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遺書を書くとして

まず言っておくと死ぬつもりではない。

ただふと思った。遺書を書いたら自分の人生を俯瞰してみることができるのかな、と。

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まず一番に言いたいのは謝罪。このような形で命を消費してしまって申し訳ないと思っています。せっかく多額の資金と無償の愛を注いでもらったのに実をつけることなく枯れる植物のような真似をしてしまったことは反省しています。そして一番思うのは「なぜ?」ということでしょう。いくら私が理由を語ろうと「なぜ」が浮かんでいる時点で理解はできないでしょう。なぜなら私は効率よく生きたかったからです。一番大きなきっかけは母親を亡くしたことだと思います。一般的に人は死を意識すると「時間は有限だから人生を充実させて後悔ないように生きよう」と思うのでしょうが、私は「どうせ人は死ぬのだから何かしら後悔を多く抱える前にさっさと死んだ方が幸せではないか」と感じてしまいました。年を重ねるごとにこの考えは色濃く思考に出てくるようになり、いつまで続くかわからない人生に耐えられず画面を閉じてしまいました。これは中学生のころから定期的に沸き上がりじわじわと僕ののどを締め付けていきました。理解はたぶんできないと思いますが事実としてこうであったと知っておいてほしいです。
不幸であったとか人生に嫌気がさしたとかそういうネガティブな理由ではないです。違う言い方をすれば、単純に飽きたのです。一度きりの人生だからやりたいことやって満喫しよう!なんて思う時期もありました。しかしやりたいと思うこともなく、探す気力も、見つけたとしても努力する根気もなくてどうせ今の延長線だろうと決めつけました。これ以上書くこともないのでこれにて。
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書いたけど死ぬ理由しか書けんかったな。

なんなら親しかった人に何の言葉もなく死ぬのって結構失礼だったかな。

必要かなと思いつつも「まぁ面倒だしいっか」で書かなかった笑。

思っていることではあるけど今は生きる気満々。

気分的に「人生謳歌してやるぜ!」となってるから。

ちょっと話が変わるけど、苦しまず一瞬で死ねる薬かなんかがドラックストアでもし売られたら頑張って生きられる気がするんだよな。

「もししんどくても死ぬときは楽に死ねるんだからもう少し頑張ってみるか」みたいな感じで。

話ぐちゃぐちゃだけどつまり遺書書いてみたら本音とか見えるかもよってことで!

ではでは。

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