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Pしんぶん その3

・本所甘いしょっぱい攻撃


特等席

 寒くなるとね、もんじゃの季節かなぁって思います。年季の入った鉄板で手を暖めながらね、コテになすりつけた溶岩の如く熱いやつ、どろどろとしたあの生涯固まらないお好み焼きみたいな奴を頬張ると、口ん中が一気に熱せられ、ソースとうどん粉と微塵切りキャベツの溶解物の旨味が押し寄せてくる訳です。このままじゃ大火傷じゃぁ~という時に、ビールと言う名の特別消防隊をささっと流し込む。黄金色の麦酒がきめ細かい泡と共に、口の中を穏やかに取りなしてくれるという寸法。

 開け放たれた入り口(できうれば木製建具のガラス戸が素晴らしい)を最初は寒いじゃないかって思うけど、数分も経てば、ちょっとした木枯らしも涼風で、明太もんじゃに餅入れるのか、そばもんじゃにチーズ入れるのか、カレーもんじゃは2つ目か3つ目、ちと飽き始めた時の変化球に頼みたいとか、お品書きとにらめっこしつつ、時にはおせんべ作ったりしつつ、食べ遊ぶ醍醐味に浸る。

  そうなんです、もんじゃは遊び食いの極み。子供の頃言われませんでしたか?遊びながら食べるんじゃないって。行儀悪いからダメって叱られたりね。叱られないのがもんじゃなんです。鉄板の隅っこで自分専用の陣地を作ったりしてね。

 本所の住宅街の小さなもんじゃ屋を教えてくれたのは、北割下水の師匠。子供の頃から来ていたと。無駄に海鮮なんか入れて料金のかさ増しをしない。飲み物は自分で出して会計時に自己申告。ビールが大瓶という本寸法が嬉しいじゃないですか! 

 〆は勿論かき氷。なにせ元氷屋さんですからね。氷の美味しい温度を知ってるし、自家製すいを作って先にかけるから一層美味しい。これぞ本所名物甘いしょっぱい攻撃の真骨頂。おばあちゃんひとりで大丈夫?はい、心配しないで下さい。忙しい時は息子さんが手伝いに来ますんで。

不過分のない適量氷あんず

・銀の輔 京都見物すこし


何度でも往復したい

 鴨川も桂川も良いけど、白川の流れに心寄せる者です。その鴨川の合流地点からずんずん遡り、巽橋もさっさと越えて河原町通りも越え、川筋が思い切り左に曲がってからがお楽しみ。そうですねぇ、知恩院がポイントじゃないかと思います。

 最初は華頂道と白川筋が交差する先の古門前橋の上に立つんです。真っ直ぐに続く穏やかに流れる川がきらきら輝きます。護岸の遊歩道では、大きな柳の地面に付きそうに伸びる葉が、さわさわと風に揺らぎます。

 橋の近くには川面まで降りられる小さな広場があって、近所のおじさんが鴨に餌をあげています。きっと毎日のように来てるんでしょうね。鴨たちも慣れたもので、おじさんの手から餌を貰ってる。界隈にはこれといったお店がないので、観光客が押し寄せることもなく、近所の学校の学生や生徒がいるくらい、いたってのんびりムード漂います。

 そんな緩い雰囲気のままに一本橋。欄干もフェンスも無くて、無防備この上ない、橋というよりは向こう岸への渡り廊下みたいな感じです。銀の輔が立ってる橋はまだ良い方で、この半分以下の幅しかない一本橋もあって、すれ違うなんて無理。日頃通り慣れてるご近所さんはすいすい渡るけど、こちらはおっかなびっくり。自転車で渡る人もいるのかなぁ? 子供たちは目をつぶって渡るなんて空恐ろしい通過儀礼めいたものがあったりしてね。 
 川筋から斜めに伸びる古川町商店街というアーケードがあるんです。京都はアーケード商店街が少ない。余所者の僕が知ってるのは三条商店街と出町柳の舛方商店街くらい。でもここが一番渋くて可愛い。新しい店も増えたけど、脇道に逸れると年季の入った住宅がお互い寄り添うように並んでます。そこに緑色の京都新聞の宅配袋や毎日牛乳のプラ箱が下がってるだけで頬が緩む、単純な東京者です。

 ゆったり白川も三条通りを潜ると、急に川幅が狭くなります。一旦川を離れた白川筋が再び川沿いに戻ると、これまでとは一味違う散歩道に模様替え。天突く大鳥居まであと少し。

完璧な玄関先風景

・今日も銀座に行かなくちゃ…

 スクラッチ&ビルドは世の常で、東京ならなおのこと、寿命が尽きていようといまいと、どんどん壊してどんどん建てます。それはそれで諦めているけど、街のランドマークみたいな建物が消えると、やっぱり少し寂しいような切ないような。

