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2021冬 - 振り子式と、スイッチバックと、路面電車と ④2日目その1

【前書き】
ご覧いただきありがとうございます。いよいよ2日目、また早朝からのスタートです。まだローカル線をのんびりゆきます。
それでは出発進行!

↓前回はこちら

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始発列車、暗闇を行く

 2021年12月12日、日曜日。

一晩過ごした宿に別れを告げて、新見駅にやってきた。まさか宿の廊下と階段の電気が全部消えているとは思わず、ケータイの懐中電灯をつけておそるおそる5階の部屋から1階のロビーまで降りたのは、個人的には備後落合駅で3時間待ったことに次いで恐ろしかった出来事であった。
 それはそうと今朝も寒い。外にいるときは手袋とネックウォーマーが欠かせない。風が強くないのがせめてもの救いか。駅の待合室はあたたかくて、列車を待つのには最適だった。

 新見駅の朝は早く、4時51分に姫新線中国勝山行きの始発快速列車、4時56分に伯備線岡山行きの始発列車が出発する。途中から通勤・通学利用を拾っていくのだろう。しかし新見駅から両列車に乗る人はいなかった。

 5時04分、岡山方から1両の気動車がやってきた。これが5時17分発、備後落合行きの快速。芸備線の下り始発列車である。なんとこの列車を逃すと次は13時02分の備後落合行きまでなく、これに乗るには新見で一泊して朝5時に駅にやってくるしかない。使われることを想定していないようなダイヤの組まれ方で、需要のなさが垣間見える。

 5時17分、時刻通りに今日のトップランナーは明かりの灯る新見駅をあとにした。乗客は10人余り、おそらくみな目的は同じだ。
 芸備線は、備中神代駅から備後庄原、三次を経由し広島駅までを結ぶ159.1kmの路線だ。かつては木次線とともに陰陽連絡の一翼を担い、「ちどり」「たいしゃく」などの急行列車も運転されていた。しかし時代の流れで長距離輸送の役目が伯備線や高速バスに移り変わり、現在は備後落合駅と三次駅で系統を分けて通勤・通学などの地域輸送をメインとしている。現在は沿線の過疎化で三次駅以東はそれも危うく、特に昨日と今日で往復する備後落合駅までの区間が悲惨だ。一方で広島駅に近い区間は利用者が非常に多く、各運行形態で状況が大きく異なっている。

 この列車は「快速」と名乗っているだけあって、途中の東城駅までいくつかの駅を通過していく。布原駅ももちろん通過で、今日この駅に最初に止まる下り列車は8時間後だ。

 まだ朝の5時台とあって外は真っ暗で、道路の街灯と踏切の警報器くらいしか明かりがない。昨日も夜8時台の最終列車だったので、結局車窓を全く見ることなく新見から備後落合までの区間は乗り終わりそうだが、ちょうどいい列車がなかったので、こればかりは僕にどうこうできるものではない。

そして外が真っ暗なことに追いうちをかけるがごとく、窓が曇り始めた。外の寒さと車内のあたたかさの差が開きすぎてこうなっているわけだが、これでは本当に撮影ができない。

 ごはんを食べるタイミングが見つからなさそうだったので、今のうちに朝ごはんを食べてしまう。だがこういった公共の場所でにおいの強い弁当を開くことはあまり褒められた行為ではない。おにぎり数個くらいで済ませておけばよかったかな、と少し反省。

 4駅連続で通過して、最初の停車駅が矢神駅。ここで東城駅からの上り始発列車と行違う。向こうは新見駅に6時過ぎに着くので、時間帯的に通学時間帯と呼ぶにはまだちょっと早い。朝練習にはちょうどいいかもしれないが。

間の野馳駅を通過して次に止まったのは東城駅。ここからが広島県だ。改札口に人の姿はない。
 東城駅からは山奥に分け入っていくので、さらに明かりは減る。

のろのろと走って次の備後八幡駅に停車。待合室の照明だけがやけにまぶしい。

このあたりはケータイの電波も入らず、することがない。

何もない内名駅をはさみ、次の小奴可駅は業務委託駅なのできっぷの販売をしているのだが、なんとこの時間帯から事務室の電気がついている。

列車の一番後ろから外を見てみたが、テールライトに照らされた速度制限の標識しか見えない。赤色になっているため若干ホラーじみている。

 暗闇の中に奥行きのある空間が見えてきて、6時28分に備後落合駅に到着した。

すでに向かい側のホームには三次行きの始発列車が待っていた。ここから管轄が岡山支社から広島支社に変わっており、車両のラインカラーも広島仕様に変わる。なお昨日乗った木次線は木次鉄道部の管轄であり、備後落合駅は3管区の境界上にある駅ということになる。現在でもなお「落ち合う場所」としての役割を存分に発揮しているのだ。

少し空が明るくなってきた。ようやく外の景色も見られそうだ。

朝が始まる、芸備線のがら空き通学列車

 6時43分、新見行きが出ていったのを見送ってから三次行きも発車。備後落合駅にはぜひまた訪れたい。

次の比婆山駅までは15分程、徐行しながらゆっくりと西城川沿いを進む。ゆっくり走っているうちに軽トラに抜かれていく。しばらくして外が明るくなった。河原に石がゴロゴロ転がっているのもはっきりわかる。

