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かけがえのない夏

私は、夏がきらいだ。

「寒いの」と「暑いの」の2択なら、断然「寒いの」を選ぶ。

人一倍汗っかきで、冷たいものを摂らないといられないのに、冷たいものを摂るとすぐにお腹を壊す。
頭も痛くなるし、少し動いただけで目まいがして倒れそうになることがしょっちゅうある。

もう24回も夏を過ごしてきたけど、思い出されるのはどれもこれも苦い思い出ばかりだ。


夏と聞いて真っ先に思い浮かぶのは「海水浴」や「プール」だが、私は泳ぐことができない。

昔、小学生の頃に友達と遊びに行ったプールで溺れたことがある。
子供も大人も一緒に楽しめる流水プールで、友達と一緒に仲良く喋りながらプカプカ浮いていた…はずだった。
途端に視界が真っ青になり、息が苦しくなった。足元がすべったのだ。
浮き上がろうと必死にもがいても、足をつける前に体が流されてしまう。
口に水が入るのも構わず「たすけて」と叫んでみたものの、ゴボゴボと頼りない音を立てるだけで、そこにいるはずの友達の手が伸びてくることはなかった。
結局自力で足をつけることができたが、顔を上げた時、友達とその子のお母さんは笑っていた。
聞いてみると、私がふざけて「溺れたふり」をしていると思ったらしい。

まだ幼いながらに、初めて死を覚悟した瞬間だった。

その後、短期のスイミングスクールに通うなどしたが、結局今日まで泳げるようにはなっていない。
中学校の水泳大会では、恥ずかしながらビート板なしでは5メートルにも届かなかった。

さらに、体にコンプレックスがあり、小学校高学年になった頃からは水着を着ること自体がとても嫌だった。
一度クラスメイトにからかわれたことをずっと引きずっていて、中学・高校ではなるべく授業を受けないで済むように仮病を乱用していた。


苦い思い出はプールだけではない。

小学生の時も、中学生の時も、高校生の時も不登校になったのは夏だった。
まったく意識して揃えたわけではなく、単純に私は夏とはとことん相性が悪いらしい。

おまけに、花火大会やお祭りに一緒に行く友達もいない。


だけど、いつも周りが羨ましかった。
本当は私もみんなと同じように夏を楽しみたいと思っていた。

だから、ここには楽しかった夏のことを書こうと思う。



今から5年前のこと。

学校では生徒会の役員として文化祭に携わり、学校以外では花火屋のバイトで毎日季節を感じていた"あの夏"は、人生のピークだったと言っても過言ではない。

そんな充実した夏が終わる頃に、学校の校外学習で一週間の沖縄旅行に行くことになった。

校外学習といっても、なにか特別に勉強をしに行くわけではない。
「離島で地域の人と触れ合い、自然の中でゆったりした時間を過ごす」というのがこの旅行の目的だった。

行き先は、伊平屋島という沖縄で最も北にある離島。人口は1300人ほどで、信号機が一つしかないような島だ(それも小中学校の教育用らしい)。

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7泊8日の旅行中、3日間は民泊で現地の方のお宅にお世話になった。

私が泊まったお家は、おばさんとおばあちゃんの2人暮らし。
おばさんには高校生の子供がいるが、島には中学校までしかないので、島の子供たちはみんな高校に上がるときに島を離れなければならないのだそうだ。

おばあちゃんは方言が強くて、おばさんの通訳がないと会話の9割を理解することができなかったが、私たちをあたたかく迎え入れてくれた。

おばさんは、とてもルーズな人だった。

それぞれグループごとに泊まっている家が違うため、毎日決められた時間に決められた場所へ集合することになっていた。
そこそこ距離があるので、おばさんが車で送り迎えをしてくれるのだが、10時集合なら10時に、15時集合なら15時にと、その時間になってから家を出るのが普通だった。

民泊初日、集合時間の5分前になってもテレビを見ていたおばさんに「あのぅ、そろそろ…」と声をかけて「まだ早いから」と言われたときには、思わずルームメイトと顔を見合わせたが、3日目にもなると、不思議とそのペースに慣れてしまっていた。

おばさんがルーズなのは、時間だけではない。

初めて対面した日に「うちに来たら絶対に三味線を聴かせてあげるね」と言われたが、結局一度も聴かせてはもらえなかった。

楽しみにしていたし残念だったけど、別に約束をしていたわけではない。
「絶対」と言ったからといって「絶対」とは限らない、そのテキトーさがかえって心地良く感じたりもした。


2人は、毎日島の食材を使ったおいしいご飯をたんまりと作ってくれた。

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エンゼルフィッシュも、「刺身にシークヮーサー」も、ドラゴンフルーツも、ハイビスカスジュースも、生まれて初めて口にするものばかりだったが全部おいしかった。


民泊先で過ごす最後の日には、綺麗な景色を見せにたくさんの場所へ連れて行ってくれた。

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山があり、木が生い茂り、無数のサトウキビが生えている、その奥には広大な海と空。


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青い空に、白い砂浜に、エメラルドグリーンの海。

そんな何かの歌詞でしか聞いたことがないような景色を目の前に、ただただシャッターを切るばかりだった。


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丘の上から見た夕日の美しさには、思わず息をのんだ。


写真は撮れなかったけど、夜空もとても綺麗だった。

生まれて初めて見た流れ星はくっきりとはっきりとしていて、地面に寝ころびながら無数の星を眺めていると、悩み事がすーっと消えていくような気がした。

最後におばさんとおばあちゃんに帰りのフェリーの時間を伝えると、「絶対に見送りに行くからね」と言ってくれた。


そして島を出る日、お世話になった方々が総出で見送りにきてくれていた。
ルームメイトと目を凝らして探したが、案の定2人の姿はなかった。

泣きながら抱き合って別れを惜しんでいる人たちもいる中で少し肩透かしを食らったけど、「まあ、おばさんたちらしいよね」と笑いながら島にお別れすることができた。


伊平屋に行って島の人と交流してみて、普段いかに私たちが時間に縛られて生活しているかが分かったような気がした。

そして、小さなことから大きなことまで、多くの「初めて」を経験した。
民泊も、飛行機やフェリーに乗るのも、2日以上家を空けること自体これが初めてだった。

でも実は、集団行動が苦手な私にとって、たくさん悩んだ旅行でもあった。

あの時はいっぱいいっぱいだったけど、今になって「もう少しうまくやれたはず」とか「あそこで殻を破ることができていたら」と悔しく思うこともある。

ただ、そうやって悩んだ経験も全部ひっくるめて、その年のその時にしかできなかった旅行なのだと思う。

だから、いつかまた、ここでしかできない経験をしに伊平屋へ行きたい。

瓶に詰めた貝殻を眺めながら、あの空と海と島の人たちのあたたかさに、今年も思いを馳せている。

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