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【短編小説】特潜・実谷重綱が伺う

 沢城壮太さわしろそうたは、震えていた。足もとからガタガタと震え、全身に悪寒が走る。風邪の時とは違う。背筋にはずっと冷や汗をかいていた。父を失った悲しみからではない。日々投げかけていた自分の言葉が現実となったからだ。

「お前なんか、早く死ね」
 父親に投げかけた言葉、高校一年生の思春期。だれもが、父親のことを嫌うものだと壮太は考えていた。ただ、実際に父が亡くっても誰も悲しそうにしていないことに、壮太は自分の言葉の正当性を強く感じていた。

 あんなやつ死んで当然だ、と。沢城健一さわしろけんいちは仕事が長続きしない男だった。一家を支える男としては、合格とはいい難い。

 通夜の会場は無駄に広く、繰り返し流す予定のお経のテープが足りないということで、急遽、スマホからネット音源を使ってお経を流している。種明かしされれば、何事も味気ないものだ。知らなければありがたい。生きることによく似ている、と壮太は考えた。

 警察と名乗る男が通夜に訪れた。通夜の会場でひときわ存在感があった。細身のスーツに磨かれた黒の革靴、柑橘系の香水がエントランスから通夜会場の二階まで漂っていた。夜十時を過ぎていた。通夜会場にある仮眠室で寝ていた壮太が起こされた。
特潜トクセン実谷じつたにといいます」
「特潜?」
壮太は目をこすりながら、通夜会場の隣の小さなボックス席で実谷の名刺を受け取った。特別潜入捜査チーム・実谷重綱じつたにしげつなと書かれている。

「警察組織の端っこの方にある。まぁオカルト専門チームみたいなもんで。あ、お母さん必要?できればこのままお話聞かせてほしいんだけど」
「母は別にいいですけど、警察が僕に何の用ですか?」
 こんな時間に失礼な奴だと思った。よく父親にはねじ曲がった正義感は身を亡ぼすなんて言われたが、身を滅ぼしたのはお父さん、あなただ。壮太は父を思い出しながら、強い語気で実谷に質問した。
「いやね、壮太クン、キミお父さんに何か言いました?」

 実谷は淡々と質問をする。その先にあるゴールを見据えているように。右に進んでコンビニを左に曲がる、そのまま直進すれば駅、みたいにわかり切った結末にたどり着こうとしている。誘導尋問ではない、だが、何かを既に掴んでいるといわんばかりの口調だった。
 壮太は実谷のメガネの奥に潜んでいる眼差しの強さに怯えていた。
「いや、特に」
「死ね、なんて言わなかったかな?」
「いや」
「いいんだよ、正直に言ってくれれば。思春期でしょ。そういうのよくあることだし」

 実谷は壮太の耳元で囁くように、言った。タバコ臭い息が耳に当たる。湿度と嫌な大人のニオイに反射的に、身体をのけぞらせた。
誰かに聞かれてはまずいのか、それとも距離を詰めるためなのか、壮太はわからずにいた。
「今日、あさ、早く死ね、って言いました」
「あービンゴ!そう。やっぱり」
 実谷はA4のノートに丁寧に左上から壮太の言葉を書き残した。
「お父さんさぁ、死んじゃったんだけど。自殺じゃないのよ」
「はい、僕もそう聞いています」
「簡単に言うと、心臓が止まってるんだけど。これさぁ、厳密には誰かに心臓握りつぶされてるんだよねぇ」

 実谷はジャケットの上着、右のポケットからぬるくなった缶コーヒーを取り出した。
「飲む?」
なれなれしく、壮太に缶コーヒーを渡す。
「いりません」
「そんなことってあると思う?」
「どんなことですか」
「だから、心臓握りつぶされて死ぬってこと」
 実谷はコーヒーをちびちびと飲み始めた。すするように、ズズっと音を立てた。壮太は父の死因よりも、実谷の行儀の悪さがかんに触った。
「心臓が握りつぶされるなんて、解剖の結果わかったんですか?」
「もちろん」
 実谷は落ち着き払って返事する。もう次の質問に進みたがっていた。
呪現言語じゅげんげんご、ってわかる?」
「いえ」
「呪いが現実になる言語、ってやつでさ、呪は“のろい”現は“げんじつのげん”言語はまぁ、わかるか」

 実谷はタバコに火を付けた。
「ここ、禁煙です」
「いいんだよ、こんだけ線香臭くっちゃ、タバコのニオイなんてわかりゃしねーよ」
「でも、ルールですよ」
「お、ルールね。じゃぁ父親を呪い殺すのはルール違反じゃないってことか?」
 実谷は真相へと壮太を追い込んでいく。出口のない一方通行。壮太は背中に噴き出るほどの汗をかいた。じとっとシャツが背中にまとわりつく。通夜、親族用に簡易シャワーがあった。仮眠する前にシャワーを浴びたはずだが、もう既に自分の汗で身体が包み込まれていた。
「僕は父を呪い殺していません」
「まずね、呪いってのは、素人でも実行できるんだよな。ほら丑三つ時に、相手の名前言いながら藁人形に五寸釘打つみたなやつな」

