パラ閉会式後の世界への希望

仕事と趣味に明け暮れていると、今日がその日だと忘れてしまっていましたが、運良くパラリンピック閉会式のハイライトを見ることができました。見られたのは終盤だけでしたが、「多様性あふれる共生社会」というパラリンピックのテーマをギュッと濃縮した式だったことはそれだけでも分かりました。

パーソンズ会長の閉会挨拶と、what a beautiful worldの演出で、テレビ画面の前から離れられなかったです。パーソンズ会長のことは初めて知ったし、what a beautiful worldも「この曲聴いたことある!」レベルだったのですが、気になったので少し調べました。そんなニワカヤロウの記事であること、ご了承の上お読みください笑

パーソンズ会長のスピーチはなぜ胸を打つのか? それは、矢印が相手に向いたスピーチだからだと思います。聴き手のことを考え、書いたスピーチであることが分かります。「あなたたちはオリンピックコミュニティの一員になったのです!」と連呼して私をドン引きさせたバッハ会長とは対照的に、「日本人の皆さん!」「パラリンピアンの皆さん!」等と、聴き手を具体的にイメージしながら語りかけてくれています。日本人に対しては、日本語をたくさん使ってくれたこともそうですし、「金継ぎ」なんて私でも知らない言葉は、日本に興味を持って調べてくださった結果採用されたんだと思います。それが伝わるから、聴き手はそれだけでも嬉しいし、メッセージも響くんだと思います。「おもてなし」という言葉を使ってくださったのも、嬉しかったですね。

そしてパラリンピックのコンセプトがブレない。「この閉会式は終わりではなく、始まりです!」とパーソンズ会長が言った時、私は希望を感じました。

what a beautiful world(意訳: なんて素敵な世界だろう)を聞きながら、私は「次回パラリンピックまでに、この曲を一切皮肉を感じずに聴けるようになったらいいな」と思いました。

これまた今日調べたばかりの知識なのですが、この曲はアメリカの伝説的ジャズトランペット奏者、ルイ・アームストロング(1941年 - 1971年)さんが1967年に発表し、世界的メガヒットを記録した曲です。彼は黒人でした。彼が生きた時代、アメリカでは奴隷制こそ撤廃されていた(1863年:奴隷解放宣言byリンカーン)ものの、「セグリゲーション(人種分離)」といって社会のあらゆるシーンで黒人が合法的に差別される時代でした。例えば、彼は大成功を収めたミュージシャンだったので、各地に招かれコンサートをしていましたが、公演先でも白人と同じホテルへは泊まれない他、レストランも利用できない、劇場の入り口さえ別々というような差別を受け続けていました。そういえば、そんな映画を見たことがあるなと思って調べてみた所、『グリーンブック』という映画でした。ルイさんの映画ではありませんでしたが、これも実話をもとにした映画のようです。

この映画で印象に残っているセグリゲーションのシーンは、トイレです。主人公が豪華なホテルでの公演を終えて、トイレの場所をスタッフに聞くと、案内されたのは草むらに建てられたまさに「便所」という感じのハリボテのトイレでした。彼はそのトイレを文句も言わず使うのです。

この曲が発表される3年前の1964年には、有名なキング牧師の公民権運動を経て公民権法が成立し、人種差別が法的には禁止されましたが、法的に禁止されたからといってすぐに社会的に無くなるわけではありません。現在でも黒人差別が根強く残っていることを考えると、公民権法の成立直後は、むしろ反動でアタリが強くなっていたのではないかとすら想像できます。そんな中でも彼は、Wikipediaによれば「明朗な性格」であり、「音楽性と、サービス精神旺盛なエンターテイナーぶりが評価され、映画にも多く出演」していたそうなんです。脱帽ですよね。彼の普遍的な音楽が、時代を超えて私たちの心に響くのも分かります。(彼の波乱万丈な人生が気になった方はWikipediaを是非!)

