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人に完全を求めた罪に泣く

脱稿した。この一か月かなりコン詰めて原稿と向かい合った。原稿と向かい合っている間に心は原稿に運ばれるように微細に動いていって、それでもちょっとずつ、自分は前に進んで言っているんだなあと思った。

一番驚いたのはつい先週の土曜日のことである。「執筆に集中したいから」と私は夫と子供を1泊で彼の実家に追い出した。その直後のことである。泣いたのだった。声を上げてむせび泣いた。そのとき頭にあった映像は、10年前通っていた長老派教会の牧師先生とのやりとりの記憶で、
「私はときどき十字架を見て、どうしてこの人は死ななければいいけなかったのかなあと考えています」
としみじみ夕礼拝のあと言われたセリフだった。この人とはイエス・キリストのことである。
信仰の薄い私には、イエスが磔刑にあったことの意味もさして知らなかったし、2000年前のイエス・キリストの十字架刑が自分に影響があると言われてもぴんとこなかった。

一週間前、私はイエスが十字架刑に処せられたことに泣いたのだった。それはたぶん、自分が罪人だと思ったからだと思う。罪人というのは、他人に完璧を求めていた罪人という意味だ。自分が不完全であるということはよくわかっている。だけど他人が不完全であることを知るのはなかなか難しい。ゆえに期待をしてしまうから、夫でも子供でも親でも、けっこう私は腹を立てていた。どうしてこうしてくれないの、どうしてこうしてくれなかったの……。そう思っている自分が最も不完全な気がして、その私を許すためにイエスが十字架に掛かり、死んだ。赦されるということは、イエスが私の弁護士になってくれるということだ。今日も明日も、もし私が悪いことをしても、毎朝新しい罪なき身体をくれ、そして来たるべき最後の審判の日、私は審判席に立たない。代わりに立つのは弁護士であるイエスだ。イエスが、
「この人には何の罪もありません」
と私を証言し、私を天国へ導いてくれる。なんと素敵なことだろう。

ただしその代償に、イエスは2000年前処刑された。知識人から疎まれ、民衆にも悪口を言われ、当時の裁判では罪は認められなかったのに、一種のテロのように茨の冠を被せられ、鞭で打たれ、すでに血まみれであるのになお丸太のような十字架を背負いゴルゴダの坂を歩まされ、唾を吐かれ、あらゆる暴言を吐かれ、十字架に釘で打たれ、ロープで巻き付けられて見せしめられ死んだ。
「やあい、本当に神の子であるなら下りてこい、このばかちんがー!」といったヤジを飛ばされてもイエスは下りない選択をした。このときイエスは神との断絶も経験した。肉体的になぜこのような目に遭わせるのかとイエスは父である神に「なぜ見捨てたのですか……」と弱音を吐いた。
それでも、十字架から下りることはせず死に、神の当初からの救いの計画を完遂した。

これほどまでに奥深い愛を私は知らない。味わい深い愛も知らない。私のために死んでくれる人は周りにいないと思う。だけどそれを神がやった。私はその救いにあずかったのだ。
この人生、どんなときも神は私を見捨てなかった。私がもし神に見捨てられていたらとっくに死んでいると思う。だけど今私はここに生きている。これこそが神が今も生きて働かれていることの最たる証ではないか。

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