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刑務所を見学して

昭島市にある成人矯正医療センターへ行く。名前からはわかりづらいのだがこの施設は刑務所と少年院の併設した施設だ。名称が〇〇刑務所となっていないのは地元住民や自治体の反対があったからというのが大きな理由らしい。

私にとっては初めて刑務所内部に入った体験だった。ここの刑務所が他の刑務所と違うのは病院刑務所だということである。透析や感染症を持った受刑者がここに来る。ICUが6床、手術室も3室ある。透析は30台もあるそうだ。あまり知られていないのだが、コロナのクラスターが起きた刑務所から、一部の患者さんなどはこの昭島のほうへ一時的に治療に来ているそうだ。
「今日もコロナの受け入れがあるんですよ」
施設見学に入るとき、救急車に白いビニールの防護服を着た刑務官が7人ほどいた。

法学部を卒業した私は、学生のとき毎日授業で法律を学んだ。検事や裁判官、弁護士とも日常的に会った。ゼミで東京地裁・高裁に裁判傍聴に行った。社会人になってからはパラリーガルを勤め、行政書士としても働いた。所属教会の牧師を通じて5名ほどの受刑されているかたと手紙で交流をした。

……その私が刑務所の何を知っていたというのだろう。

刑務所に行くまで、私はわりと受刑者寄りの考えをしていたと思う。受刑されている方からいただく手紙の内容が100%正しいと先入観を持たないつもりでいたが、それでも、刑務所内部ってずさんだ、まっとうな組織なはずがないと食って掛かっていた。刑務官への不平不満、刑務所全体の処遇のひどさは日常的に聞いていたからだ。
今から考えれば、私はハナから喧嘩腰で刑務所に乗り込んでいっていたのかもしれない。

案内してくださった刑務官の方はベテランというにふさわしい刑務官の方だった。刑務官は管理職になると全国津々浦々の刑務所を数年おきに転勤するそうだ。その方も様々な刑務所で勤務経験のある方だった。話しぶりはあくまで穏やか。なんだか実のお兄さんみたい。制服は飛行機の機長のようにきりっとしてエレベーターなどで隣に立つと緊張感がある。ただし、警察官のようにマッチョという印象ではない。
昨今の刑務所では特に女性は摂食障害による受刑者が急激に増えているそうだ。罪を犯す前に病院で医療のケアを受けられたらラッキーだ。もし放置したままにしておけばその分回復も遅れる。ここで医療のケアを初めて受けるとしたら懲役禁固になる必要がある。スーパーやコンビニで食べ物を盗んだ程度では警察も立件せず、立件されたとしても保護観察、執行猶予がついてずるずると年月が経ってしまい、実際に刑に服す時には40代になっていることも少なくない。となると早期治療が最も効果を発揮する摂食障害の治療は遅れてしまう。
摂食障害というのは拒食状態が最もハイだ。私も学生時代そうだった。細いということが楽しくて楽しくてしかたない。だから動けてしまう。そういった見た目との齟齬から、刑務作業をしていた拒食症の方が突然死したと伺った。内部での集団ミーティングや食事管理、精神治療などかなりされているように元当事者の私からも感じたが、それでも改めて恐ろしい病気なのだと知る。

「今一番心に葛藤されていることは何でしょうか?」
「出所したとしても、福祉の受け皿がないということですね。ここでは3分の1が満期出所。3分の1が軽快して移送。3分の1の方がここで亡くなられます。週に1人のペースで亡くなられます。社会へ出たとしても、なかなか福祉制度に繋げていくことができないことです」

身元引受人=保証人がいなければ、出所しても家がない。実家にも縁を切られている。生活保護にも住所がない。障害者手帳さえ取得できない。日本で1度罪を犯したら、再出発というのはどれほど難しいことなのだろうか。身につまされる。

「以前は罪を犯す人は刑に処せられるべきだと思っていました。ですが、今はそれがすべてとも思いません。本人だけに責任があるわけではなく、例えば生まれたときからひとり親家庭だったり、親がすでにそういった問題を抱えていたりと、本人だけに責任があるというふうには思わなくなりました」

刑務官の方が「この仕事は楽しい」とおっしゃっていたのが私には救いだった。夜間に何かあったら駆けつけねばならない刑務官は、100mほど向こうの同じ敷地の宿舎に住んでいる。コロナ禍で宿舎と刑務所の往復生活をかなり厳重に行っておられるのだろう。週に1人を職場で看取り、受刑される方の指揮と健康を管理する。なんと難しい仕事だろう。とうてい私には務まらない。
刑務所での准看護師試験の実習が行われていて、その様子を見せていただいた。看護師=女性というイメージがあるが、9割以上が男性だった。調理場や洗濯室も見させていただいた。この刑務所だけはこういったことを民間事業者に委託しているそうで、雇用を生み出し官民連携の新たな取り組みになっているらしい。
その後、ボタンを開錠してもらい横並びに並ぶ雑居房を見る。生きる場所がこの狭いドアの中。それはどういう気分なのだろう。狭い部屋の入口の並びを見ただけで、私に手紙を出してくれる友人たちの光景が浮かぶ。

私には何ができるんだろう。

刑務所をあとにしたとき、この問いがぐるぐる回る。何一つ答えることはできない。何かしなくてはいけない。でも何をしていいのかわからない。
刑務所という場所に市民は関心がない。きっと、ほとんどの人が「どうでもいい、自分には縁がない」と関心を寄せないことは知っている。私だってそうだった。普通に生きてりゃお世話になることはない。罪を犯したやつはそういうやつが悪い。まっとうに生きればいいのにって。もし私が今の牧師にであわなければ、受刑者も、職員も、研修にいそしむ人の存在さえ知らなかっただろう。
私たちは刑務所という施設を完全無視をしている状態だ。いつ社会の仕組みの寸分の隙間に落ちて関わりを持つかもしれないここを、見ないようにして生きている。本当に刑務所が必要ないのであればこの世に存在していない。必要だからこそ刑務所は存在しているのに、なぜ目を反らしているのだろう。
それは外にいる者の怠慢であり中にいる人への押し付けではないだろうか。
うずたかいマンションのような建物が背後に迫りくる。一部屋一部屋から亡霊のような声がする。
おい、おまえらは人間か?
お前らこそ人間であることをやめたんじゃねえのか?
いつ外のほうが刑務所になっても知らねえぞ?

門を出ると、「法務局」とロゴの入った救急車が無音で出ていくところだった。

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