また、この時代はアメリカとソ連がベトナム戦争(1955年 – 1975年)でベトナムに爆弾を落としまくっていた時代で、クラスター爆弾、ナパーム弾、枯葉剤などの凶悪な兵器を落とされてベトナムは地獄の状況でした。世界大戦の時代と違い、既にテレビが普及していたことにより民衆がその残虐さに気づき、反戦運動が高まっていた時代でもあります。そんな時代に発表されたこの曲なんです。下記サイトのコメントにある通り、「もう一度普通の人間としての感情を持とうよ」というメッセージが最初の節から感じられます。『この素晴らしき世界』という曲は、ベトナム戦争への嘆きがこめられた皮肉的な曲でもあるのです。凄い曲です。私はこの知識を得る前に、既に「次回パラリンピックまでに、この曲を一切皮肉を感じずに聴けるようになったらいいな」と感じていました。

さて、話を戻しますと、こういった諸々から、パラリンピックという大会が、隅々までやさしい配慮の行き届いた素晴らしい大会であると感じました。このような有名な大会が今後も続いていくことを考えると、この世界にはまだまだ希望が持てるなと思いました。

「この閉会式は終わりではなく、始まりです!」というパーソンズ会長の言葉の通り、私たちには直近でも、コロナウイルス、障害者差別、人種差別などとの困難な闘いが待っています。でも、乗り越えられるはずです。これまでも、人類は、そういった困難を乗り越えてきたんです。

現代を生きる私たちは、黒人を奴隷として使ったり、合法的に差別していた時代のアメリカの話を聞いて、「酷い話だ」と思うと思います。でも、黒人差別は1964年まで合法だったんです。白人用のトイレを黒人が使ったら黒人が逮捕される時代でした。たった70〜80年前のことです。私の存命な祖母は85歳なので、祖母が生まれた日よりも最近のことなんです。100年でこんなにも世界は変わりました。であれば、私たちもまた変われるはずです。

ほとんどの公共施設で、階段だけでなくスロープがあるのはもはや当たり前になりました。多数派の歩ける人の視点ではなく、少数派の車椅子の人の視点で見て、「これじゃ困るよな。スロープ作ったら良くない?」という風に考える人がだんだんと増えて、今に至るのだと思います。これが私の思う、相手の視点に立った、やさしい配慮です。

これを、身の回りの人に、やりましょう。病気を抱える人、家族が病気の人、障害者の人、外国人の人、子育て中の人、親がいない人、コロナに感染した人、濃厚接触した人、お店の店員さん、医療従事者さん、などなど。やさしい配慮は、世界を救うと思います。そしてそういった立場にある人は、それを制度にし、それ以外の人は、そういう人を応援しましょう。社会は皆でつくるものだと、今回のパラリンピック閉会式を見て思いました。

100年後の日本人から見て、「酷い話だ」と思うようなことを、私たちはまだまだしてしまっています。ゴーンさんの件やウィシュマさんの件で世論が高まっている、司法周り入管周りの人権侵害然り。厳しすぎる難民認定制度然り。コロナ禍の状況でいつにも増してギスギスしている場所も多いと思います。そんな時こそ、お互いに相手の立場に立ってやさしい配慮をして、感謝し合いながら良い気持ちで、生きていきたいですね。

最後に、パーソンズさんの閉会式後の会見の動画を載せておきます。「日本以外の国では、この状況下で適切な大会運営をすることは不可能だったと思う」という嬉しいことを言ってくださっています。日本人の国民性への褒め言葉だと受け取っています。「世界は、日本が果たした役割を決して忘れない」とも言ってくださっています。実際には忘れてしまう人もたくさんいるでしょうが、少なくともパーソンズさんはこのことを忘れず、いざという時に日本の助けになってくれる人だと思いました。そんなやさしい繋がりで、社会をつむいでいきたいですね^ ^

また、今回は調べ切れなかった「ゴダイゴのビューティフル・ネーム」や「シシド・カフカさん」についても、気が向いたら書いていきたいと思います。

やりましょう!

それでは、今回も読んでくださって、ありがとうございました!^ ^

参考にしたサイト

※閉会式スピーチ全文はまだ翌日ということもあって見つけられず。。。見つけたら改めて読みたい!



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