短編小説/俺はあなたの前で泣かない
2017年。小説書き始めて半年くらいの頃に書いたものです。小説投稿サイトのコンテストで大賞をいただきました。
1.それを悔し涙と言う
小さな指で懸命に連打していたリモコンを放り投げ、俺の隣にいたチビは台所にいる母親の元へ駆けていった。彼の真一文字に結ばれていた唇は、母親の太ももに抱きつくなり大きく開く。腹の底から絞り出すような泣き声がリビングまで響いてきた。
「カケル、また負けちゃったの?」
母親の問いかけに返事をすることもなく、どこから出ているのか分からないくらいの叫び声に、窓辺のマッサージチェアにだらりと太った体を投げ出していたカケルの祖母が「もう!」と煩わしげに眉をしかめた。
「カケルちゃん。負けて泣くくらいならゲームなんてやめなさい。男の子でしょ。ゲームは楽しくするの。遊びで泣くなんて恥ずかしいわよ」
祖母はマッサージチェアの電源を切り、立ちあがって台所へと向かう。「ほら」と母親からカケルを引き剥がそうとし、チビの泣き声が更に大きくなった。カケルの母親は、実母である彼女を「まあまあ」とたしなめる。
「男の子だから悔しくて泣いちゃうのよ。あまり叱らないで」
「もう。あなたがそんなだからカケルちゃんがいつまでたっても赤ちゃんなのよ。母親ならちゃんと躾けなさい」
俺は三人の会話を聞きながら、カケルが戻ってくるのを待っていた。勝手に一人でゲームを再開しようものなら、彼の泣き声はさらに大きく部屋中に響くことになるだろう。立ち上がるのも面倒で、俺はテーブルの上のスマホに手をのばし、適当にいじって時間を潰した。
朝十時。出かけるのはもう少しあとでいい。
「春樹おじちゃんを見習いなさい。おじちゃんはカケルちゃんみたいにワンワン泣いたりしなかったわよ」
どうやら俺も会話に加わる羽目になりそうだ。
カケルは俺の甥、口うるさいカケルの祖母は俺の母親である。土曜日の昨日、姉はカケルを連れてこの実家に遊びにやって来た。それは、まあ、俺が呼んだようなものなのだが。
俺がカケルのために何かフォローの言葉を口にしようとしたとき、思いもかけず当のカケルが反抗の狼煙をあげた。
「春樹おじちゃんだって、泣いてたもん。僕、お母さんにアルバム見せてもらったんだから。おじちゃんも絶対泣いてた!」
カケルの言葉に、俺は「ああ、あの写真か」と一人その場で苦笑した。
2.疾走する自転車
「春樹、ボーカルやってくんない?」
十月も終わりに近づいた週明けの朝イチ。俺はなぜかクラスメイトの夏生と、あと他クラスの知らない男二人に囲まれていた。
「ボーカル?」
「来週の文化祭の講堂ライブに俺らのバンドも出るんだけど、ボーカルが喉やっちゃって。間に合いそうにないんだ」
夏生は愛想の良い笑みを浮かべたけれど、他の二人は名のりもせず、ただ俺を観察するような冷めた目を向けてくる。
「なあ、夏生。本当にこいつで大丈夫なのか?」
坊主頭のチビが不満そうに夏生を小突いた。大丈夫も何も俺は返事すらしていないし、お前らに「こいつ」呼ばわりされる筋合いもないのだが。
「大丈夫だよ。なあ、春樹、頼むよ。他にいないんだって。お前昨日カラオケで歌ってたろ。モンパチの『小さな恋のうた』(※)。俺たちあれやるんだよ」
「歌ったけど、カラオケとバンドは別もんだろ。面倒くせえ」
――暑苦しい奴ら。
そんな風にしか思えなかった。歌なんてカラオケで適当に歌うか、帰りの自転車で鼻歌を歌うくらいで十分だ。何が悲しくて練習してまで人前で歌わなければならないのか理解に苦しむ。
クラスの奴らもそうだ。
毎日毎日、授業が終わったと思えばいそいそと部活へ駆けていく。汗を限界まで垂らし、マメを作り、テーピングを巻いて、どうしてそんな苦痛に耐えてまで自分の時間を犠牲にするのか。俺はさっさと帰ってゲームをするなり、漫画を読むなりしている方がよっぽど幸せだ。
「面倒くさいなんて言うなよ。春樹、帰宅部だろ。一週間でいいよ。講堂ライブの時だけ、俺たちを助けると思ってさ」
「でもなー。俺んちまで自転車でもかなり時間かかるんだよね。平塚町の外れのほうだし、畑のどまんなか突っ切って坂道上るだけで疲れるんだよ。バンド練習とかしたあと真っ暗な農道帰るのダリぃよ」
俺は上手い理由をこじつけたと密かに満足していた。けれど、どうやらドツボにはまってしまったようだった。
「マジ? ちょうどいい! 俺たちその平塚の畑んなかで練習してるんだ」
「はあ? 畑んなかぁ?」
「このチビ、秋彦っていうんだけど、こいつの家が平塚に畑持ってるんだ。で、秋彦の兄ちゃんがバンドやっててさ。農機具小屋改造して練習スタジオ作っちゃってんの。文化祭までは自由に使っていいって言ってくれてるから、俺らそこで練習してるんだ」
秋彦は自分の手柄のように照れた顔をしていた。もう一人の長身の男は「なるようになれ」とでも言うように、窓の外をぼんやりと眺めている。
「とりあえず今日の帰りにでも一緒にそこに行こうよ。一回合わせてみてさ、ダメだったら俺らも考えるから。冬馬も、いいだろう」
冬馬と呼ばれたその長身の男はチラリと俺を一瞥したあと、声も出さずただ二三度怠そうに首を上下した。
そして、俺は普段一人で鼻歌を歌いながら疾走する田園風景を、彼らの最後尾で追うことになった。
よろしければサポートお願いいたします。書き続ける力になります!🐧