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それでも生きる(9:頼らない理由)

 右手を失い、左手だけで母の介護をしていた時、兄の助けは借りないようにしていた。

 幼少期の頃に、母や親戚に言われていた言葉がある。

 「お母さんとお父さんの良いところは全部お兄ちゃんにいって、ともちゃん(=私)には、お母さんとお父さんの悪いところがいったね」
 という言葉である。

 例えば、
 兄は視力が良くて、自分は視力が悪い。
 兄は泳ぐ事ができて、自分は泳げない。
 兄はピアノが弾けて、自分は弾けない。
 兄は表彰されるくらい絵を描くのが上手で、自分は平凡。
 兄は学校で一番になるくらい勉強ができて、自分は平均程度。

 そんな理由で、兄に比べて劣っていると言われる事が多々あった。

 自分自身もずっと、兄を心から尊敬してきたし、今もその尊敬する気持ちは変わらずにある。
 面接などで「尊敬する人は誰か?」と聞かれると、必ず「兄です」と答えてきた。

 尊敬する理由は、兄の口から不平不満の言葉を聞いた事がないからだ。

 例えば、「疲れた」「しんどい」「腹が立つ」「へこむ」「◯◯が嫌だ」「◯◯が嫌い」「やめたい」といった言葉を、兄の口から聞いた事がない。

 本当にすごいと思う。

 だから、そんな兄の足を引っ張りたくなかった。

 右手を失った自分と、糖尿病で動けない母の事で、「すごい兄」が崩れるのが嫌だった。

 「お母さんの介護は俺がするし、俺は大丈夫だから、兄貴は自分の道を走ってくれ」
という気持ちが強かった。

 そして、「すごい兄のために頑張る」という事が、自分自身に前を向かせる原動力になった。

 自分自身の事で頑張ろうとすると、折れてしまうかもしれない。
 でも、兄のために頑張ろうと思うと、折れる気がしなかった。

 自分はヒーローにはなれないから、せめてヒーローには頼らない自分でいたい。

 そんな気持ちを抱きながら、歯を食いしばって、母の介護をしていた。

 それから少し経って、義手が出来上がり、義手を使うリハビリを経て、自分はスーパーマーケットの仕事に復帰した。

 以前の精肉の業務はできないため、事務兼レジ部門の業務を行う事になった。

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