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「パラサイト 半地下の家族」を臨床心理学的に観る。

緊急事態宣言が解除された6月某日、仕事後に映画館に立ち寄った。

外出自粛のため観に行けず涙を飲んでいた「パラサイト 半地下の家族」を観るためだ。私は、この映画を映画館で観るのは半ば諦めていたので、まだ公開されていたことに心から安堵していた。

ここで、映画の内容に触れることは避けるが、とにかく強烈な映画だった。

私は強烈な映画を観るとボーーーっとしてしまい、帰路もおぼつかない脳内フリーズ状態になるのだが、今回は、数年ぶりのその手の映画だった。

ただ、あそこまで暴力的な表現があることは想定外で、心の準備ができていなかった私は、寝る前に映画の内容を思い出して恐怖に苛まれた。(私は、そういう厄介な性質を持ち合わせている。)

しかし、仮にも私は「心の専門家」だ。これまで教育分析(専門家になる訓練として、自らがカウンセリングを受けること)も受けてきている。自分の心の癖は、普通の人よりかは、いくらか心得ているつもりだ。

そこで今回も、恐怖の中で自己分析に勤しんだ。

こんな風に恐怖に圧倒された時は、「あれは、創作物だ。私に起こった現実ではない。」と境界線を明確に引くことだ。これに限る。何事にも、「境界」は大切。

話を映画に戻そう。

この映画では、地上・半地下・地下の世界が入り乱れることで物語が展開していく。

つまり、通常の映画やドラマで当たり前の前提となっている、過去→現在→未来、または、未来→現在→過去という左右に広がる時間軸に加え、地上→半地下→地下と、地下→半地下→地上という上下の空間軸が設けられており、それがパラレルな世界を描き出している。

これは村上春樹の小説にみられる構造と同じだ。村上春樹の小説も、梯子を降りたり、井戸に降りたりすることで、(そして、そこから戻ってくることで)、世界が様相を変えていく。

どちらも、非常に象徴的なのだ。

註: 村上春樹の小説をユング心理学的な視点で読み解いた『村上春樹の物語—夢テキストとして読み解く』(河合敏雄,2011)でも、この点に触れられている。

この映画も、村上春樹の小説同様、地下に降りる(降りてしまう、降りざるえなくなってしまう)ことで、物語の展開が大きく変わる。

そこで、この映画を観客としての視点から一歩進んで、臨床心理学的な視点で見つめてみると、この地下、半地下、地上は、フロイトの局所論を象徴しているのでは?と思い至る。

つまり、地下は無意識、半地下は前意識、地上は意識という訳だ。

ここで物語が破壊的展開を見せた所以を思索する。

地上の人間(意識)は、自分の下に地下の世界(無意識)があることに気付かない。(気付かないのは、通常だ。無意識ってそういうものだから。)

しかし、地上(意識)にいるつもりでも、我々の世界は地下(無意識)に影響を受けながら動いている。

だから、精神分析的な立場を取る心理療法家は、困難を抱えてやってくるクライエントが地上(つまり、意識)のことばかり語っていても、その下に眠る地下の世界(無意識)に想いを巡らす。

そして、地下の世界を少しずつ地上の方に抽出し、「半地下」(前意識)という、どちらの世界も適度に取り入れた程よい場所を探るのだ。

しかし、無意識(地下)を真っ向から否定したのが、この映画で描かれている地上に住む人間だ。

半地下の家族は、半地下を起点に地上と地下を行ったり来たりして世界を動かす。

しかし、地上の人間は、絶対に地上から動かない。それだけではなく、半地下や地下の「匂い」さえも否定する。

そして、「匂い」さえも否定された地下の世界は、暴れだす。大きな地震が来たら、ビルが倒れてしまうのと同じように、これによって地上も脅かされる。

これは、人間にも言えることだ。

自分の奥に眠る攻撃性や衝動、怒り、本能…それに強固な蓋をして、完璧に統制された世界に住むと、ある時、人はバランスを崩す。

地下、半地下、地上の世界は、分断されている世界ではなく、行き来できるものであるはずだ。そして、地下-半地下-地上は一人一人の内的な世界に必ず存在していてる。つまり、この映画に登場する人物は全員、本質的に、我々の一部を象徴しているのだ。

そういう意味でも、非常によく出来た映画だと思った。

この映画が多くの人々を惹きつけ、アカデミー作品賞を受賞するに至ったのは、おそらく、そのような根源的なイメージを、観客が自分と折り重ねて感じることができたからではないだろうか。

私は常々、一番恐ろしい生き物は人間だと思っているけど、この映画は正に人間の恐ろしさを如実に描き出していると思う。そういう意味でも恐ろしく、そして、素晴らしい映画だと思った。

そして、なにはともあれ、やはり映画館で鑑賞ことができてよかった。好きな時に映画館に行ける日常が戻ったことが、本当に嬉しい。

コロナで困窮しているであろう映画館を応援する意味でも、これから積極的に映画館に足を向けようと思う。



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