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要するに、自分を立派な人間だと勘違いするなってことだな(2024/3/7)

今日の日記。

特に自己紹介はありません。
よくわからないまま、なんとなく読んでいただく中で浮かび上がる僕を
そのまま受け取ってもらえれば、
それがきっと一番僕らしい僕であろう、というような。
そういう適当な思いです。
(タイトルはいつも記事を書いた後に付けているので、全て読んでいただいたらもう一度タイトルに戻ってくると意味が繋がります)

今日あったこと

・星乃珈琲店で一日スタート
・大学で教員採用試験に向けた対策講座を受ける
僕の通っている大学では、教育学部を一つの小さなキャンパスで占領していますので、教員になることに関しては非常に優しいのです!
・びっくりドンキーでお勉強
お金使ってばっかりだな。。明日から自粛しよう。

今日について

ちょっと一言

やはり記事として他者を意識しだすと、僕が本来的に書こうと思っていることがなかなか文字に現れてくれないようで、、

だから、今日はあえて宣言してから書こうと思いますが、
これをただの日記というのに収まらせる気はありません。これはまさに、『自省録』のように、自分の生き方、さらには在り方について常に反省を加え、明日からの生き方に生かすために書きます。

いくつか前の記事でも書いた通り、自省とは自己反省であり、それは自己指導であり、道徳です。つまり、理性の働きを自分の中で自覚し、それをよりよくはたらかせるためのストレッチを行なっているものと僕は認識しています。
だから、ただ思ったことをつらつら書くのでなしに、それを自分の中で深め、その小哲学を今日一日の僕に照らして考え、今日という日が僕にとって精一杯のそれであったかを振り返るものとしてこれを書きます。

気をとり直して

これは僕自身自覚のあることではあるが、今日パートナーに
「僕の短所はなに?」と聞くと
「人の話を素直に聞けない頑固なところ」と言われた。

正直に言って、ムスっとした。
でもそれは、おおよそ図星を突かれたことに対する「頑固さ」であることを痛感する。

僕は、いつもいつも
「僕は孤独だ」と悩む。
それは、僕の心を理解してくれる人はいないとか、僕は結局評価されないとか、常に自分中心に勝手に悩んで勝手に苦しみたい人のそれであるとしか言いようがない。
そんな自分中心を自覚しつつもそれを否定したくなるのは、結局僕が他者に対して僕の願望を押し付けているからにすぎない。願望を押し付けても、他者を自分の思い通りに動かせるわけはない。だから常に「誰も僕のために与えてくれない」と嘆く惨めを繰り返さなくてはならない。

僕はそれなりに本を読んで、色々と頭をこじらせて考え事をする。だから一見して人よりも思慮深いと思われがちだ。
でも結局僕は、それを誰かから認められるための手段として理解しているのだろうな。
だから、僕は自分のためにただ考えて、自分のためにただ自分へとその哲学を落とし込むという道徳ができないでいる。

常に他者からの評価に依存して生きている。
これが僕が僕を常に孤独にする所以だ。
まずはこれをなんとかしなくては、そもそもアウレリウスは、
「猿真似にも満たぬ」と
鼻で笑ってもくれないだろう。

まずは、自分をおさえよう。
人の言葉を素直に聞こう。
そしてその言葉をこそ、自分に与えるところから始めよう。

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