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【短編小説】最初から、好きだったふたり

吉野よしのくんのことは嫌いじゃないけど、恋人っていうか付き合うっていうのは、なんというか」
 公平こうへいさくらの言葉を遮るように
「なんというか、違う、って、こと?」
「うん、まぁ。そう。違うってこと」

 吉野公平よしのこうへいは同じ子に五回告白して、三回ともほぼ同じ口上こうじょうでお断りされた。これはテンプレートなのかというくらいに。まぁ、一年で五回も告白されたら、桜じゃなくても誰だって迷惑千万めいわくせんばんだろう。千万だ、千なのか万なのかはたまた千×万なのか。

 世の中は不公平だ。だから、せめてこの子は誰彼だれかれ分け隔てなく大らかな心で、という想いを込めて“公平”と名付けられた。

 ややこしいのは名づけ親が親じゃなくて、隣の書道家の高蔵タカクラじいさんということだった。自分の親がわが子の命名めいめい放棄ほうきした、と公平は両親にいつも食ってかかっていた。
 というような自分の名前の由来を思い返すことで、目の前の桜からフラれた事実を見ないように認識しないようにと、公平は努めていた。

「わたし、吹部すいぶ行くだから。じゃぁ」
 桜は申し訳なさそうに、その場を走り去った。高校一年の夏に告白したのが最初だった。今が二年生の夏休み前。一年経ってない。その間に五回という告白頻度は、友人から言わせればストーカーの域に達しているとのことだった。音楽室からチューバ―の個人練習の音が聞こえる。桜の演奏だ。野太い。

 公平は桜のどこが好きなのか、ひとつずつあげながら、駐輪場に向かった。帰宅部二年目、高校で部活に入っているのは八割。帰宅部は二割。二割のうちほとんどが、受験のためらしい。公平は学業不良、勉強は得意でなかったし、将来は父親の左官屋さかんやを継ぐつもりだった。大学進学を諦め、かといって高校生活を楽しむわけでもなく、ただ繰り返しし続けていることといえば、桜への告白ぐらいだった。桜のどこが好きなのか。自転車の鍵を探しながら、考えていた。思い浮かばなかった。そもそもなぜ桜のことを好きになり始めたのか、きっかけすら思い出せなかった。

 澤井桜さわいさくらはもともとチューバ志望だったが、思いのほかチューバが重い。中学時代はトロンボーンだった。チューバは音全体をつくる、と中学時代の先輩が言っていた。憧れの先輩だった。先輩の顔は思い出せないが、この言葉は忘れられない。高校に入ってセレクションに合格し、念願のチューバ。恋人はチューバと言っても過言ではなかった。

 毎日の学校生活も部活も楽しい、これ以上に望むものはない。気がかりなことは公平のことだった。何がいいのか、五回も告白してきている。厳密に言えば、六回だ。公平は忘れているかもしれないが。初めての告白をカウントするかどうかが問題だからだ。私は在日韓国人ざいにちかんこくじんだ。十六歳になる頃、市役所で指紋を取られた。窓口では大きな声で韓国での名前を呼ばれた。私の家は、ほとんど日本人として暮らしている家だ。

 祖母はキムチを漬けたり、トックをふるまったり、ベタ焼きを焼いたりと、テレビで観る日本のおばあちゃんとはちょっと違う気がしていた。法事チェサにたくさんの食事が出て、長い銀色のお箸をいろんなお皿に置きなおす、手を三角の形にして床にそのまま手をついてお辞儀をする。何度すれば、終わるのかよくわからなかったが、父の兄がこれで最後ね、というとその後は食事にありつける。

 私が公平のことを意識したのは、視聴覚室に集められて奨学金制度について学校から説明があった時のことだ。今から一年前。高校生になって夏休み前の頃。

 学年全員が集まるには狭い視聴覚室。私は事前に担任から奨学金についての話をされて、受ける受けないに関わらず、説明会に出席するように言われていた。一学年、三百人ぐらいいるマンモス校、視聴覚室に集まったのは十人程度だった。

 それは、在日韓国人・朝鮮人向けの奨学金の説明会だった。誰もが自分の素性・国籍をカミングアウトしているわけではない。日本では通称名を名乗っている人の方が多かった。私の苗字は「テイ」だった。韓国語読みではチョンらしい。

 大切にしてきたわけではないが、国籍や自分の出生に誇りを持って生きているほどまだ人生経験はない。それは、これからのことだ。だから、ここでデリカシーなく自分がどこのもの、なのかを他人には知られたくなかった。

 説明会はみんなうつむきがちだった。先生が質問ありますか?と尋ねたが、こんな場面で質問する人はいなかった。不意打ちのようなやり方に納得がいかなかったが、怒りよりも誰かに知られたくない、という気持ちが強かった。

