瀬戸しおり

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最近の記事

聖なるものに繋がる一語を持つ

1か月ぶりに日曜礼拝へオフライン参加。 プログラムの初めの讃美歌が始まった頃に遅れて入室し、後ろから3列目に座った。隣の座席には「×」とテープが貼られてソーシャルディスタンスは厳重だ。 2つ隣にいた女性チャーチメイトに会釈だけし、なんとなく孤立しながら腰かける。 ジル牧師(アメリカ人)が教壇に立つ。相変わらず朗らかな笑み。あの笑みが崩れたところをこの七年間で見たことがない。一体どこから蓄えられるのだろう。 この日の聖書箇所は旧約聖書の歴代誌(サムエル王の隆盛と堕落)だった。

    • 心耳という叡智(こころの耳で聞く)

      二メートルはある額縁に収められたモネ「睡蓮」。両まなこの水晶体がくっついた。小二のわたしは親に着いていくのも忘れ立ち止まる。足が棒になり吸い込まれる。絵の持つ吸引力のせいか、むしろ放たれる放出力か。青のようで青でない、虹よりも多い色数の巨大なカンバスに、小二のわたしは動けないままだった。死にたるモネと対話がはじまる。練り込まれた黄色、尖った紅色、絵の具から光のコトバたちを受けとりながら、わたしもまた、光の放つコトバを同じように聞き出そうとする。モネという筆を通して。心眼という

      • 人の頭が「まとめサイト」になる

        山手線内まで働きに出ていたころ以来、約10年わたしはほぼネットニュースを時事問題収集に活用していた。最近はぼちぼちテレビに戻そうかと思う。もちろん新聞購読は続ける。 テレビとネットの報道内容に差異があるというよりは、映像とネット媒体では、同じ内容が人間と報せの向き合いかたに大きな差異を生むようにできていると感じる。その二択で言うならば、テレビのほうがまだマシかもしれない。ネットニュースをこのまま見続けていたら、わたしの頭もまたネットのように知識だけ(果たしてそれが知識と呼べ

        • 清先輩

          小学校のときわたしのメンターは放浪の画家山下清だった。わたしの故郷にはリアル山下清が存命中ひょっこり絵を描きにやってきたそうだ。小さいころから図工と自由のことしか考えていなかったわたしにとって、清はその2つを手に入れた大賢人だった。真似して親に「今から絵を描きにいってくる。探さないでくれ」と言い残して旅に出たけれど、防波堤で一作、山野で一作描いたあたりで極限に腹が減り半日も経たずに帰宅した。 清の手記には「ぼくはあたまがよくないので‥‥‥」という言葉がよく出てくる。それから「

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        • 生きることは祈り【瀬戸しおり】
          54本

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          神に召されて

          23歳 神はわたしの前で歌った 25歳 神はわたしに語りかけた 28歳 神はわたしに死を与えた 30歳 神はわたしに有限を知らせた 33歳 神はわたしと会話をした 35歳 神はわたしのよさを語った 38歳 神はわたしを使命に召した すべてのわたしの日は 神のなかにあった 今日も神の日であれば 明日も神の日であることを

          神に召されて

          子供の頃神話世界を生きたからわたしに小説はいらない

          最近の小説がおもしろくないのは(おもしろくないというのは、興がないということ)、お前がいうなっていうことを前提にいうと、消費されることを前提に書かれているからなのだろうな。それは、普遍性を持たせる、ということとも違って、人間をまといこむ膜のようなもうひとつの世界がこの世にはあるのだけれど、人の世の現実ばかりを現実と呼び、頭だけで楽しむということが面白くないのだと思う。 ナルニアとかロードオブザリングとか神学者により緻密に作られた作品は、ハリポタも少々そうだけれど神世(かみよ)

          子供の頃神話世界を生きたからわたしに小説はいらない

          性長

          色気むんむんある美しさに 川が流れるのと同じように 死があるのと同じように その機が図られず おおいなる御者の 定めたことわりであることを 罪に痛めつけるな少女よ 花開く種子はあらかじめ備えられ 摂理のなかで萌芽する 嘘が得意な悪魔には 興じるな少女よ 股から子宮を通り 乳房から眉間にいたるまでの豊穣な変化に 飽くるな少女よ

          ことばことわり

          ことば。 ×符号 〇象徴 ことば。 ×情報 〇叡智 ことば。 ×正解 〇曖昧 ことば。 ×文字 〇響き ことば。 ×わかる 〇わからない ことば。 ×区別 〇あわい ことば。 ×AとB 〇X ことば。 ×使う 〇使わせていただく ことば。 ×ネット 〇口承 ことば。 ×こちらから行く 〇あちらから召し ことば。 ×会議 〇沈黙 ことば。 ×我 〇無私 あした ことば。 ことば ことわり。 ことばのかみ 祝すかみ。 ことばの

          ことばことわり

          ユング心理学風の一発勝負の創作「白エビ」

          また、無意味なことの意味の創作。イマジネーションを言語に置き換えただけです。推敲してません。 ――― 【タイトル:白エビ】  明け方の薄もやをまとう青い山峰。後ろにはのっぺりした水色を張り付けた空。  一歩足を引く。黄金色の額に入った、にじんだように毛羽立つ和紙の切り絵だ。画廊に立つ私は向きを変えた。同じようなサイズの絵が、白壁に、同じ目の高さに並ぶ。歩いていくと、絵は黒色に塗りつぶされていたり、あるいは白色に塗りつぶされている。  白色絵具を全面に塗っただけの絵。その