 家が増えてくるとようやく比婆山駅で、使われなくなったホームが残っている。

ひらけてきて、幼稚園らしきところの横を通り過ぎると備後西城駅に到着。庄原市になるまでは旧西城町の代表駅だった。建物が多く、町の中心部はそれなりに栄えているのが車窓からも見て取れる。ここで学生さんが2人乗ってきた。

備後西城駅を過ぎてから平子駅までは山の中を走るというイメージはなく、田畑が多くみられるようになる。

かと思えば、高駅からは山肌のすぐ近くを西城川に沿うようになる。ここも例によって徐行をくらうので、川を見ながらゆっくりと走る。

川を渡り、市街地に入って備後庄原駅に到着。芸備線沿線でも特に規模が大きい街の一つだ。
 広島県の北東部に鎮座している庄原市は、2005年に周辺の自治体を合併してからは近畿以西で最も広い自治体である。西日本でもトップクラスで寒く、地域によっては雪が150cm以上積もることもある。鉱業と農業が中心で、観光名所としては帝釈峡や備北丘陵公園が有名だ。

まだ広島までは結構な距離があるが、住宅やお店、工場もたくさんあって、かなり大きな街だということがわかる。庄原から広島までは高速バスが走っているので、それで通勤する人も少なくないのだろう。こうなると本数が少なく時間のかかる芸備線に勝ち目はない。かつては夜行「ちどり」に乗って深夜に広島から庄原まで帰ってくるという人もいたようなのだが……。

 備後三日市、七塚、山ノ内、下和知と小さな駅にちょこちょこと止まっていく。しかし備後庄原駅までとは違い、どの駅にもそれなりに利用者がいそうだ。

 福山駅から伸びてきた福塩線と合流して、塩町駅に到着。ここで福塩線の吉舎行きとすれ違った。福塩線の列車はすべて三次駅まで直通する。

塩町駅からは馬洗川に沿って三次の市街地を目指す。霧がかかっていて視界が悪い。

 8時08分、時刻通りに三次駅に到着。

初訪問の三次を3分で去るのはひどくもったいない気がしたので、向かいにいた快速「みよしライナー」を見送って、1時間後の列車を待つことにする。

幸いにも広島方面は1時間に1本程度の列車本数が確保されており、1本見送った程度で行程に大きな支障は出ない。一方の備後落合方面はこのありさまで、まだ朝の8時過ぎだというのに次の列車までは5時間空くことになる。福塩線に至ってはもっと悲惨で、福山方面と接続する府中駅まで行く列車は7時間も空く。以前は先ほど塩町駅ですれ違った吉舎行きが府中駅まで行っていたようだが、利用者の少なさからか2021年のダイヤ改正で区間が短縮されてしまった。福塩線も厳しい状況にある。

下車印をもらって改札を出る。駅舎は最近建て替えられたものらしく、きれいになっている。なぜか隣の西三次駅の看板と模型が飾られている。

駅前はお土産屋さんの入ったバスターミナルもあるロータリーになっていて、利便性はよさそうだ。

駅から大通りを塩町駅方面に歩いてみる。車どおりは少なく、ずいぶん静かだ。

観光名所を巡りに来たわけではなかったので、とりあえず近くの商業施設に行ってみたが、まだ開店前だった。「太鼓の達人」もあったけれど、遊ぶために待っていると列車に乗り遅れるのでやむなく断念。

 今度は通りを逆方向に歩く。ちょうど道路の拡張工事をやっているようだが、拡張が必要に見えるほど今は混んでいない。おそらく平日は渋滞が起きるところなのだろう。ピカピカの建物に交じって古い雑居ビルも何軒か見える。

広島駅寄りの踏切まで歩いてきて、三次駅を見渡してみる。構内はそれなりに広い。

一方の広島駅方面は、左にカーブしていく芸備線の線路の右側に、もう一本線路が敷けそうなスペースがある。よく見たらその奥には「立ち入り禁止」の看板があって、スペースはさらに続いているようだ。

 この謎の答えは、三次駅1番乗り場の広島駅寄りの先端にある。

かつてこの三次駅にはもう一路線、三江線が乗り入れていた。江の川に沿って島根県は山陰本線の江津駅までを結んでおり、陰陽連絡の新たなルートとして古くから計画されていた。紆余曲折を経て1975年にようやく全108kmがつながったが、すでに沿線ではモータリゼーションが進み切っており、せっかく完成した三江線を使う地元の人は非常に少なかった。結果採算はとれず、利用者が増えることもそのあとなく、2018年4月に廃止となった。三次駅から右側に分かれている線路の跡は、三江線が走っていたところだったというわけである。そして三江線があった証はこの三次駅構内にも残っていて、起点から108kmを示すキロポストと三江線についての説明の看板が立てられている。
 廃止から間もなく4年がたつが、芸備線も木次線も福塩線も、いつ三江線と同じ道をたどってもおかしくない。今後も注視していきたいところだ。

 さて、今はなき鉄路に思いをはせたところで、そろそろ次の列車の時間のようだ。

2日目その2(最終回)につづく!


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