 銀座的に言うと、最初にむむっと思ったのは伊東屋かな。あの階段三昧なフロア移動、楽しかったですよね。同じ階段趣味でもソニービルはまたモダンで、地下のドレミファ階段と共に意味なく行き来しました。今となっては松坂屋のザ・デパート感もようございました。そして三愛です。四丁目交差点じゃぁ一番小さいのに、あの茶筒ビルの存在感は、他の3棟とは異次元のスタンスでした。歌舞伎座と新橋演舞場については、もう何も言いません。言い出すと止まらなくなるに決まってますもん。

 八丁目のどん詰まり、入り組んだ道路の向こうは汐留な一角にあった中銀カプセルタワービルの異彩振りは、よく西銀座通り隅っこの中部放送ビルと並び称されたけど、あのレトロ近未来感は群を抜いていましたよね。解体前はちょっとした盛り上がりを見せ、個々のカプセルは世界中に拡散されたみたいだけど、まぁバラけちゃったら正直意味がない。そういう意図で黒川先生は拵えたんでしょうけどね、あの不規則な集合体にこそ大いなる意味があったように思います。

 騒がしいプチブームは去り、もういいだろうと出掛けてみたら、既に白い囲いに覆われた更地でした。消えてみると、もうここにあったことすら確信できない見事な引き際。変わらないのは真ん前の地下駐車場入りぐりばかり……と思ったら、ありましたよ、街路樹の隣の不思議な傾斜角を備えたコンクリプランターが。カプセルタワーとセットだったかどうかは定かじゃないけど、どこか異次元の忘れ物みたいな気がしてます。

ある時期までおしゃれだったはずのプランター


 気忙しい師走に入って、大塚もバタバタしてる今日この頃。「いよいよ足場が掛かりましたね、ひょうたん島」と僕の顔を見るなり話しかける鐘ヶ淵さん、折戸通りからちょいと脇に逸れた小道の一角で、早朝から営業する謎めいたバーを営む人だ。「いいんですかお店?」、「大丈夫ですよ、ユキちゃんが店番してるからね」。バーKのお客だったユキちゃんは、いつの間にかカウンターの内側の人になった。バーと言ってもコー匕ーを売りにしてるし、常連さんは近所のお年寄りと女子高生ばっかり。怪しい店が多い大塚でも屈指の変な店だ。

「上はバッティングセンターだったから、同じサイズのビルよりは早く解体するかも知れません」、「あの斜前、富久晴の向かいの建物も、随分できてきましたよ」、「解体前のビルは空き家年数がやたら長かったですね」、「最後の入居は養老乃瀧でしたか…」。養老乃瀧は角萬の坂道にもあったんだ。チェーン店居酒屋の走りだ。

「そうそう、写研も解体中でしたね」、「写真植字研究所…、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いで、書体デザイナーも沢山輩出しました」。誰もがお世話になってるフォントの源流のひとつで、大塚随一の有名企業だった。「時代の趨勢ですかねぇ」。

 「鐘ヶ淵さん、最近北口商店街は羊が推しみたいで、昔からあった鰻の店は羊しゃぶしゃぶ、こないだまで焼き鳥屋だったとこも羊で」、「あとは焼肉屋に牛丼屋にとんこつラーメン。牛豚羊ストリートですな」、「鶏の立場がないんです」、「大塚北口濃厚民族系商店街です、フフフ」。

 あっさりすっきりさっぱりが少数派というのも残念だけど、まぁパン屋も和菓子屋も増えない街だからな。「辛うじて孤軍奮闘するのがお蕎麦屋さん」、「大塚駅の自由通路にも出来たしね」、「JR系の駅そばです」、「他店と比べて中高年のお客が多いってのも面白いですね」、「中年夫婦の食事風景をよく見ますよ」。食周りを見渡せば牛豚羊、さっぱり系の頼みの綱は、意外と多い蕎麦屋かも。


編集後記のようなもの
 嬉しいなぁ、広告欄が埋まりましたよ。ご協力ありがとうございます。まだまだ募集します。もう一段くらい作ってもいいし、何なら別ページにもこそっと入れますよ。

 久し振りに銀の輔と京都に行ってきたんですが、まぁ恐るべき大混雑。東京がこんなですから、世界の京都なら推して知るべし。いくら混んでも楽しい町なのが困りものです。

 大感謝配布協力

池之端・古書ほうろう、雑司が谷・旅猫雑貨店、法善寺横丁・洋酒の店 路、目黒・ふげん社、浅草・珈琲アロマ、平井・平井の本棚、神宮前・シーモアグラス、大塚・山下書店。まだ募集中!


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