「はぁ」
 壮太は自信満々な実谷に目を合わせようとはしなかった。
「願えば叶う、呪いはある意味、思いの強さが結果に表れるっていう儀式だ。俺たち特潜はそんな現象を山ほど見てきた。でな、壮太君よぉ、キミは父親を呪い殺したんじゃないのか?毎日毎日、死ね、って言ってない?」

 壮太はこの突拍子もない実谷の問いに、これまでの自分の言葉を思い返していた。

 壮太の父、沢城健一は転職を繰り返す、こらえ性のない男だ。五十を前にして、五社目の転職先を半年で辞めてしまった。だれもわかっちゃくれない、の父の口癖は壮太にとって人生の落後者が叫ぶ、負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。だらしない地球の重力と戦うことを放棄した肉体、放つオスのニオイ、伸びっぱなしのヒゲにシミだらけの顔、醜い容姿すべて、父を嫌いになる理由は腐るほどあった。
 やりたいこと、やればいいよ、が健一の口癖だった。壮太にはそれは健一が自分自身のこらえ性のなさを肯定している愚かな説教としか聞こえなかった。

 大学受験までまだある高校一年生、部活にも入らず勉強ばかりしている壮太へのエールだったのだろう。健一は昔のコネを使って、コピーライターの仕事をフリーで再開していた。収入は安定しなかったが、以前より仕事の愚痴も減り、健一の妻、市子も笑顔が増えていた。

 父の勝手な人生設計、父の人生は父のモノだとわかっていても、父と自分の人生は交わる。経済的にも物理的な住居の問題にしても。父を避けて通るわけにはいかない、それが壮太の苛立ちのもとだ。勉強しろとは言わない、だが、勉強するなとも言わない。好きにすればいい、と突然理解のある父親ぶられても、壮太の心には父を受け入れるだけのスペースが圧倒的に不足していた。

 それだけの理由しかないが、十分な理由かもしれないと壮太は思わず笑った。
「おかしかったか?」
実谷の問いかけに、壮太は口元が引きつった。
「ええ、死んでくれて、ありがとうという気持ちです」
「そうか」
「そこまで、父親を憎んでも、理由なんて大したもんじゃないのかもな」
「あの人、我慢ができない人なんですよ」
 壮太がボソッと、消えそうな息を吐き出しながらつぶやいた。
「我慢?」
「はい、思ったことを思ったようにやりたいだけで、仕事も長続きしないし」
「それって、仕事はお父さんの人生の一部じゃないのか?キミは息子だとしても、父親の生き方に口出す権利はあるのかい?」

 実谷は強く、壮太を拒絶するような口調で会話の主導権を握った。
「ありますよ、だって僕は息子ですよ。家族です。同じ船に乗ってるんです、父の行動一つで船は沈むかもしれないんですから」
「だったら、死ねなんて、毎日言うもんじゃないよ。実際死んでるんだし」
 実谷は壮太の子供すぎる理屈にうんざりし始めていた。予想通りの幼稚さを実谷は持て余していた。
「同じ言葉を繰り返しぶつけたからって、死ねって毎日言ったからって、死ぬ?そんなの今の科学でどうやって証明するんですか?」
「証明できてんだよ。だから、特潜で処理してんだよ。バーカ」

 実谷は手際よく、養生テープを取り出し伸ばし、壮太の口から首、口から首へとグルっと巻き付けた。暴れる壮太に実谷は耳元で
「ようこそ、特潜へ。最近なぁ、呪現言語師も取り合いでさ」
「ンぐ!ンぐ!!」
 壮太は何か言葉を発しようにも、口がふさがれ声が出ない。
「あんまり慌てると、ほら鼻呼吸だけだから、窒息しちまうぞ」
 実谷は灰皿から、火のついた吸いかけのタバコを取り、すーっと深く吸い込んだ。
「じゃ、行こうか。このままだと、他の誰かに連れて行かれちまうから。ウチで働くといい。な、お母さんにはもう伝えてる。前金だって払い済みだ」
「ん、んんん!」

 壮太はパニックに陥っていた。涙と鼻水で呼吸も思うようにできない。
 実谷に本部から求められたゴールは、壮太の素養を確認し、特潜に加える人材かを判断すること。親も殺せるくらいの人間でないと、特潜では働けない。特潜はこれくらい、非情な人間を探していた。
「知ってるか、キミのその呪現言語能力は、父親譲りのものだって。だけど、先輩は使わなかったんだよな、その力。もったいないというか、クソマジメって言うか」
「ン…」
「使わせたくなかったんだろうねぇ、壮太クンにこの力を。ホント、キミってわかってない。これから、わかるといいよ。先輩の優しさを」

 壮太は口に巻き付けられた養生テープを取り、叫んだ!壮太の中にあった後悔がこぼれてくる、あふれてきた。それが声になった。通夜会場にまで響くほどの大きな声になった。
「お父さん!生き返ってくれ!生き返れ!生き返れ!生き返れ!生き返れ!」

 奥の通夜会場で、母の叫び越えがする。

 実谷はくすぶるタバコの火を消し、残った缶コーヒーを飲みほした。
「じゃぁな、壮太クン。言葉は大切にしろ。誰かを呪うためにあるんじゃない。誰かを祝うためにあるんだ。理想だけどな」

 実谷はそう言うと、缶を握りつぶしその場に捨てていった。思い通りのゴールに、たどり着けたせいか、自然と笑みがこぼれていた。

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