考えた方がいいと思う。
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