清先輩

小学校のときわたしのメンターは放浪の画家山下清だった。わたしの故郷にはリアル山下清が存命中ひょっこり絵を描きにやってきたそうだ。小さいころから図工と自由のことしか考えていなかったわたしにとって、清はその2つを手に入れた大賢人だった。真似して親に「今から絵を描きにいってくる。探さないでくれ」と言い残して旅に出たけれど、防波堤で一作、山野で一作描いたあたりで極限に腹が減り半日も経たずに帰宅した。
清の手記には「ぼくはあたまがよくないので‥‥‥」という言葉がよく出てくる。それから「つかってもらう(雇ってもらう)」という言葉。のちに何十年も残る芸術作品を残す清は、生きた作品を描いていた。ゆえにみられればみられるほど新たないのちを生んで、生き物として洗練されていった。生きた言葉生きた絵は、生きているのだから、生きたままの状態でわたしたちに届く。どのように解釈するかはみる人の自由だし、どのように感じるかもみる人の自由だ。だいたいそういったいのちの霊性から飛び出た芸術は作者すらその意味や解釈をわかっていない。頭ではなく深い無意識から出たものが、みたひとの無意識に響くのだから当たり前だよね。究極、万葉集の「詠み人知らず」のように言葉や作品だけが世に継がれていくのがほんとうにことばにいのちを与えた美しいものだ。
清が顧客ターゲットや集客など娼婦のように絵に媚びたわけがない。清は清のうちなる声に耳を済ませた。清の魂の沈黙のなかにそれが研ぎ澄まされた結果、決して誰の真似でもない、というより誰にも真似できないしようがない絵が生まれて、清だけが持っている美を膨らませることができたのだ。

顧客ターゲット層、差別化、締め切り、コンセプトなんて時空のなかにぎゅうぎゅう押し込められた企画書ありきの芸術が芸術とされるのはつまらない。それにじぶんの名前のブランディングなんてものが加わったらもっとつまらない。本当の芸術家はじぶんの名前を手放す。ことばを扱う人なら、じぶんからことばさえも手放す。それはちょうどカップラーメンをいくら食わされても飽きるしつまらないのと同じで、お母さんのその日その場かぎりの手料理が一番美味しいと感じるようなもの。誰かに見せることのない魂の投影こそが未来永劫生き物のいのちをもって残っていく。そのなかに本当の美が備わっているから。有名であること、すごいといわれること、上手くなるをのぞむこと、そんなことをいっさい棄てて、ただ、じぶんの心が希求して身もだえするままに表現してみたらどうだろうね。表す、現れる、とかいて表現。誰かに評された時点で、もうそれは芸術じゃないのかも。
大切なことを語るのは清先輩のように小さな小さな声の持ち主。あるいは、詠み人知らずと、純粋にことばにだけいのちを与えた人間。

そういう霊性からの芸術を生む人が今わたしのまわりにただひとりいるとしたら、殺人を犯して30年以上服役しているAさんの、畳数畳の世界で生まれる短歌だとおもう。隔絶が超絶を生んでいる。いつかまとめて歌集にしたいくらい。

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