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ひとりの「文盲者」の挑戦 ー宣伝会議講座 開講によせてー

9月から、宣伝会議「編集・ライター養成講座(即戦力コース)」で文章修行をしている。

今年10年目を迎えた本講座は、過去に多くの編集者やライターを輩出し、これら職業を志す者たちにとって一つの登竜門のような役割を果たしている。ゲーム作家、ライターなど多くの肩書きを持つ米光一成氏が講師を務め、通称「米光講座」とも呼ばれる。

講座では各回に課題図書が指定される。初回に指定されたのは、意外にも小説 『悪童日記』(アゴタ・クリストフ著) だった。東欧のとある国の動乱を舞台に、疎開した双子の子どもたちが戦禍の混乱を生き抜く物語だ。

文章指南本が並ぶ中、一冊だけ毛色の違う作品が混じっていることは、開講前から気にはなっていた。どうやらこの一冊に、開講に向けての米光氏からのメッセージが詰まっている。心してページを捲る。

作品において重要な教訓の一つは、前半で唐突に明らかにされる。

”「良」か「不可」かを判定する基準として、ぼくらには、きわめて単純なルールがある。作文の内容は真実でなければならない、というルールだ。ぼくらが記述するのは、あるがままの事物、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこと、でなければならない”

”感情を定義する言葉は非常に漠然としている。その種の言葉の使用は避け、物象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実な描写だけにとどめたほうがよい”

この作品の極限までに抑制的かつ客観的な文体は、これらルールによるものであることを知る。感情を排し、主人公が体験した事柄のみを淡々と描写するさまは、ジャーナリズムのようである。私たちはここから多くを学ぶことができる。何かを伝えるために過度な装飾は必要でないこと。空白にこそメッセージが浮かび上がること。何より「作文の内容は真実でなければならない」ということの凄まじいほどの重み。

しかしこれらは、文章指南本を片っ端から当たっていけばいつかは辿り着けそうな教訓でもある。

米光氏があえて「この一冊」に託したメッセージは何か。

その答えを求め、クリストフの自伝に手を伸ばした。

クリストフは4歳から「手当たり次第何でも読む」ような子どもだった。21歳で乳飲み子を抱えスイスに亡命した時、彼女は家族と友人と祖国とを失った。フランス語圏での生活の中、彼女は次第に母語をも失っていく。喪失の日々を、彼女は文化的砂漠と形容する。「文盲に戻ってしまった」、と彼女は言う。「4歳で本を読むことができたこのわたしが」。

かくして彼女は自らの自伝に『文盲』と名付けた。

難民としてスイスに渡った彼女の状況とは比較にもならないが、実は私も過去に、言葉の通じない国に暮らした経験がある。
折しも同じフランス語圏だった。
冗談ではなく、文字通り「ボンジュール」しか知らない状態で現地に降り立った。そこからの暮らしは、中々大変なものだった。

フランス語がほとんど一切読めない。街中の標識が、看板が、注意書きが意味するところがわからない。地下鉄を降りても、出口がどの方向かわからない。出口ではなく乗り換え口の方に進んでしまい、延々駅から出られないなんてことは日常茶飯事だ。 

街頭デモで地下鉄が閉鎖されたある日のこと。地下鉄の入り口に注意書きの看板が立てかけられていたのだが、私にはそれが読めなかった。やけに人が少ないとは思いつつ、階段を半分くらい降りたところで、屈強な警察官に背後から肩を鷲掴みにされた。ものすごい剣幕で叱られ、追い出された。

フランス語を読めないだけでなく、簡単な会話すら聴き取ることができない。

ある日地下鉄に乗っていたら、すぐ隣で男性二人が口論を始めた。徐々にヒートアップしていく。しかし私には、彼らが何を話しているのかさっぱり理解することができない。ただの喧嘩なのか、何かのトラブルなのか、それとも事件なのか。車内の空気は殺気立ち、身の危険すら感じはじめる。周囲の乗客の表情にヒントを探そうにも、みな我関せずといった表情をしている。ある駅で電車が停車する。アナウンスが流れる。バラバラと乗客たちが降りていく。今や男性二人は、互いを突き飛ばさん勢いで取っ組み合っている。私もたまらず電車を後にする。彼らの喧嘩と、停車したこととの因果関係は、分からないままだ。

意を決してフランス語を学ぶことにした。講座に申し込むと、数日後、受講生として受け入れられた旨を伝える簡潔なメールが届いた。実質2行くらいの内容だった。しかしそれすら解読できず、隣にいた友人に文章の意味を尋ねた。「そんな処でつまづいていて本当にやっていけるのか」と、半ば呆れ顔で心配された。

目からも耳からも、ほとんど一切情報が入ってこない。
このような状況を、クリストフは「文盲」と呼んだのだろうか。

私は難民としてフランスに行ったわけではないから、彼女の壮絶な境遇や心境についてまでをも正しく慮ることはできない。しかし、日常生活レベルの不都合という点においては、もしかしたら似たような思いを少しだけ味わったかもしれないと思う。

彼女の自伝に話を戻す。90ページ近くにわたり暗澹とした日々の記録が続き、しかし最後はこのような文章で締めくくられる。

”わたしは、自分が永久に、フランス語を母語とする作家が書くようにはフランス語を書くようにならないことを承知している。けれども、わたしは自分にできる最高を目指して書いていくつもりだ。(中略)そう、ひとりの文盲者の挑戦なのだ。”

そうして形となった彼女の挑戦が、『悪童日記』をはじめとする一連の作品となり、今私の眼前にある。私は己に問う。

果たして今の私は、「文盲」ではないと言い切れるか。

幸い私は、この日本で、母語で執筆することができる幸運に恵まれている。しかし日本人として母語に囲まれ大人になったからといって、果たして私は自分の言葉をどれだけ知っているだろうか。日本語でなら、伝えるべきことを常に正しく読み手に伝えられるというのか。
本講座の開講にあたり、アゴタ・クリストフの一連の著書に引き合わされたことは、何らかのメッセージだと思わざるを得ない。

何かを書こうとするとき、私はフランスでの日々を、あたかも「文盲者」のように暮らしたあの日々のことを、思う。時に嘲笑されながらも、赤子のようにフランス語を吸収し、自分の中に取り込んでいった日々のことを。これっぽっちしかないボキャブラリーの中で、常に「これしかない」言葉を、迷いながらも必死で絞り出したあの日々のことを。

その気持ちを忘れず、私は書きたい。

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