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【短編小説‐前編】おふくろの味を、もう一度

 雨がやんだ、すっごく天気がいい。あれ、雨って天気の一部なんじゃないの?雨じゃない時に【天気がいい】って言い方って、なんだか雨が仲間外れみたいだ。そしたら、曇りも仲間外れみたいなもんか。

 天気って、晴れだけのことを言うのかな。そんなことを考えながら、裕也に今日もプリントを持って行った。あいつが学校に来なくなって、二か月。あいつの雨は、もうすぐやむかもしれない。でも、雨も曇りも、あまり見なくなったアイツの晴れも、すべてひっくるめて裕也なんだと思う。

「こんばんは。プリント持ってきました」
 夏の夕方五時は、こんにちはの方がいいんだろうか。わからない。小学生の頃はこんなこと、気にならなかったけど、中二にもなればこういうところもシッカリしてないと、ダメな気がする。
「ちょっとまってねぇ」
 おばさんはキッチンのタオルで手を拭きながら、玄関まで出てきた。手はまだ濡れている。

「あら、ケンジ君。今日もありがとね。裕也機嫌良さそうだから、声かけてみて」
 僕はおばさんに促されるままに、二階の奥、裕也の部屋の前まで連れてこられた。扉の前には、食べ終わった食器が置かれている。
「裕也、俺だよ。今日さ、不良の大垣先輩がさぁ、バイクで運動場走り回ってさ、なにかと大問題だったよ」
「……」
 何も聞こえてこない。一応俺たちの合図では、ドアをトントンと二回ノックすると「ノー」、トンだと「イエス」の合図と決めていた。ドアを閉じたままここまで決めるのにはとっても時間がかかった。

 裕也が学校に来なくなった理由は、よくわからない。誰かにいじめられてるわけでもなさそうだし、先生に暴力を受けたわけでもない(と思う。見てないから)。勉強だって、俺よりできるし、女子にも持ててる。スマホだって持ってるし、家も一軒家で、自分の部屋まである。たしか、パソコンだって買ってもらったって、言ってたな。
「裕也、数学がさぁ、連立方程式っての習ってさぁ、まぁ俺もうまく説明できないから、動画サイト、先生がコレ見ておけって」
裕也に渡すプリントは、学校の授業のまとめのようなもので、とても丁寧だった。

 担任の若槻由美先生は、先生になって二年目でとてもやる気にあふれている。自分のクラスから不登校児が出たことに最初はショックを受けてたみたいだけど、なんてことない、どのクラスにも二~三人ぐらいいるらしい。
「不登校なんて言い方すると、まるで登校することが前提みたいだと思うんだよね」
 と中一の頃、裕也が言っていた。
 俺はこの頃裕也が何を言いたいのかよくわからなかった。
「不登校じゃなくて、自宅学習なんだよね。だから、学校に行くヤツラは【不自宅学習】だよ」
 と、なにかにつけて裕也は言ってた。うまいこと言うなぁ、と関心してたら、いつの間にか裕也は【自宅学習】を選んでいて、俺は【不自宅学習】となっていた。

「ねぇ~~~~おやつ食べるでしょ?裕也もケンジくんも」
 おばさんが一階のキッチンから、地響きがするくらいの大声で叫んだ。ドアがぎぃぃと開いた。裕也だ。引きこもりって、パジャマのままで頭はボサボサなのかなと思っていたけど、裕也はいつもセンター分けでスナイクのスプレーでセットして、動きやすそうなソフトジーンズと襟付きの長袖シャツを着ていた。夏なのにTシャツも半袖も着なかった。

「おぉ、健司も一緒に食べよう」
「う、うん」
 いつも拍子抜けする。ドアのノックでイエス・ノーまで決めたっていうのに、気分でドアから出てくる。最初の頃はたしかに顔もみられなかったけど、たぶんそろそろ裕也も雨から曇り、晴れに気分が変わってきているのだろうか。どの気分でも、それは裕也の天気なのだと、俺は思うようにしている。おばさんもきっとそうだろう。

 いつも明るいおばさんに、俺は救われている。小学五年生の頃、両親が事故で亡くなってから、俺はおじさんちで育ててもらってる。優しくしてもらっているわけでもなく、厳しくしてもらっているわけでもない。ただ、食事の量はシビアでおじさんちに来てから、メシを腹いっぱい食べたことがない。

