それでも生きる(7:生きるためのリハビリ〜障害者の自覚)
朝食を食べ終えてから、リハビリルームに向かうと、作業療法士さんに、右腕の痛みと付き合うためのリハビリとして、
「作業療法士さんに右腕を叩いてもらう」
というメニューの追加をお願いした。
『もっと激しい痛み』を体に染み込ませて、その『もっと激しい痛み』に耐えていく内に、日常の痛みを大きな痛みと感じなくさせるという意図があった。
考え方を変えれば、日常の痛みに耐えられるだけの精神力を築くという意図とも言えたのかもしれない。
自分一人でも、右腕を叩いたり殴ったりできるが、どうしても恐怖心から手加減をしてしまうので、それであれば、作業療法士さんに容赦なく叩いてもらった方がいいと考えた。
作業療法士さんは、私の意図を汲み取って下さった。
いざ、右腕を叩いてもらう。
当たり前だが、すさまじく痛い。
歯を食いしばる。
顔が赤くなってくるのが分かる。
作業療法士さんが、心配そうな顔をする。
「ストップと言うまで、止めないで下さい」
とお願いする。
脂汗がにじんでくる。
体が少し震える。
近くでリハビリをしている年配の人達が、心配そうな顔で見ている。
心配させたくないので、
「これからを生きるためにやってます」
と声を掛ける。
大丈夫。まだ余裕がある。
そう言い聞かせて、5分程度、『もっと激しい痛み』に耐えた。
作業療法士さんが叩くのを止めると、『もっと激しい痛み』は、徐々に引いていき、ただの痛みに戻っていくのだが、やはり楽になったように感じた。
これから毎日、この右腕を叩くというリハビリメニューを行う事にしたが、「周りで見ている人が精神的につらい」という事で、翌日からは、人目に付かない場所で行う形となった。
それから一週間ほどが経ち、退院した。
以降は通院して、リハビリメニューを消化していった。
ある日の事だ。
その日は午前9時なら病院でリハビリがあり、その時刻に間に合うように家の最寄駅から電車に乗り、病院に向かっていた。
久しぶりに朝の通勤ラッシュの中に身を置く形となったが、家の最寄駅から電車に乗る段階では、まだ混雑しておらず、電車の席に座る事が可能であった。
まだ義手は完成しておらず、切断した右腕の先端には包帯を巻いた形で、電車に乗っていた。
電車が次の駅に進むにつれ、徐々に車内が混雑してくる。
その時、自分が座っている席から、少し離れた所に立っていた五十歳くらいと思われる男性が、独り言を言った。
「障害者は優先席に座れよ。そしたら、もう一人座れるのに」
優先席の方に目を向けると、一人が座れるスペースが空いていた。
自分がその優先席の方に座れば、自分が座っていたスペースに、誰かが座れるという事である。
そういう考え方は、まったく頭の中になかった。
自分は右腕を失っていたが、障害者として生きているという意識がなかったのだ。
なるほどと思い、その五十歳くらいの男性に「気が付かなくて、すみません」と声を掛けて、混雑している車内をかき分けながら、優先席の方に歩いていき、座席に腰掛けた。
電車内の空気が重くなるのを感じた。
すると、五十歳くらいの男性が、
「何だよ。そんなつもりで言ったんじゃないのに。俺が悪者みたいじゃないか」
と、また独り言を言った。
自分が社会から見て障害者なのだと、初めて自覚した時だった。
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