父親とのお別れ

死の報せは避難訓練の非常ベルのように、心臓を感電させるような衝撃を炸裂させる。
知らない番号から電話がかかってきた。父親の勤め先だった。
「もしもし、こちら○○さんが勤務しておりますA社ですが、○○さんが3日欠勤しておりまして、ご自宅にお電話をしても連絡がつきません。連絡を取っていただき、繋がりましたら明日から出勤していただくよう伝えていただけますか‥‥‥?」
ついにこの日が来た。不安げな女性の声に心臓がドラマみたいにバクバク音を立て、みるみる短息になる。てんぱるとはこういうことなのだ。
父は独居老人だ。母と姉は実家を出て行方不明。電話を切ったが、親類の誰に電話をかけてよいのかわからなかった。実家近くに住む親戚はいるのだが電話番号がわからない。
息が上がりながら家中の引き出しを開け、住所録を探す。父は死んだのだ。ついに死んだ。3日連絡がとれないということは、もしかしたら一昨日もう死んでいたのかもしれない。そうしたら既に腐敗が始まっているはずだ。独居であることを理由に首でも吊っているロープに垂れ下がる父の姿も目に浮かぶ。引き出しの取っ手を持つ手がいちいち震えていた。

親戚は商いをやっているため、結局スマホで店名をググる。親指の先端までガクガク震え上手く文字が打ち込めない。
親戚と話すのも、高校か中学生以来でそもそも私のことがわかるのかもわからなかった。しかし父が亡くなったのならそんなことも言っていられない。ぶっこむしかないのだ。
3コールくらいでおっとりした女性の声がした。気が動転して思考回路が混線するあまりどのように私が自分を名乗ったか覚えていない。
「○○区のしおりですが、先ほど父の会社のA社から連絡が付かないと連絡がありまして‥‥」
「はい」
はたと声色からして見知らぬパートの従業員かと思う。
「‥‥どちら様ですか?」
尋ねると「しおりちゃん!?」と感動したように言われた。「ナナコです!」

ナナコとは、三才年下のいとこである。小さいときはよく遊んだ。夏休みになると日課のように遊び、一番仲がよかったいとこだ。すっかり大人びた落ち着いた女性らしいおっとりした声。
「久しぶり~」「元気~?」
時の逆流など早い。血縁とは不思議なものだ。20年の分量を2分に縮める。そんな威力があるのは血の繋がりの特権だ。
「見に行ってくれる?もしかしたら死んでるかもしれない」
用件を伝え、健気に「わかった、見てくるね」と言われる。電話を切ってから「死んでいる」と安易に言い過ぎてしまったかと思う。私たち家族の不和は承知だろう。祖母の葬儀でさえ、父が喪主をつとめたにも関わらず、私も姉も母も参加しなかったのだ。

いとこからのコールバックを待っている間、色々と考えた。不思議と父の死をもう受け入れていて心は静まっている。
ベッドに大の字に仰向けに寝て、ついにのたれ死んだか‥‥、と何度も心の中で呟いた。あとは死に方の問題だ。自殺は勘弁してほしい。しかしこの娘にしてこの父あり、ないとも言い切れないところがそら恐ろしい。
ついにあの土地建物の相続で姉や母と揉めるのだな、と現実的なことが怒涛のように頭をよぎっては去る。そもそも母は葬儀に出るのか。喪主は私なのか。
私は父が有事の際の緊急連絡先を私にしていたことを、今更ながら驚いた。なぜ私を選んだのだろう。弟家族の親類のほうがこうしたときよほど近所なのに‥‥。明日には新幹線のチケットを取る、専門学校は休む、課題もおそらく一切できない。なぜかそう思うと肩の荷下ろしをした気がして、私は最近の生活スタイルに疲労していたのだとも感じた。棺に入った父を想像して、いざ対面したとき私は何を思うのか、考えただけで怖かった。孫は見せたから親孝行はした‥‥‥などと言い訳を立て並べる自分を情けなく思う。死んだからにはもう、孝行もこうして清算の段階に思考を進めなければもう自分が発狂してしまいそうだった。

30分後、ナナコから電話があり、あっけらかんと生きている父を見たと言われる。
「しおりちゃん、それどこからかかってきたの?」
「0××の会社だよ?」
「電話番号で検索してみたら?とにかく叔父さんは大丈夫だよ」
「金銭要求されたわけじゃないから詐欺でもなさそうだけど、なんだか怪しいね」
その5分後「心配かけたのう」と生きたオヤジから呑気に電話があった。どうやら親会社と子会社の間でリモートの勤怠管理にミスがあり、父は出勤していたにも関わらず欠勤扱いになってこのような結果を招いたらしい。

死の避難訓練は怒濤のように過ぎ去った。実際に本当に父が亡くなったとき、私はいとこを遣わす一連の流れ作業と心の動転を再び経験するのかと思うと嫌悪のあまりしばらく呆けた。

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