見出し画像

「現実を生きているか?」という問いは現代社会でも問われている #レディプレにログインしました


というわけで、自称普通の会社員しまこさん(@simakoo1)と#運用担当者死亡かるた で有名なsagakoさん(@sagako0302)と『レディ・プレイヤー1』を観に行ってきた。

いまから27年後の世界。人類はゴーグル1つですべての夢が実現するVRワールド[オアシス]に生きていた。そこは、誰もがなりたいものになれる場所。無敵のヒーローやハーレークイン、キティだってなれる夢の世界! ある日、オアシスの天才創設者からの遺言が発表される ーー「全世界に告ぐ。オアシスに眠る3つの謎を解いた者に全財産56兆円と、この世界のすべてを授けよう」と。突然の宣告に誰もが沸き立ち、56兆円をめぐって、子供から巨大企業まで全世界の壮大な争奪戦が始まった! 果たして想 像を超えた戦いの先に、勝利を手にするのは一体誰だ!
引用:レディ・プレイヤー1 - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks

既にしまこさんが感想のnoteを上げられている。

そこから1週間遅れてしまったが、もうそろそろ映画公開期間も終了なので、若干のネタバレも含めた感想を主に3点にまとめてみた。

①『サマーウォーズ』よりも現代人の感覚に近しい仮想現実の世界観

細田守監督の作品に『サマーウォーズ』がある。
こちらにも『レディ・プレイヤー1』上のVRワールド「オアシス」のような仮想都市OZというものが登場する。

私の中でこれまで「未来の仮想現実」のイメージはずっと『サマーウォーズ』だった。
しかし、『レディ・プレイヤー1』を観た今となっては、『サマーウォーズ』は2009年公開だからか、現代人の感覚とは少々ズレがあると感じるようになった。

アバターとはOZ上でのあなたの分身です。 服、ヘアスタイル、しっぽなどあなたの思うままに着せ替えできます。 職業についている人は現実世界と同じ権限をアバターが持つことができます。 例えば・・・ 消防士・邦彦さんのアバター → 現実世界の緊急発動令をOZから発令できる 水道局員・和雄さんのアバター → 現実世界の水道管理をOZから行える このようにOZと現実世界は密接につながっているので、アバターが盗まれると、ライフラインも制御不能な状況になってしまいます。 例えば、アメリカ大統領のアバターが盗まれると、核ミサイル発射権限も盗まれてしまうのです。
引用:映画「サマーウォーズ」公式サイト

OZもオアシスも、現実と仮想現実の世界の考え方に違いが見られる。

『サマーウォーズ』のOZ:
現実と仮想現実が連動し、密接に繋がっている世界
『レディ・プレイヤー1』のオアシス:
現実とは違う自分として生きられる仮想現実として分断された世界

自身の素性を明かしてインターネット上で生きるよりも、匿名性のある中での発信が好まれる傾向がある。
その点で自分とは違う存在として生きたいニーズを満たしてくれるオアシスのような仮想世界のほうが、現代の多くの人は惹かれるだろうなと思った。

②日本の映画ファンのためにつくられた映画

監督であるスティーブン・スピルバーグは本作を「ニッポンのためにつくった映画」と言っている。
日本の舞台挨拶だから多少のリップサービスはあるのかもしれないが、それでもやはりスピルバーグ監督から日本への特別な想いを感じられずにはいられない作品だ。

それが以下のスペシャル映像で分かる。

これまでメカゴジラとガンダムを戦わせるという夢のようなコラボを思いつく人はいても、自身の映画作品で実現させた人はいないだろう。

また個人的な話になるが、私はあまり海外映画を観ない。
そのため作品中に練り込まれているネタの原作を半分も観ていない。
おそらく全てを観たことがある人も多くはないのではない気がする。

もちろん全てのネタが分かれば十分に楽しめるのは間違いない。
しかしそれらの作品を観ていなくても分かるレベルのキャラクターが登場したり、たとえ分からなくても前後の脈絡から作品内容の大枠が分かるという点から監督のこだわりが感じられた気がした。

(映画の制作費の中で版権料の割合、かなり多いのではないだろうか…)

③現代のソーシャル人間が「現実を生きているか?」考えさせられる

作品中で、主人公は現実世界よりも仮想現実の中に生き甲斐を見出しているシーンがあり、「あんたは現実を生きていないんだもんね」と批判される。

この言葉は彼だけではなく、現代のソーシャルに生きる全ての人間が突きつけられた言葉のように思えたため印象に残った。

かく言う私も、ソーシャル人間と呼ばれる。
SNSという仮想現実に身を投じて、その姿が現実の自分とかけ離れているとSNS上の自分をより良く見せたくなってしまうこともあるかもしれない。
そんなときにSNSばかりに注力していたら、現実に生きているとはいえないだろう。

「現実に生きる」にはストーリーの結末としてもあったように、仮想現実の世界から意識的に距離を置く必要が出てくると思う。
これは、ソーシャルに生きる人間が仮想現実に飲まれず生き続けるためにすべきことかも知れないと感じた。

※アイキャッチの西郷隆盛像は映画鑑賞行ったときに日比谷にいたものである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?