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夜次元クジラは金魚鉢を飲む #26


26. ブックマーク


 波留が金魚の話題を振ったとたん、ああ、と海斗は真面目な顔になった。

CONAコナに置くかどうかは分かんないけど、一緒に飼うのが難しそうなら俺が引きとるよ。もともと俺がとってきた金魚だし」

 それを聞いて波留がホッと息を吐いた。

「出目金、かなり弱ってた。明日にでも別々にした方がいいと思うんだ」

「明日? そっか、波留ちゃん明日も学校行くんだ。じゃあ、俺も行こうかな」

「海斗、明日金魚連れて帰る? 森谷先生はしばらく別々にして、その後に戻してみたらどうかって。それでもダメだったら自分からも海斗にお願いしてみるって言ってたけど」

 そっか、と海斗は思案するように頬杖をつき、シンは「水は汲んでおいた?」と、ようやく会話に加わった。

「あ、うん」

 シンの存在を忘れていたように、波留がパッと振り返る。

「出目金の尻尾また小さくなってて、泳ぐのも面倒くさそうだった。金魚って、尻尾生えてこないよね」

「金魚の尻尾が生えるなんて聞いたことないけど」

 海斗は「トカゲじゃあるまいし」と笑ったけれど、ポケットからスマートフォンを取り出して「金魚の尻尾って再生すんの?」と問いかける。

『金魚のヒレが傷ついた場合、損傷が少なければ時間の経過により治癒します。さらに詳しく知りたい場合はこちらをタップして下さい』

「だってさ。治らなくなる前に別けてやった方が良さそうだ」

 海斗は喋りながらスマートフォンを指先で操作し続け、あ、とつぶやいて手を止めた。

「金魚は寂しくても死なないってさ。たった二匹だし、別々にすると可哀そうって思ったけど、身の安全の方が優先だよな」

 そりゃそうだ、と自分に言い聞かせるように海斗は言い、金魚にでもなったようにため息を吐いた。

「ねえ、海斗はどっちの金魚が好き?」唐突に波留が聞いた。

「俺は別にどっちが好きとかはない。森谷先生は出目金がお気に入りだったけど」

「海斗は金魚と話したりしないの?」

「あ、俺そういうタイプじゃない。せめて鳴き声とか返って来ないと虚しくなるから」

「そういう相手、いないんだ」

「そういう相手って、話し相手ってこと? それならいるよ。ほら、シンとか、波留ちゃんとか、他にもいろいろ」

「森谷先生とか?」

 海斗は一瞬驚いたように目を見開いたが、そのあと「もちろん」といつも通りのふざけたニヤニヤ笑いを浮かべた。

「森谷先生は出目金によく話しかけてる」訴えるように話す波留の横顔を、シンはぼんやりながめていた。

 女子ではあまり見ない極端に短い髪。真っ黒で、よく見るとゆるやかなくせ毛。はっきりした二重の、切れ長の目。鼻はあまり高くなく、少し耳が立っている。波留が鳩尾のあたりに手を持っていくのを見て、「まただ」と思う。服をキュッと掴むその仕草は、どうやら波留の癖らしい。

「シン、そんなに見つめてると波留ちゃんに穴があくぞ」

 波留が振り返り、不信な顔でシンを見た。

「何? シン」

「な、なんでもない。その、服をつかむのは癖なのかなって」

 無意識だったのか、波留はうつむいて自分の手の位置を確認した。彼女が握っていた手を開くとペンダントがゆらゆらと揺れ、彼女はそのチャームをシンの目の前にぶら下げて見せた。

「クジラの尻尾?」

「うん。死んだ母親にもらった」

 銀色のチャームには、花のような細かな模様が刻印され、裏側に『HARU』の文字がある。

「ホイールテールって幸運のお守りだよ。CONAでも売ってる」

 海斗はテーブルから身を乗り出してチャームに顔を近づけると、「うちの店にあるのはこんな高そうなのじゃないけど」と言いながら指でつまんで裏表を観察した。

 シンが思い出していたのは、スケッチブックに描かれていたクジラのことだ。それに、波留は「ヨジゲンクジラ」と、何か・・に呼びかけるように口にしていた。死ぬのは怖くない、と。

 シンの背筋にゾクリと悪寒が走った。

「波留」

 何気なく呼んだつもりの声が強ばって、波留は不思議そうに首をかしげる。

「あのさ、クジラは波留にとって母親みたいなもの?」

 波留はペンダントを服の中にしまい、「どうかな」と紅茶に口をつけた。

「母親っていうより、クジラは母親に会うための案内人、かな」

 波留は紅茶の最後の一口を飲み干し、いつの間にか床に寝そべっていた海斗が「それわかる」と頭を起こした。

「墓とか仏壇とか、そこにじいちゃんがいるんだって言われてもピンとこないんだよね。物は物っていうか。でもまあ、思い出すきっかけにはなるわけだし、ブックマークみたいなもんだなって思う」