          ユング心理学風の一発勝負の創作「白エビ」

          自殺と自傷は罪ですか

          ↑これと同じタイトルのコラムを読み同じテーマで書きたくなったので書きます。 経験者として言いますが、罪です。自傷回数おそらく二千回、自殺未遂回数おそらく50回、そのたびおめおめと生き返ってきた私ですが、あんとき死んどきゃよかったな~って絶対に思わない。そりゃあんた、今がそこそこ幸せだからでしょって言われそうだけど、悩みのレベルなんて今も昔もそう変わんねーよ。人は生きてるだけで辛いし傷つくものだ。悩みがなくても起きてるだけでしんどいものだ。ハッピーハッピーで浮かれポンチな人生が

          自殺と自傷は罪ですか

          吉村萬壱さんとSEIJIさん

          芥川賞作家である吉村萬壱氏のwikipediaを読んでびっくらこいた。双子の弟が漫画家の「THE SEIJI」。マジ!!! 記憶がぴゅーんと遡る。かくかくしかじかで27歳くらいの私はSEIJIさんのオフィスにおじゃましたのだった。それから漫画原作関係者の方と3人で沖縄料理屋に行き、それからカラオケ店に行ってSEIJIさんとGReeeNを歌った気がする(懐かしすぎw)。私の顔が丸いのでその間中まるちゃんと呼ばれていた。言っておくが一応これは仕事の打ち合わせ。当時の私は漫画原作に

          吉村萬壱さんとSEIJIさん

          父親とのお別れ

          死の報せは避難訓練の非常ベルのように、心臓を感電させるような衝撃を炸裂させる。 知らない番号から電話がかかってきた。父親の勤め先だった。 「もしもし、こちら○○さんが勤務しておりますA社ですが、○○さんが3日欠勤しておりまして、ご自宅にお電話をしても連絡がつきません。連絡を取っていただき、繋がりましたら明日から出勤していただくよう伝えていただけますか‥‥‥?」 ついにこの日が来た。不安げな女性の声に心臓がドラマみたいにバクバク音を立て、みるみる短息になる。てんぱるとはこういう

          父親とのお別れ

          ハムスターとのおわかれ

          真東の五月晴れの朝の陽光が瞼をノックするように起こす。私はうつつのまどろみのなかで暗い北側の窓の方向に寝返りを打った。 「ママー!ココちゃんが変な寝方してる~!」 リビングから聞こえてきた弾むような娘。朝の始まりを告げるにふさわしかった。何事もないようにまだ目を堅く閉じていたが、二秒ほどで私は我に返ったように布団をめくって飛び起きた。パジャマのズボンをずり上げながらハムスターケージのあるテレビの部屋まで駆けた。嫌な予感に呑まれた私はすでに冷や汗が首筋の毛穴から肩回りに滑り落ち

          ハムスターとのおわかれ

          イラン映画「精神病棟のプロポーズ」500人の患者から結婚するカップルを生む

          この世には2種類の人間がいる。主観を信じてもらえる人、主観を信じてもらえない人。 イラン映画「精神病棟のプロポーズ」を観た。イラン女性がメガホンをとるドキュメンタリー映画。舞台は「エーサンの家」というイランの荒涼とした砂地にぽつんと浮かぶ精神病院で、監督の元夫もまた幻覚を見るようになりここではないが精神病棟に入ってしまった人間だそうだ。 『愛は人生をダメにするが、存在の境界を捨てる勇気をくれるものである』 これは監督の元夫が幻覚を見ながら、亡き母親を想い口走った言葉だという

          イラン映画「精神病棟のプロポーズ」500人の患者から結婚するカップルを生む

          39.0度の熱気

          七歳の子供がぺらぺらと論文の字面をAIが読み上げるような饒舌口調になっている。スピードが早く、いやにはきはきしていた。見ると顔は額と頬がまだらに火傷したように赤い。こふっと痰のからまない空咳をひっきりなしに始めた。 体温計を脇に突っ込む。首と脇回りのシャツが汗でじっとり湿っていた。なおも饒舌にボスベイビーの話を続けているのに割り込むように、体温計がピピっと鳴る。 39.0度‥‥‥。 息の荒い娘は興奮しているようにまくし立てていた。そのうち頬全体に赤みが増し、いちごあんのよ

          39.0度の熱気

          ゲイ友

          生まれて初めてゲイ友ができた。レズ、バイ、性同一性障害と呼ばれる友達はたくさんいたけれど、ゲイの友達は初めてだ。 温泉や銭湯で男湯に入り男の性器を見たら勃起するという彼に私は「かっこいー!」と悲鳴にも似た歓声を上げた。感動したのだ、それってどういう心理だろう。同性に性的興奮を感じるという私には見えない触れられない世界。レズならわかるけれど(自分の性自認が女であるがゆえ)、男から男への性的嗜好というのは、そもそも異質な生物から異質な生物への興奮なわけで、興味関心とか飛び越えて本