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夜次元クジラは金魚鉢を飲む #25



25. デザートタイム



「あ、波留ちゃんだ」

 窓辺の椅子に腰かけて机に足を放り出していた海斗が、ふと窓の外に目を向けた。シンはベッドの上で腕立て伏せするように半身を起こし、その反応を見た海斗が嫌らしくニヤッと笑う。その顔のままガラっと音をさせて窓を開け、冷たい夜気が波のように部屋の奥まで入り込んで来た。

「波留ちゃん、そこで何やってんの? 良かったら上がってこない?」

「ちょっと、海斗」

 シンがベッドから跳ね起きて窓に駆け寄ると、波留が前に見たことのある水色のワンピースをはおってこちらを見上げていた。ジャケットにしているのが波留らしく、その姿をながめながら、やっぱり波留のことが好きなのだとシンは自覚する。

 金魚部屋でのことや、夜の海のこと、波留と何をしてどんな話をしているのか、ついさっきまで海斗から質問攻めにあい、観念して好きかもしれないと白状したばかりだ。シンはこうして波留を見ているだけで、何かに駆り立てられているような心持ちになる。

 どう声をかけていいのか分からず、シンは海斗の隣に立って手を振った。

「上がっていいの?」

 波留の声が路地に響いた。

「いいよ」

 海斗があっさり返して手招きし、シンはとっさに部屋を振り返る。おかしなものを置いてなかったか、こんな時間に女子を部屋にあげていいのか、母親が何と言うか、いろんなことが頭を駆け巡る。

「波留、ちょっ、ちょっとだけ待って」

 シンが窓から身を乗り出したとき、波留の後ろに人影が見えた。

「波留、そろそろ戻ってきなさい。デザート来てるよ」

 彼女の母親のようだった。波留は後ろを振り返ったあと、再びシンの部屋の窓を見上げる。

「デザート、そっちで食べていい?」

「えっ? えっと……」

「いいよ。シンが取りに行くから波留ちゃんも一緒に上がっておいでよ」

 海斗はさも当たり前のように言い、波留の母親に向かって「こんばんは、CONAコナの海斗です」と手を振った。

「こいつ、波留ちゃんのクラスメイトです。そこのシェ・マキムラの息子なんで、安心してください」

 波留の母親は迷っているようだったけれど、シンは海斗にぐいと背中を押されて部屋を出た。そのまま階段を駆け下り、リビングでテレビを見ていた母親に事情を説明しようとしたものの、上手くできず一緒に玄関を出ることになった。

「こんばんは」

 外灯に照らされた波留が、いつになく愛想の良い笑顔で頭を下げた。母親同士がお互いの自己紹介を終えると、シンの母親が波留に笑顔を向ける。

「寒いからあがって」

「ありがとうございます。お邪魔します」

 波留は会釈してさっさと玄関の方へ歩いて行く。

「デザートは母さんがもらってくるから、シンも部屋で待ってなさい」

「ありがとう、母さん」

 シンが波留の後を追っていると、背後から「ご迷惑にならないようにね」と波留の母親の声がした。波留は振り返りざまに笑顔でうなずいたけれど、前を向きなおして小さくため息を吐いたのをシンは見逃さなかった。

「あの人も一緒だった?」シンは波留に聞く。

「あの人って?」

 波留はシンに顔を向けることなく靴を脱いでいる。つっかけていたサンダルを脱ぎ捨てたシンは、波留を追い越して廊下を先に歩いた。

「波留の父親になりたがってるって言ってた人。その服の」

 階段の手前でシンが立ち止まると、波留は「家の中は暑いね」と、ワンピースを脱ごうとする。

「その着方、波留っぽくてかわいいのに」思わず口にしていた。

 波留はポカンとした顔でシンを見つめ返し、シンは恥ずかしくなって「上だから」と一気に階段を駆け上がった。勢いにまかせてドアを開けると、海斗がニヤニヤと顔を緩ませている。

「波留ちゃん、いらっしゃい」

 まるで我が家のように海斗は二人を迎え入れ、「俺はお邪魔かな?」とわざとらしく首をかしげた。

「海斗、そこどけよ」

「いいじゃん、シンと波留ちゃんはそこに座ればいいだろ」

 海斗が椅子に座ったままヒョイと足先でベッドを指すと、波留は素直に腰をおろし、部屋の真ん中で立ち尽くすシンを不思議そうに見上げる。波留には座る場所がベッドだろうが何だろうが関係ないようだった。

「シン、海斗に金魚の話した?」

 シンが答える前に、海斗が「聞いたよ」と返事をした。

「CONAに一匹持ってくるって話だろ」

「うん。CONAに置いてもらえるかどうかは別にして、早く水槽別けないと出目金死ぬよ」

「マジ? そんなに弱ってんの?」

 シンを置いてきぼりに会話は進み、波留の体はすっかり海斗の方を向いてしまった。気配を消して波留の隣に座ろうとしたとき、ガチャッとドアが開いてシンは反射的に姿勢を戻す。

「シン、なに直立してんの? はい、これ。デザート」

 母親が差し出したトレーを見て、「すげぇ」と海斗が身を乗り出した。

「海斗君とシンのもおまけしてくれたから、どうぞごゆっくり」

 シンにトレーを押し付けると、母親はよそ行きの笑顔でドアを閉めた。ベッド脇のローテーブルにトレーを置き、三人でそれを囲むと波留が「おいしそう」と口元をゆるめる。

「こっちが俺とシンのやつか。波留ちゃんの、食べるのもったいないな」

 海斗とシンはピンク色のソルベが入ったココットを取り、波留はデザートの盛られた皿を目の高さまで持ち上げて観察した。ピンク色のマカロンに苺のミルフィーユ、苺のソルベは小さなグラスに入れられ、皿はエディブルフラワーと赤いソースで彩られている。紅茶もついていた。

「アートだ」

 ポツリとつぶやくと、波留はマカロンを指でつまんでほおばった。海斗は「うまっ」と叫んでココットを一瞬で空にし、シンのソルベもあっという間になくなってしまった。

「やっぱ、おじさんの作るもんはうまいな。うちの親父とは比べもんにならねえ」

「CONAのロコモコもうまいよ」

 シンが言うと、海斗はバァカと笑った。

「シン、知らねえの? あのハンバーグのレシピ、おじさんに教えてもらったらしいぞ。CONAで使える食材とシェ・マキムラとじゃ雲泥の差だろうけど」

「そうなの? あれ、そうだったんだ」

 黙々とデザートを食べていた波留が、クスッと笑い声を漏らした。ようやく普通に喋れそうな気がしていたのに、シンの心臓はそれだけで騒ぎはじめる。

「そういえば、猪肉って僕はじめて食べた。おいしかったって、お父さんに伝えといて、シン」

 海斗のニヤニヤ顔は止まらないが、「うん」とシンがうなずくと、波留はそれで料理の話は終わりというように真顔になって海斗を見た。

「金魚のことなんだけど」


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