「へえ、ブックマーク」と、波留は自分の胸元に目をやる。

「ブックマークか。あ、でも三次元にマークすることになるからダメなのかな」と彼女はブツブツとひとり言を続けた。

「波留ちゃん。何言ってるのか俺には意味不明」

 海斗が寝そべったまま両手をあげて万歳する。

「あ、ごめん。僕の妄想っていうか、空想?」

「空想?」

「もし四次元が存在していて、僕が時間も空間も自由に行き来できるなら、ペンダントみたいなものを三次元に置いておけば目印になるかと思ったんだ」

「四次元……」

 海斗は眉間のあいだにシワを寄せ、シンの頭には当然『ヨジゲンクジラ』という言葉が浮かんだ。

「でも、それだと僕は四次元の住人にはなれないんだ。三次元の物に執着していたら結局僕は三次元の住人でしかないから」

「波留は四次元の住人になりたいの?」とシンは聞いた。昨日の波留の言葉からすると、四次元は死後の世界のようにも思える。

「妄想だよ。行こうと思っても四次元には行けない。三次元に執着してる限り」

「わかんねえ。まず、波留ちゃんの言ってる四次元が何なのかわからん。俺にとっての四次元は四次元ポケットだけだ」

 ぼやいた海斗が「よっ」と勢いをつけて起き上がったとき、波留のスマートフォンが鳴った。

「メール来た。車で待ってるって」

 シンが立ち上がって窓の外を見ると、路地を歩いてくる三人組の姿があった。波留の母親と、CONAの二階から見かけたあの男。一番後ろを歩いてきたもう一人の男性を見て、シンは「えっ」と声を漏らした。

「波留。あの人、誰?」

 波留はシンの隣に立つと窓を開けて彼らの手を振り、背の高い海斗が二人の頭越しに外を見て「そっくりだな」とつぶやいた。

「僕の叔父。生物学上の父親」

「え……」

 シンと海斗の口からは次の言葉が出てこなかった。

「うち、元は同性婚なんだ。それで、叔父に精子提供してもらったみたい。ディナーを楽しむには微妙な顔ぶれ」

 路地の三人が手招きしながら駐車場に入って行く。

「一緒に暮らしてる男の人は、波留ちゃんの何?」

 海斗が聞くと、波留は「他人」と口にした。

「シン、ごちそうさま。お皿、置きっぱなしでいい?」

「えっ、あ、うん」

 部屋を出ていこうとした波留がふと足を止め、ドアの傍に吊るしてある、針金で編まれた三段のハンギングバスケットに目をやった。雑多な小物がごちゃごちゃと詰め込まれたバスケットの一番上の段から、波留はスノードームを手にとる。

 ドームの中にはブリーチングするように体を反らしたザトウクジラ。青く透き通ったそのクジラはクリスタルの結晶に囲まれ、波留がスノードームの上下をひっくり返してまた元に戻すと、キラキラした粒が降り注ぐ。シンがまだ小学生の頃、誕生日に父親からもらったものだ。

「波留、気に入ったなら持って帰っていいよ。ホコリかぶってるけど」

 波留は少し考えたあと、服でホコリを拭ってテーブルの上に置いた。

「いらない。そこに飾っといて」

 波留は宝の地図でも見つけたような笑みを浮かべ、ドアを開けて出ていった。海斗も「帰るわ」と後を追い、シンが階段を下りたときには玄関先で波留とシンの母親とが社交辞令のような挨拶を交わしていた。

 駐車場から出て来た車が路地の手前で一時停止し、助手席側の窓が開く。波留の父親になりたがっている男が、「お世話になりました」と頭を下げた。

「じゃあ、明日」と波留が言うと「また明日」と海斗が手を振る。

「シンもだよ。明日、学校で」

 波留は念押しするように言い、後部座席に乗り込むとすぐに窓を開けた。

「おやすみ」

「おやすみ。明日、学校で」

 片手をあげたシンの脇腹を海斗がつついた。海斗のニヤついた顔を見たくなくて、シンは車が見えなくなるまで路地に向かって手を振り続けていた。


次回/27.二人の四次元散歩

#小説 #長編小説 #ファンタジー #夜次元クジラ #創作大賞2022


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