作詞・入門講座 2-6.1 (SK2-6.1) 。 ②「作詞」について。 「書き過ぎない」。「余韻を残す」
「書き過ぎない」。「余韻を残す」
■ 「書き過ぎない」。「余韻を残す」
・次に、「書き過ぎない」についてです。
「行間」で語る。 「余韻を残す」。 とかもそうなのですが、なんでもかんでも、書きたいことを、「書き過ぎない」ということです。
そもそも、「自由詩(ポエム)」と違い、「歌詞」は、スペース(文字数)の「制限」があります。
「2番」までの曲で、「4行詩」で書く場合は、
4行*2番 = 「計8行」 となります。
たった「8行」というスペースで書かなければならないわけですから、そもそも、なんでもかんでも書くわけにはいきません。
話しを戻し、「書き過ぎる」と、「説明文」や「作文」のようになりがちです。
また、「書き過ぎる」と「リアル」過ぎて、「夢・空想」の異次元的な楽しみが遠のく感じがし、いわば、「引いてしまいます」。「覚めてしまいます」。
もちろん、「リアリティー」は、大切です。 ただ、「夢・空想」の世界。雰囲気がこわれないように「余計」な言葉は極力、減らします。
・「行間」だけではなく、同じように、
「最後」の「結末」も、「余韻を残す」というテクニックがあります。
「余韻を残す」とは、「決定的」な「結末」を「書かない」。 ということです。
要するに、この話しは、どうなったか? どういう「結末」なのかは、一番「知りたい」ところですよね。
しかし、あえて、「決定的・最終的」な「結末」を書かず、「方向性」だけを残して終わる書き方も、大変、多いです。
「最終的」には結局、「たぶん・・・」、こうなるだろう。という「予測」を残し終わるので、たぶん、「結末」は想像通りになるのでしょうが、しかし、「断定」はできません。
「明確」に、「決定的・最終的」な「結末」が書かれていませんので・・・
この「余韻」が、いつまでも気になりますし、この話しの「未来・将来・続き」はどうなったのだろうかと、「無限の広がり」を作ります。
(つづく)