文学の散歩道 (BU1J-2) 「義血侠血(滝の白糸)」(泉 鏡花) 2
◆ 「義血侠血(滝の白糸)」について
・この作品のポイントは、「規範」と「人情」とのジレンマです。
「大恩人(白糸)」は、人を殺していますから「殺人犯」です。
だから、「検事(村越)」としての公の立場としては、その罪を断罪することこそ、「立派」な検事です。
「白糸」は、「村越」が「立派」な検事になることを夢見て、「援助」をしました。
だから、「大恩人」に対する「恩返し」は、「立派」な検事の姿を見せることです。 すなわち、公正な検事の処断する姿を見せることです。
しかし、そうすれば、「殺人犯」である「白糸」は、犯行理由を加味しても「死刑」になってしまいます。
また、もう一方の考えとしては、検事である「自分(村越)」が「私情」を挟み、手心を加えることもできなくはありません。
要するに、わざと「自白追求」に追い込まないで、うまく、「白糸」の罪を見逃すことも可能だったかもしれません。
ですが、それでは「立派」な検事でありませんし、「白糸」の「自分」への「期待してくれた姿」に反します。
そんな「ジレンマ」の中で、結果的に、「大恩人」を「死罪」に追い込んでしまった「村越」は、「人情」としては、当然、やり切れない思いだったことでしょう。
だからこそ、「村越」は、「仕方なし」の状況での「強盗殺人」とはいえ、そこまでして、「自分」のために「学費」を工面してくれていたこともあり、大恩人の「白糸」に対し、
「検事」としては「立派」な行動をとったけれども、「命を救って」あげられなかったことに対し、「自殺」して詫びたわけです。
なんとも、やり切れない物語ですね。
「罪」を犯すことは、「悪い」ことです。 しかし、それが「本当の悪人」とは限りません。
今回の事件のように、「白糸」は、「人のため(村越)」に、罪を犯しました。 「白糸」自身の私利私欲のためではありません。
理由はともあれ、「部分的」にみれば、「強盗殺人」したことは「罪」です。 しかし、「全体的」な経過で見れば、「村越」に対しては「人助け」をしたわけです。
本当に、辛く悲しい話しです。
(短編のような小説で、読みやすいですので、ぜひどうぞ・・・)