短編小説/蛹の聲
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あの子がハッピーな歌をうたいたいと言ったから、わたしは学校をやめた。そのあとコロナで一斉休校になった。
5年後、あの子はYouTubeでうたっていた。Sanagiという名前で。
蛹の聲〈1〉
『――……えー、こんばんはー、Sanagiでーす。ひさしぶりの生配信。こんな夜中に起きてる人、けっこういるんだねー。
あ、気づいた? このティーシャツ、ともだちがつくってくれたんだ。チョウチョの絵。……あー、ごめんね、売ってない。販売したら買ってくれる? えー、ほんとに? じゃあ、今度あったとき相談してみる』
>買う!絶対買う!
>ちょーかわいー ほしいほしい
>ぜひ販売してくださーい
>Tシャツはカワイイ系の蝶だー♡
どっちの蝶もステキ
>実はSanagiさんとおそろで蝶のタトゥー入れちゃいました!!
『――……あ、タトゥー入れたんだ。同じ場所かな。手の甲、いたくなかった?』
スマートフォンのちいさな画面のなかで、右手の甲にとまった蝶がひらひらとギターを奏ではじめる。歓声と拍手の絵文字で埋めつくされたチャットを無視して、Sanagiの手の甲に描かれた蝶を目で追った。
顎とちょうどおなじ長さの髪がサラサラゆれて、うつむくとようやく唇が画面に映り込む。ときおりたよりなく掠れるくせに、つよい歌声。
――わすれちゃったの、あのときのきみのゆびさき、かすかにふるえて、せかいをきりさいたきずぐちからちょうちょ、からっぽのさなぎ――……
ファルセット。いま、画面の枠の外にある、Sanagiの眉間にシワがよるのをわたしは知っている。たぶん、いまこの配信を見てる中ではわたしだけが。
――……にげだしたゆめのくに、かけあがるかいだんのむこう、ひとかけらのバブル、おぼれるまえにあなたをみつけた、いきをしてもいいですか……――
>やっぱ泣けるー Sanagi最高♡
>Sanagiさんの歌好き
声もいいけど歌詞も好き
>眠れなくてもSanagiの歌聞いてると一人じゃないって思う
>歌詞いい
作詞のAomusiさん気になる
>Sanagiだいすき
>♡♡♡
>Aomusiさん呼んでほしー
午前3時、視聴者283人。外灯に群がる蛾のようにSanagiチャンネルに集まる283人は、蝶にはなれないけれど蝶になった夢をみる。
会わなかった5年のうちに、あの子は蝶になった。わたしだけが知っていたあの子の歌声をいま283人が聴いていて、みんな”私が見つけた私のSanagi”と思っている。あの子は蛹(サナギ)じゃなくてアゲハ蝶だと知っているから、わたしはチャットをながめてバカなやつらとわらう。
500円のスーパーチャットを投げた。
ずいぶんむかしの、コロナ前のSanagiの制服姿が頭をかすめたけれど、スマホのなかで歌うのはわたしの知ってるのとちがうSanagi。あのころSanagiはまだSanagiじゃなくて、わたしもSanagiも四角い教室で授業をうける、ふつうの女の子だった。
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