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それでも生きる(4:リハビリ)

 翌朝、目が覚めると、左手でできる事をやろうという強い意識が芽生えていた。

 病院で出された朝食は、お箸を使って食べた。
 当たり前だが、思うようにお箸でおかずをつかむ事ができなかった。
 お箸をおかずに刺して持ち上げたい衝動に駆られたが、我慢した。
 お茶碗に残っているご飯が少なくなるに連れて、お米が一粒一粒分かれて、お茶碗に残るようになり、お箸でつかむのが難しくなった。
 何粒か残してしまおうかと思ったが、「一度甘えたら、次も甘える」と思って、時間をかけて一粒も残さずに食べ切った。

 朝食を食べ終わった後は、母に持ってきてもらっていた筆記用具があったので、文字を書く練習に取り組んだ。
 文字を、あいうえお順で書いていっても面白味がないと思い、自分が大好きなロックバンドのGLAYの楽曲の歌詞を書く事にした。
 多くの楽曲の歌詞を丸暗記していたので、まずは記憶だけで歌詞をノートに書いていって、後で書いた内容と実際の歌詞が合っているかどうかを確かめる、という遊び心を持ちながら、文字を書く練習を繰り返した。

 面白かったのは、例えば「グロリアス」という楽曲で、
「新しい時代の行方を照らすメロディー」
 と歌っている箇所があり、それを聞いて記憶していた自分は、その通りにノートに書いたのだか、答え合わせをしたら、歌詞は、
 「新しい時代の行方を照らす生命」
 となっていて、
 「生命と書いてメロディーと読むのか! なんていうセンスなんだ!」
 と思わされるような、新しい発見があった事だ。

 入院三日目からは、病院にあるリハビリルームで、作業療法士さんに指導を頂きながら、リハビリに取り組む事になった。
 リハビリルームにいる患者さんの多くは年配の方で、病気で足を切断する事になったり、体に麻痺が残って思うように動かせなかったりしている人をよく見かけた。
 気持ちが落ち込んでいる様子の人がほとんどで、作業療法士さんが大きな声を出して前向きに励ましているのが印象的だった。

 自分自身は、落ち込んでいる場合ではないという意識もあったが、無理して落ち込まないようにしている感覚もなく、とにかく現実を見つめて、できる事をやろうとしていた。

 義手を製作するにあたっては、切断した右腕の型を取るのだが、右腕の傷口はまだ腫れている状態で、その腫れが治まってから、型を取って義手を作るという事で、それまでは左利きに慣れるためのリハビリを主に行う事になった。

 自分を担当してくれる作業療法士さんは、三十歳くらいの女性で、とても元気な人だった。
 その作業療法士さんに、自分から「早く左利きになるためのメニューを教えて下さい。リハビリルームじゃなく、病室で一人でもできるリハビリも教えて下さい」とお願いした。
 作業療法士さんは私の意思を理解して下さり、様々なリハビリメニューを用意してくれた。

 自分がリハビリルームの椅子に座ると、目の前の机の上に、作業療法士さんが、縦20cm×横20cm×高さ5cmくらいの大きさの台を置いた。
 その台には小さな穴が五十個空いていて、それぞれの穴に、薬のカプセルと同じような形とサイズの小さな物体が立っていた。
 その小さな物体は、カプセルと同じように、半分は赤く、半分は白く、色が付けられており、五十個すべてが赤い方を上にして立っていた。
 この小さな物体を、左手でつかんで、ひっくり返して、白い方を上にして、台の穴に立たせる。
 その動作を五十回行い、五十個の小さな物体をすべて、白い方を上にして立たせるのに、どれくらい時間がかかるのかをタイムウォッチで計る。
 その所要時間をだんだん短縮できるようになる事で、左手の器用さを上げるという目的のリハビリだった。

 続けては、40kgのハンドグリップが用意され、握力を鍛え、握力を鍛えるメニューを消化すると、今度は、太さ5cm、長さ20cm程度の木の棒が一本と、長さ15cm程度の糸が10本くらい、机の上に用意された。
 その糸をすべて、木の棒に結んでいくというリハビリだった。
 糸で輪っかを作ったり、そこに糸を通したりするような細かい作業は左手で行い、その都度、糸を固定するために抑える作業は、切断した右手の先端や右肘を使って行う。
 片結びは簡単にできたが、蝶々結びは、一本一本結んでいくのに時間を要し、なかなかきつく結べずに、すぐにほどけてしまう事がほとんどだった。

 リハビリルームで行うリハビリとしては、器用さを高めたり、筋力を強くしたりするメニューが組まれていたが、自分一人で病室でできるリハビリメニューとして、右腕で宙に四角を、左手で宙に三角を、同時に描くというリハビリメニューを教えてもらった。

 右腕で四拍子、左手で三拍子をカウントするようなイメージで、右腕で四角を三回、左手で三角を四回描くと、両手が同時にスタート位置に戻ってくるので、もう一度、同じ動きを繰り返していくというリハビリだった。
 このリハビリの意図は、左手だけで作業をすると、どうしても両手がある人に比べて作業に時間を要してしまうので、頭の回転力を高める事で、作業の時間を短縮して、両手がある人に少しでも遅れを取らないようにするというものだった。

 このリハビリは、病室で一人でやっていると、あっという間に慣れてしまって、頭の回転が向上している手応えがつかめなかった。
 そこで、病院のフリースペースで誰もいないタイミングを見計らって、GLAYの曲を口ずさみながら、口ずさんでいる曲とは別の曲の歌詞をノートに書き込んでいくというリハビリメニューを試みた。

 とにかく今、自分にできる事をやって、一日も早く社会復帰をしたい気持ちが強かった。
 「給与は減ってしまうのだろうか」「家計は大丈夫だろうか」という不安を早く払拭したかった。

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