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フィリピン、シマラ教会で聞いた声

真緑の背の高いヤシが群生するジャングルの丘を越えていき、シマラ教会のゲート見えてきた。到着15分前からスコールが降りはじめ、クーラーのないシマラ教会に踏み入れるには環境は良くない。現地レンタカー運転手が駐車場につけてくれるころ、スコールは止んだ。さっきまでからからに干上がっていた南国の砂埃立つ地面は一気に濡れ、トングサンダルの私はぬめっとした駐車場に下りた。
マリアを祀るこのカトリック教会は、女性は足を露出してはいけない。日本でしまむらで買っていったロングスカートがまた下半身から身体を熱し、ゲートをくぐって五階建て分ほどの石段を息を切らしてのぼった。そのころには灼熱の太陽が肌を焦がすように照り付け始めた。

シマラ教会はセブ島の郊外にあり、ダウンタウンからは朝の渋滞を回避しても3時間半はかかる。朝五時に起き、まだ薄暗いホテルの玄関でトヨタのセダンの傍に現地ドライバーの男性が待ってくれていた。寡黙だが紳士的で、心配りのきく信頼できる男性ドライバーだった。
シマラ教会は「奇跡を呼ぶ教会」として現地人には有名である。中庭の芝生に大きく「MAMA MARY」と草を削って描かれており、それが教会を上りきったところから見落ろせた。聖母マリアが起こす奇跡にあずかるのがこのシマラ教会で、セブの人に聞いても、ケガや病気に限らず、受験などの試験では必ず訪れる場所だという。まるでアラジンに出てきそうなエキゾチックな宮殿建築だが、このように大きくなっていったのもここ何年かのようで、もともとは小さな一般的な会堂だったらしい。それが奇跡を経験した人から噂が国内外を問わず広がり、寄付が集まってこのように大きな教会となったそうだ。

観光客として行った私はまず、売店のようなところでピンクや白、緑などのカラフルなキャンドルを2本購入し火をつけて燭台に刺した。それぞれの色に寄って「健康」「仕事」など日本のお守りのように意味がある。それからたくさんの人に寄って灯されたキャンドルを目の前に、私は手を組んで静かに祈った。その間中ひっきりなしにスピーカーからおそらく神父によるアナウンスが流れていた。いかんせん現地語なので聞き取れない。わかったのは「MAMA MARY」と「AMEN」だけだった。観光化されても教会であることにはかわりがないから、その日もお昼12時から礼拝がある、といったことを報せていたのかなと思う。
外廊下から中に入ると、重そうな大量の車椅子が畳んだままの状態で壁一面に飾られてあった。思わずのけぞってしまった。車椅子の下には、松葉杖の杖もそのままびっちり壁に飾られていた。どういう意味か……とその違和感のある装飾に悩んだが、その近くに写真付きで飾られてあった世界各国から寄せられた手紙の数々によって理解した。シマラ教会を訪れ、祈った人が、車椅子も、松葉づえも難治な怪我や病気が治癒して要らなくなったという証として、そこに届けているのである。これらはすべてマリア、また神の力の証である。愕然とした。プロテスタントの私は教会とは切っても切れない生活をしており、ゆえに日本の教会を訪ねる機会もおそらく人より多い。それでもこのように、あからさまに車椅子や松葉づえが不要になったと壁の一面を埋め尽くすほど飾られた教会は見たことがない。
添えられていた手紙は英語だったが、読解力のない私も、そこに添えられた証明写真のような制服を着た青年や女性の写真を見て涙せずにはいられなかった。「cancer」という単語を見つけたときは身震いした。cancer、がんである。祈りと神の力が融合したとき、神の力は人智を超えた霊力で立ち現れる。がんが治り、車椅子も手放したという証拠がそこに堂々と陳列されてあったのだ。

礼拝堂の裏は列ができていた。見よう見まねで並んだ。進んでいくと、どうやら御堂の祭壇の裏側に通じているらしかった。先頭に近づいていくたび、木の台にアクリル板で蓋をしたような10センチほどの四角形の穴が見えた。あそこに何かがあるのだ。現地の信徒たちはそこに近づき、触ったり、キスをしたりしている。私の番が来て、中をのぞきこんだ。黄金色の小さなマリアが斜めに寝そべっていた。プロテスタントにマリア信仰はない。信仰の対象は父なる神、その子イエスだけであり、マリアはただの人である。ここでは写真を撮るのははばかられた。信仰者たちの荘厳な祈りがこの狭い通路に結集しているし、そこはとても静かだった。黄金色のまつ毛を静かに閉じた小さなマリアが目の前で沈むように寝ている。思わず私は指でそのアクリル板をなぞり、掌を組んで神に祈った。何を祈ったか……月並みなことだった。家族の健康とか、自分の健康とか、そんなことだ。

シマラ教会にはトイレがなく、トイレに行きたくなればまたあの石段を戻って正面ゲートまで戻って行かなければならない。人込みとクーラーのひとつもないせいで、1時間以上も滞在していると30度を超えた気温にだんだんふらふらしてくる。最後に御堂で手を組んで祈った。韓国や中国から来たような観光客の青年らが同じように座って祈っていた。その間も神父のアナウンスが現地語で流れる。「MAMA MARY」「AMEN」……。

駐車場に戻ると、サングラスをかけたドライバーさんが笑顔で待っていてくれた。これからまた3時間かけてホテルのあるダウンタウンに戻っていく。海岸沿いのハイウェイを走って行った。スピードのメーターを見ると時速140km。スコールは起こる気配もなく空も海も真っ青で、とにかく世界がまぶしい。
そのとき私の頭の中に、かそけき声を聞いた。正直早起きと長旅と軽い熱中症で疲れていた私は、後部座席で首を倒してうつらうつらしていた。だがその声は次第にはっきり輪郭を持ち、畳みかけるように語ってくる。目を閉じながら、ああこれが神の声なのだとわかった。そうだ、これが神の声だ。止めようとしても止められず、神の声は次第に増幅し、びゅんびゅん走る高速道路の車内で脳に充満していく。抗えない。日本で普段生活していて、これは神の意思かなとおぼろげに思うことはあっても、ここまではっきり神の声を声として聞いたのは初めてだ。

「So, you listened God's voice?」
帰国して牧師の先生(アメリカ人女性)に話したとき、率直にそう尋ねられた。イエスとしか言いようがなかった。何も不自然ではない、それは受け入れるべきものだといった頬の皺の際立つ笑顔で嬉しそうにほほ笑みかけられた。

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