 視聴覚室を出ると、何人かの女子が説明会の趣旨を聞きつけて待ち伏せしていた。誰が在日なのか知りたかったのだろう。この説明会に集められたのが在日韓国人・朝鮮人ということをどうして知りえたのか、それも怖い話だった。

 視聴覚室を小走りに出ると、待ち伏せしている女子四人組が見ている。そこへ、公平が大声を出しながら走ってきた。公平はヒーローだった。あの日から私にとって、ヒーローだった。
「お前ら!俺の名前を知ってるか!!!」
 女子四人組は鳩が豆鉄砲まめでっぽうを食ったような顔で
「なんなのよ」
 と言うのが精いっぱいだった。
 公平はチャンスと見るや
「いいか、俺の名前は吉野公平。公平ってのは、隣の書道家の高蔵の爺さんが名付けたんだけど、そんなことはいいや」
「ちょっと、邪魔しないでよ」
女子四人組の誰かが強い語気で言い放った。

「何を邪魔するって?いいか、世の中は不公平なんだ。だけどこれは不平等って意味じゃない。世の中は平等だ。だから、誰かが誰かのことを上に見たり、下に見たりなんてない」
「だからなんなのよ!」

 別の女子が息巻いて前に出てきた。眼鏡には公平と奥に桜が小さく映っていた。
「だから、平等は前提なんだよ。差別なんてあっちゃぁいけない。わかる?だけど、世の中は不公平だ。できること、できないことで受ける待遇が変わる」
 女子四人組が静まり返る。人だかりができていた。

「この説明会の趣旨はわからないけれど、世の中が公平にしようとして、取り組んだものなんだろ。だけど、この公平さを与えるチャンスをお前たちが違う方向でじ曲げるのは俺は許せないね」
 パチパチとまばらに拍手が起こる。他の在日韓国人の同級生たちがその場を離れずに、公平の話を聞き拍手をしていた。それを見つけた説明会を行った先生がここから解散するように怒り始めた。

「公平公平って、自分の名前ばっか連呼してんじゃねーよ。覚えとけよ」
女子四人組が捨て台詞を吐いて、その場を去った。雑魚ざこたちが逃げるように、仕返しする気もないくせに、と公平は思った。

「吉野くん、ありがとう」
「いや、あいつら昼休みに一緒にメシ食ってるだろ。馬鹿みたいに大声で。なのに、突然ヒソヒソ声で話してさ。なんか放課後で面白いことあるからって言ってたから、寝たふりして聞いてたんだよ」
「それで、どうして?あの子たちを待ち伏せしてたの?」
「当たり前だろ、どんな悪さするかわからないのに、お仕置きするわけにもいかないし」
 公平は淡々たんたんと桜の目を見ながら返事した。

「そっか、ありがと」
「まぁ、好きな子がさぁ、ピンチにならないようにするのって、大切だろ」
 公平は無意識に告白していた。桜はこれを一回目とカウントしていた。公平は、無意識ゆえにこの告白を数にいれていなかった。

「でさぁ、お母さんは告白を何回目でオッケーしたの?」
 汐里しおりは母の話を興味深そうに聞いている。友人よりも母の恋愛話の方が面白い。友人の恋愛話は、万に一つ、自分と好きな人がかぶってしまうなんてこともある。だが、母なら安心だ。絶対にかぶることはない。安心感をもって、恋愛話を聞ける。そもそも、恋愛話を聞けるというのはそれほど親身な間柄ってことだ。親身であればあるほど、“好きな人かぶり”のリスクは少なからずある。

「何回目かなぁ。お母さんさぁ、告白はオッケーしなかったのよ」
「そうなの?どうして、好きだったんじゃないの?」
 汐里はのぞき込むようにして母の変化を伺った。母は相変わらずのポーカーフェイスだった。動じない。

「私から好きって言いたかったのよ。公平さん、なかなか言わせてくれないし」
「だよね、一年で六回の告白、二カ月に一回かぁ。通販のサブスクみたいじゃん」
「公平さんの誕生日にね、私から呼び出して、その、視聴覚室に。で、告白したの」
 汐里はホッとした、笑顔がこぼれる。無意識に。

「よかったぁ。その話が聞きたかったのよね」
「ごめんねぇ、心配させちゃって。ちょっと、汐里がグズッてるみたい」
 ベビーベッドで、赤ん坊の汐里が泣いている。

「ほんとゴメンねお母さん。赤ちゃんの私って、お父さんに似てるんだねぇ。凛々りりしい。じゃぁ、そろそろ帰るね。アッチの時代でお父さんとお母さん待ってるから」

 汐里はピピッと腕時計を操作し、リビングに現れた黒い穴、タイムホールに飛び込んだ。
 タイムホールを遊泳しながら、汐里は二十年後に戻っていった。
「どっちから告白したかで言い争う親って、まぁ平和だけど。最初はお父さんで、付き合い始めの告白はお母さんってことね」

 たった一日のタイムトラベルだったが早く父と母に会いたい、と汐里は胸を躍らせた。

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