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【海外暮らし】 〝さくっと〟 のありがたみ

海外に暮らしていると、孤独感 というものが常に自分に張り付いている気がする。とくに現地の言葉が話せない、親しい友人も周りにいない、移住してから間もないと、なおさらかもしれない。

今の暮らしに不満はないのだけれども、ときどき全部を否定したくなるような突発性発作のような、ストレスに苛まれることがある。そうなると、一緒に住む旦那とは口を聞きたくなくなって、とにかく1人で行動する。(とは言っても同じ部屋にいるのだけれど)でもやっぱり一緒に住んでる人間が、救いようのないストレスで負のオーラをぶちまかしていたら、相手も気持ちのいいものではない。

日本にいたときにも、それはそれでストレスはあったけれど、海外に生活してるときのこれ、なんなんだろう?と原因を自分なりに探ってみたんだけど、きっとこんな理由は、〝さくっと〟の選択肢があまりにも少ないことな気がしている。

さくっと飲みに行く
さくっとお茶しに行く
さくっと買い物しに行く

しかもその〝さくっと〟には、なんらかの付加価値がついてくる。

さくっと飲みに行くために、気の合う友人を誘ってみる
さくっとお茶しに行くのに、行きたかったカフェに行く
さくっと買い物しに行くのに、おしゃれをたのしむ

軽やかに選んだその目的の向こう側には、癒しだとか、自尊心だとかで満たされる。言い換えれば コスパが良い のかもしれない。

私の住む街で、さくっと(雰囲気の良い)カフェに行くとなると、おしりがかち割れそうな硬い座席のバスに1時間以上乗らないとたどり着くことができない。コスパが悪いのだ。それで結局家にいよう→さくっと(雰囲気の良い)カフェに行きたい思い→行くのめんどくさい→行かない→ストレスが溜まるという事態となっているのだ。

日本にはさくっと満足できるものが取り揃えられている。
雰囲気がなくったって、さくっと美味しいコーヒーが飲みたければセブンで良いし、さくっと小腹を満たしたければどこかの牛丼屋さんに立ち寄れる。さくっと歌いたければカラオケで30分歌って500円くらいだし、さくっと入れるホテルなんかもありますよね。あらゆる欲に対して「はいおまち!」って好きなネタを目の前で握って出してくれる寿司屋のような、1口サイズなのに口に入れた瞬間とろけて、全身が悦ぶ大トロのような。そんなこと書いてたらお寿司食べたくなってきた。

結局結論は、自分が求める〝さくっと〟を、自分の行動範囲内で満たせるように生み出していかないといけないのだけれど、それってよくいう 自分の機嫌は自分で取る とか、日常の小さなことを愛でるっていうことなのかもしれない。今日はいつもよりちょっとだけ早起きできたとか、近所のスーパーでお気に入りのお菓子を見つけてみるだとか、いわば〝さくっと〟の自給自足ともいえるだろう。自分で満たせる満足と、他人にしてもらうから満たせる満足ってあると思うけど、これからの時代は自給自足かなあ。

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