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ハムスターとのおわかれ

真東の五月晴れの朝の陽光が瞼をノックするように起こす。私はうつつのまどろみのなかで暗い北側の窓の方向に寝返りを打った。
「ママー!ココちゃんが変な寝方してる~!」
リビングから聞こえてきた弾むような娘。朝の始まりを告げるにふさわしかった。何事もないようにまだ目を堅く閉じていたが、二秒ほどで私は我に返ったように布団をめくって飛び起きた。パジャマのズボンをずり上げながらハムスターケージのあるテレビの部屋まで駆けた。嫌な予感に呑まれた私はすでに冷や汗が首筋の毛穴から肩回りに滑り落ちるようだった。

ココちゃんは敷き藁の上で腹を不自然にべこりと凹ませて、三日月のような黒目を開けたまま横たわっていた。生命活動を止めた小動物の姿がそこにあった。死後何時間ほど経っているのだろう、口周りと肛門付近から体液が染み出しているらしく、濡れた敷き藁を口と尻に巻き込むようにして横向きに臥している。
娘と並んで中腰でケージをのぞきながらも「死んだ」という言葉を気道に留めたまま口から発することをためらった。死んだら本当に死んでしまう気がした。もう死んでいるのに死んだと言えなかった。娘を横目で見やったが、7歳がどこまで死という概念を恐れるかと思うと「死んだ」と告げることができない。

ココちゃんは2年前に我が家にやってきた。ハムスターの寿命が長くて3~4年だとしたら少し早い死だ。娘は手を器のようにしてココちゃんを抱きながら「3年生になりたくない」とよく呟いていた。「なんで?」と聞くと「ココちゃんが死んでしまうから」と掌を風船かずらのようにしてココちゃんを丸く包む。ひとりっ子で親の圧力をどうしても集めてしまう娘には、ココちゃんは良き友であり姉妹のような存在だったのだろう。娘はよくココちゃんにぶつぶつ話しかけていたし、私に叱られた日は同じようにココちゃんを叱っていた。

「死んでる」
飛び上がるか、破裂するようにむせぶかと思っていたけれど、隣にいた娘は黙っていた。「取って」とせがまれ、ティッシュを何枚か引き抜いてかごに手を入れる。魂の抜けたココちゃんは重量がすっかりない。手にくるんだ感触は生きていたときの何倍も軽い。体液が底のプラスチックに粘着していたらしく、持ち上げるときべりっと嫌な音がした。娘は私の手からココちゃんを奪うように取り、不揃いになった毛並みをそろえるように撫でている。
あと1~2年は生きるだろうと思っていたから、二人とも心の準備はできていなかった。50枚入りの不織布マスクの箱からマスクをすべて取り出し、その箱にいったんココちゃんを入れてやる。埋葬する場所も考えていなかった。集合住宅だから庭はない。近所の公園も穴を掘っていたら不審に思われるだろう。どこに埋めるかあれこれ考えている間も、娘はマスクの箱の蓋を開けてココちゃんに顔を近づけて撫でていた。

午後、近所の霊園公園に向けてアクセルを踏んだ。前日雨が降ったおかげで土は湿気ていて柔らかそうだった。霊園のゲートをくぐると、コロナ禍で行く場所がないからか、彼岸ではないかと勘違いするほど家族連れがベンチで寝ていたり老夫婦が散歩を愉しんでいたりと憩っている。本来人の墓の霊園なので、灰色や黒色の墓石が将棋盤に敷き詰められたように密に立っている。そのブロックとブロックの間に、シロツメクサが白い花をつけ芝桜のように繁茂するトラック一面分ほどの広場沿いに車を停めた。
ちょうど奥まったところに緑の深まった葉をつけた桜の老木が3本そびえている。その1本の下に、不織布マスクの棺に入ったココちゃんとあんぱんまんのプラスチックのスコップを抱えて歩いた。
桜の枝から茶色いあおむしのような幼虫が一本糸を垂らして宙でうねっている。土からせり出している桜の根と根の間に、スコップを刺しこんだ。湿った土を丁寧にえぐり出し、細い白い根が穴のあちこちから顔を出す中、30センチほど深さにすぐ掘ることができた。
娘が箱からココちゃんをすくう。ココちゃんは骨も関節もまるでないようにぐにゃりとティッシュから穴に不格好に落ちた。生きることを止めた生命体。生きて回し車を走ったり、頬を膨らませて木の実を詰め込んだりするココちゃんは、やはり美しかったのだと思う。その愛くるしい仕草に何度も心をくすぐられた。生きているときに生命体は最も輝く。それは生命への天賦の贈与だと思う。たったスコップ一杯の土をかぶせただけで、ココちゃんは見えなくなった。いつの間にか娘は目を閉じて、黙ったまま手を合わせていた。

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