「なにも言葉が出てこない」を書いてみる
地元・仙台で、心理職や対人援助職の友人と
能登半島地震について語らい合う。
「なにも言葉が出てこない。」
「専門家として情報発信した方がいいって分かってるけど、できない。」
という、私の本音がこぼれ落ちる。
結論。
私たちには、震災トラウマがやっぱりあるのだ。
被害の濃淡に関わらず、
それ(トラウマ)は、私たちの中に確かにあるのだ。
なにも言えなかった。
それは、どこに/だれに向かって、
なにを発すればいいのか
わからなかったからだと思う。
——
同時に、石川・新潟・富山にゆかりのある
大切な人たちに連絡をとり、
本人とご家族の安否を確認した。
誰に、何を伝えたいかがわかった時、
それは行動になる。
あとは、懐が許す範囲で募金をして、
日常を生き、ただただ祈っている。
専門家以前に、
ひとりの人間として完全に打ちのめされた。
——
でも今日「それを書けばいいんだよ。」と
東北の心理士仲間が言ってくれた。
この痛みについて率直に語り合える友人がいることが、
どれほどありがたいことか…
整わないままで構わない。
きちんと揺れたまま、2024年の仕事初めに備えよう。
そう思えた。
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註: 2024年1月6日にInstagramに投稿した文章です。
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