 腹いっぱい食べるな、と言われているわけじゃないし、いじわるをされてるわけでもない。でも、なんだか、気が重くて、遠慮がちだ。
「なに、ぼーっとしてんのよ。ケンジ君。ほら裕也に全部食べられちゃうよ」
 おばさんは大胆にカットしたバームクーヘンを大皿に盛りつけ、その上からホイップクリームをこれでもかっ、ていう勢いでかけていた。別添えのお皿には、粒あんがたっぷりのせられていた。
「これを、少しのせて、クリームもこぼさずに。ほら、口開けてごらん。」

 俺はおばさんに言われるがまま、口を開けた。おばさんは、バームクーヘンのクリーム&あんこのせを押し込んだ。
「うぅっまほっ」
「おいしいでしょ、裕也もよく食べるわね」
「母ちゃん、俺さぁ、こういう背徳感のある喰い方大好きだよ」
 裕也の恐ろしい喰いっぷりを見ながら、俺はもうひと口バームクーヘンを食べた。

 紅茶、裕也の家に来ると、普段飲まない飲み物にありつける。昨日はコーラー、一昨日は桃のジュース、だった。裕也の家を出る頃には、俺はいつも腹がパンパンだった。
「てかさ、裕也。そろそろ学校くるんだろ?」
裕也はテーブルを、トントンと二回ノックした。ノーの合図だ。
「僕はさぁ、行かなくていいなら、行かないよ」
「あのさ、中学は義務教育だから、行った方がいいって、社会の田所先生も言ってたよ」
「義務ってのはさぁ、教育を受けさせる義務だから、母ちゃんの義務なんだよ」

 おばさんがギッと裕也を睨みつけた。
「アンタね、私の義務を果たさせなさいよ」
「いやいや、僕は家で勉強してるだろ。そういう意味で言うと、母ちゃんは僕に教育を受けさせる義務は果たしてるよ。パソコンだって買ってくれたし、タブレットも。あれで十分勉強できるもの」
「おぉ、裕也!タブレット買ってもらったのか」

 そうこうしていると、おじさんがいつものように帰ってきた。左官屋といって、壁を塗ったり、ドマ?を塗ったりする仕事らしい。まぁ簡単に言えば、家をつくる職人さんの一人だ。
「おっ、ケンジ。メシ食ってけよ。母さん、今日のメシなんだ?」
「私はアナタのお母さんじゃありません」
おじさんとおばさんのいつもの掛け合いが始まった。裕也はタブレットで動画を見てる。
「ケンジ君、食べていきな。今日はさぁ、トンカツなんだよぉ。家の方にはあたしから連絡しといてあげるよ」
 俺はいつものように、夕食までありついた。

 裕也が学校に来たら、俺はこんな楽しい家族の風景みたいなものをもう味わえないのかなぁと思った。なんだか、複雑だ。
 流石に風呂までは断って、八時過ぎに俺は家に帰った。家ではおじさんや親戚の子どもたちもいたが、俺が帰ったことにはあまり気づいていない。最近ずっと夕飯を裕也の家で食べて帰っているので、最初から俺の分の夕飯は作っていないらしい。なんだか、それも不安だ。

 翌朝、俺はいつものルーティーンで、裕也を迎えに行く。アイツは【自宅学習】で、俺は【不自宅学習】なんだけど、朝からこのくだりをインターホン越しにするのが日課だ。
 今日は一緒に行けるかな、と思うこともあったが、今日も帰りにプリントを持っていこう、そして晩飯は何かな、なんてことを思っている自分がいる。

 だって、朝から何も食べてないから、メシのことばかり考えてしまう。給食まで持たせるには、四時間目体育がある水曜日はキツイ。持久走になんてなったら、もうモタナイ。
 裕也にインターホン越しに、「また夕方な」と言い残して学校に向かった。後ろからけたたましい足音が聞こえる。スリッパのパッチパッチいう音だ。

「ケーンジくぅうううん」

 おばさんが隣を走るバイクよりも速く、俺を追いかけてきた。
「どうしたんですか?」
 おばさんは息を切らしながら
「コレ、食べながら学校行きな」
 おばさんは巾着袋から、ラップに包まれた特大のおにぎりを渡した。水ないから、喉詰めないようにと言い残して、おばさんはまた家へと戻っていった。

 ラップをほどきながら、ガブリとおにぎりをほおばった。海苔が巻いてないから食べやすい。お母さんが握ってくれたおにぎりと同じ味だった。梅のおかか、俺は無我夢中でおにぎりを食べた。少ししょっぱく感じたのは、涙の味だったかもしれない。


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